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一人勝ち

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 と、政府の外交を弱腰と見て、過激な連中が、国内で騒ぎ出したというわけである。
 外務大臣であった小村寿太郎の家には絶えず石が投げこまれたり、さらには、それだけでは飽き足らない連中が、今度は日比谷公園に集結し、
「日比谷公会堂焼き討ち事件」
 というのを引き起こしたのだった。
 押し寄せる群衆を、なかなか警察では止めることができなかったのだろう。しかも、ウワサを聞きつけてきた人がさらにやってきて、収拾がつかなくなる。かといって、軍隊を出動させるのも忍びない。
 ということで、戒厳令を敷いて、その場の収拾を図るしかなかったのだ。
 これが、第一回目の戒厳令であった。
 二度目というのは、一度目が、民衆の暴動であったのだが、二度目は災害だった。
「未曽有の大地震」
 そう、あの関東大震災だったのだ。
 関東大震災では、帝都だけではなく、横浜や千葉と言ったところまでの大災害となり、逃げ惑う人たち、家を失った人、とにかく大混乱だっただろう。
 しかも、情報は錯そうする。当時のマスメディアというと、新聞しかない。新聞社も被災し、新聞の発行どころではない。そうなると、ウワサがウワサを呼び、横浜で起こったとされる、
「朝鮮人大量虐殺」
 というのも、そのうちの一つだった。
「この混乱に乗じて、朝鮮人が暴動を起こす」
 というものであった。
「やられる前にやる」
 それが、一種の先手必勝で、信憑性のまったくないデマによって怯えた人たちの暴動だったのだ。
 警察も、軍の施設も崩壊したりして、燃えてしまったかも知れない。もうそうなると、戒厳令を敷いて、民衆の権利や自由を、一時的に制限するしか方法はない。
 戒厳令というのは、被災したり、クーデターの範囲の場所に出されるものである。戒厳司令部も、司令官も、他の地域から連れてきて、設置しても構わない。実際にそうだったのではないだろうか?
 もっとも、その時代のことを知っているわけではないので、憶測でしかないのだが、それが、当時における、大日本帝国による戒厳令だったのだ。
 さて、三度目の戒厳令であるが、今度の戒厳令は、震災から約10年後に起こった、
「軍事クーデター」
 の時期であった。
 時代はすでに昭和に移っていて、震災からこっち、復興に向けて、国の予算を支出していっている時であった。
 世界では、動乱の時代が続いていた。日本でも、陸軍の動きが活発で、軍部の内部ではm派閥争いが起こっていて、そこに持ってきて、人口の急激な増加により、食糧問題が深刻化してきたのだ。
 ちょうど、日本は、関東軍というものを組織し、日露戦争によって権益を得た、満州鉄道の敷地内周辺の警備を行っていたのだが、当時はすでに、革命に成功し、世界初の社会主義国家として成立したソ連が、かつてのロシアの後継国として君臨していた。
 さらに、モンゴル国境あたりにも問題を抱えていたことで、日本としては、
「満蒙国境問題」 
 ということで、満州周辺での衝突もやむなしであった。
 しかも、清国の後継国である
「中華民国」
 との問題もあった。
 当時中華民国は、政府である国民党、さらには、中国共産党、そして、満州に拠点を置く、北伐と呼ばれる勢力が争っていた。
 日本は、満州に権益を持っていたので、中華民国とは、結構な紛争になっていた。特に北伐の支援を積極的に行っていたのだが、そのうちに、北伐側が、日本を鬱陶しく思うようになったのだろう。
 そのために、関東軍は、その北伐の首領である、
「張作霖」
 という人物が邪魔になったことから、満州鉄道で移動中の張作霖を、列車ごと、爆破する計画を立て、実行したのだ。
 この事件について、日本本土の陸軍がどこまで把握していたのかは分からない。少なくとも、政府には寝耳に水であり、天皇も知らなかったことに違いない。
 こうなると、問題は、
「政府が知らなかった」
 ということよりも、
「天皇が知らなかった」
 ということの方が大きいのだ。
 もちろん、政府が知らなかったということは、外交問題上、他の国との話になった時、どう答えていいのか、困るからである。
「我々も知らなかった」
 などと言って、信じられるわけもないし、そもそも政府が知らなかったなどというと、
「この国に近代国家としての体制が整っていない」
 ということで、下手をすれば、最悪侵攻のための大義名bんを作りかねないということになり、戦争の火種ということになるだろう。
 政府も天皇も知らなかったというのは、政府に爆殺事件の第一報が入った時、その報告に、当時の田中義一首相が、上奏し、参内した時、天皇に対して、
「早急に調査し、我が軍の関与のないことを突き止めましょう。もし、我が軍の関与があったとすれば、首謀者を罰するようにいたします」
 というような話をしていたのに、それからまた参内した首相は、
「今、まだ調査中でハッキリと分かっていません」
 と言ったことで、天皇はm政府が、関東軍に遠慮しているのか、歯切れの悪さを示したことで、
「お前の言っていることはサッパリ分からない」
 といって、叱責した。
 このことが、内閣総辞職を招いたとして、天皇は大いに反省したという話が伝わっているのだ。
 その頃から、
「軍部による暴走」
 というのが見え始め、特に満州に君臨する、関東軍の動きが、東京の中央と行違うことが多くなってきたのだろう。
 そこから、満州での動きは激しくなり、特に中国における、反日、抗日運動が激化してきたのも、問題だった。
 日本人に対して、土地を与えたり、土地を売ったりすると、下手をすると死刑になるというような法律までできたほどで、
「日本人に有利なことをした者は、売奴国になり、国家反逆罪に匹敵する」
 ということだったので、死刑というのも、あながち大げさなことではなかったのであった。
 そんな時代において、中国人における満州での日本人に対する迫害はひどくなった。
 土地は奪われ、差別を受け、さらには、暗殺事件なども頻繁に起こり、治安は最悪な状態になっていた、
 そんな状態を打破するという意味と、さらに日本における最大の問題である食糧問題を一気に解決するには、
「満州の占領」
 ということしかなかったのであろう。
「事件をでっち上げて、そこから一気に軍事行動に出ることで、満州を占領する」
 ということであった。
 これが、満蒙問題解決にもつながることとして、関東軍が考えたことだった。
 しかし、この動きは中央軍部にも想像できていたことのようだった。
「?デーはいつだ」
 という話が持ち上がっているようで、ただ、軍としても、
「この作戦はやむなし」
 と思っていたのではないだろうか。
 しかも、中国側が、満州鉄道の路線に並行して、鉄道を建設してから、それまでの満鉄の売り上げが一気に下降し、経済的にも疲弊してきた。
 治安も悪い、経済も疲弊。そんな状況は、居留民にとっては、迫害以外の何者でもなかった。
「巨留飲保護」
 という意味でも、満州事変の勃発というのは致し方のないことではなかっただろうか?
 だから、関東軍が満州鉄道を故意に爆破したという、
「柳条湖事件」
作品名:一人勝ち 作家名:森本晃次