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一人勝ち

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 が勃発した時、中央政府は慌てはしたが、ウワサがあったことから、すぐに、これを上奏したことにての、
「日本政府における、事後承諾」
 ということで、正式な国家としての行動になったのだ。
 さすがに最初から計画していたこととはいえ、一気に満州国の主要都市を次々に占領していき、半年も経たない間に、満州全土を掌握していたのだ。
 そこで、日本は、事変直後から、かつては、清国の皇帝であり、
「清朝復興」
 を考えていた、
「愛新覚羅溥儀」
 に接触した。
 彼は、身の安全を図るため、上海の租界にいた。そこに、関東軍は接触し、
「我々は満州を手中にしたので、そこに満州国を建設するつもりだ。そこは独立国となるので、あなたに、まずは、執政として就任いただいて、時期がくれば、校庭として、君臨していただきたい」
 といって、そそのかし、上海を脱出させ、満州国へといざなうのだった。
 すっかり、その言葉に載せられた溥儀は、元々、清朝というものが、満州民族だということもあるので、
「故郷に戻り、しかも、清朝復興の足掛かりとして、故郷で皇帝になれる」
 ということで、有頂天だったのかも知れない。
 そこで、日本は急ピッチで、満州を独立国家としての体裁を整え、執政として溥儀を擁立することで、満州国建国を宣言したのだった。
 さすがにこれには、中華民国も承服できなかった。他の列強も、渋い感情を抱いていたということもあって、中華民国は、当時、第一次大戦の戦勝国で作った、
「国際連盟」
 という機関に、日本の行動を提訴したのだった。
 そこで、国連は、その事実関係の調査に、
「リットン調査団」
 というものを組織し、調査をさせた。
 そこでもたらされたことは、
「日本軍による自作自演」
 ということだという調査報告だった。
 そこで、議長国による決として、
「満州国の承認」
 が議題に上がったが、賛成は、日本一国だけで、他は、反対と棄権しかなく、ほぼすべての国は承認しないということになったのだ
 それにより、日本は、国際連盟は信用できないということで、その場で、全権大使となっていた松岡洋右外相は、その場を立ち去り、
「国際連盟脱退」
 ということになり、日本は世界から孤立してしまった。
 そんな時代において、日本という国は、もうどうにも立ち行かなくなり、さらに追い打ちをかけたのが、
「世界恐慌」
 だった。
 さらに、東北地方の凶作が続いたことで、地方の人間は、
「娘を売りに出さないと、その日の食事にもありつけない」
 ということで、
「人身売買」
 までが、公然の秘密のように行われるようになっていたのであった。
 海外では、そんな世界恐慌において、
「強国によって経済をブロックする」
 ということで、強国だけが、生き残るという方法を取るようになった。
 日本という国は資源に乏しい小国なので、ブロック経済などをされてしまうと、どうにもならない、
 そんな状況を憂いたのが、大尉、中尉と言った階級の、いわゆる、
「青年将校」
 と言われた人たちが、
「天皇の側近として、権力があるのをいいことに、自分たちだけが甘い汁を吸っている。そんな悪をのさばらせてはいけない」
 と考えるようになった。
 それで起こったのが、
「226事件」
 と呼ばれる、軍事クーデターだということであった。
 ただ、このクーデターは前述のように、
「天皇のそばにいて、甘い汁を吸っている連中を懲らしめて、再度、腐敗した政治を立て直す」
 というのが、大義名分であったが、実際には、そうではなかったのだ。
 というのも、それから数年目くらいから、陸軍内で、
「皇道派」
 と呼ばれる派閥と、
「統制派」
 と呼ばれる派閥とが、派閥争いをしているというのは、公然の秘密のよううだった。
 その数年の間に、何度も形成が逆転し、左遷されたり、暗殺されたりという厄介な事件が勃発もしていたのだった。
 そんな世の中において、まわりの環境が急激に混乱してくると、それを正そうとする連中が出てくるのは分かっていることだった。
 軍部内でも、
「いつか、近い将来において、軍事クーデターが起こる」
 というウワサはあちこちにあったが、なかなかそれを止めるまでには至らず、結局、青年将校は決起を促し、事件を引き起こすことになる。
「首相官邸、大蔵大臣、侍従長、警視庁などを襲撃し、政府要人を暗殺せしめた」
 というのが、決起軍であった。
 決起軍は、山王ホテルに立てこもり、上官が説得を試みる中、事件勃発前にまとめていた、
「決起衆意書」
 というものを、天皇に上奏してほしいといい、決起が認められるまで、動かないとしたのだ。
 軍部はそれでも、何とか軍部内で、収めようと考えていたが、説得もままならないまま、天皇に上奏することになった。
 天皇は、上奏前に、その情報を得ていて、上奏された時には、すでにその気持ちは固まっていたのだろう。
 どこか、奥歯にものが挟まったかのような、消極的な態度の軍や政府に対して、憤りを感じていた。
 暗殺された人物は、天皇が信頼を寄せていた人たちなので、それも仕方がない。
 決起した連中は、、
「天皇の側近として、甘い汁を吸っている」
 と思っていたのだろうが、天皇は、自分が政治を知るうえで一番の理解者だと思っていた人たちを、問答無用で、夜討ちをかけての殺害という、一番最悪の、
「やってはいけないこと」
 をしてしまったのだ。
 天皇はすでに、腹が決まっていたようで、彼らをいち早く、
「反乱軍」
 と認定したようだ。
 だから、武力鎮圧には消極的な陸軍に対し、
「お前たちがそんなに弱腰なら、代が、自ら軍を率いて、鎮圧する」
 とまで言わせたのである。
 さすがにこうなってしまっては、軍部としては、武力鎮圧もやむなしであった。
 それでも、何とか説得を試みる。
 それでも、事態が収拾しないことで、東京市には、戒厳令が敷かれることになったのだった。
 それでも、結果として事件は、三日で終結した。
 その理由は、
「奉勅命令」
 というものが出たからである。
 つまりは、
「陸海軍の最高責任者であり、大元帥である天皇が、軍に対して直接下す命令」
 のことである。
 それが出たということが、決起軍に伝わると、
「自分たちが反乱軍だ」
 ということを天皇が理解したということであり、その瞬間、力が抜けてしまっただろう。
 こうなってしまえば、無理に逆らうと、自分たちは賊軍でしかない。天皇と国家のためを思ってしたことが、結果反乱軍とみなされてしまえば、することは一つしかない。
「軍を原隊に返し、自分の身の振り方を考える」
 ということであった。
 自決をする人間もいれば、裁判で訴えるという手を考えた人もいたが、結果裁判は最悪の、
「弁護人なし、さらに非公開で、全員銃殺刑」
 ということになったのだった。
「515事件」
 において、暗殺を行った甲斐軍青年将校たちが、重くても数年の禁固というだけだったのに対し、あまりにもこの差の大きさだった。やはり、
「賊軍」
 という評価が、どうにもならないということになったに違いない。

                 参謀の参謀
作品名:一人勝ち 作家名:森本晃次