一人勝ち
もっとひどいのになると、せっかく薬を抜いたのに、昔の男から、
「いいカモが戻ってきた」
ということで、再度、無理やりに注射を打たれるなどということもあるだろう。
そうなると、今度は、その女性は人生に失望し、自殺をするという最悪の形も生まれてくる。
こんな状況を見ると、
「やくざが許せないのは当たり前のことだが、警察があんな連中をのさばらせておくのが一番悪い」
といって、その矛先を警察に向ける。
正直、それも仕方がない。事実として、このような最悪の事件が実際に起こっているのだから、警察は弁明の余地はあいというものだ。
それを思うと、
「人生なんて、まわりや国家がひどかったら、簡単に影響を受けてしまうに違いない」
ということになるのだろう。
高校時代において、精神的に自分が追い詰められている時に、感じていた言葉が、
「四面楚歌」
だった。
「まわりはすべて敵だらけ」
中には裏切りもいるだろう。
そんな状態において考えたのは、
「自分のまわりの近しい人間が、実は、悪の秘密結社のような連中から、自分を苦しめるために、知らない間に、悪の手先と入れ替わってしまっているのではないか?」
という妄想だった。
それこそ、
「テレビの見過ぎ」
と言われるのだろうが、高校時代などでは、こんなこと恥ずかしくて誰にも言えなかった。
「お前気は確かか?」
と言われるに違いないと思ったからだったが、大学に入ると気が大きくなるからなのか、それとも、
「話題としての自虐」
ということで、別に恥ずかしさを感じるわけではなかった。
「感覚がマヒして、一周したのかな?」
と感じるほどであったが、大学というところは、そういう感覚をマヒさせる何かがあるのかも知れない。
ただ、このような意識のことを、ちゃんと心理学では言われているらしい。
「カプグラ症候群」
というのだそうだが、いわゆる被害妄想的な発想が、こういうホラーやオカルト、SFチックな発想になるのかも知れない。
もっとも、これも、20世紀の頃に言われ出したことなので、ごく最近のことであり、やはり、テレビや映画での、SF的な発想が、そういう考えを生むのかも知れない。
しかも、当時の子供も、ひょっとすると大人も似たような被害妄想があり、
「自分のまわりは敵だらけ」
という思いが募るのかも知れない。
自分のまわりが敵だらけに見えてくるようになると、何かを考えても、すべてが悪い方にしか考えられなくなってくる。
そうなると、どこかのタイミングで、
「俺は躁鬱症なんじゃないか?」
と思うようになり、一度そう思ってしまうと、もうそれ以外は考えられなくなるというのが、
「躁鬱症の特徴ではないか?」
と感じるようになってきた。
ただ、躁状態の時は手放しに気持ちがハイになっているわけでも、鬱状態の時は、絶えず苦しい状態から抜けられないとして、気分は最悪になっているのかも知れない。
特に、躁鬱状態の時というのは、躁状態の時には、これからやってくる鬱状態に思いを馳せてしまったり、逆に、鬱状態の時に、
「二週間の我慢だ」
と大体のパターンから、抜ける時期が分かっているので、必要以上の辛さを感じることはないのだ。
それが、彼岸の時の、
「暑さ寒さも彼岸まで」
と言われるような、季節が巡回するかのような時には、
「最悪の時にいいことを、いいことが続いている時に、不安を感じるという要素になるのではないか?」
と言えるのではないだろうか?
「頭の中を少しでも、平均的にならそう」
という考えがあるからではないかと思うのだが、それが、
「限界を知りたくない」
という思いがどこかにあるからではないかと思うのだ。
その限界は、いいことであっても、悪いことであっても同じだ。
悪いことの限界を知ると、
「そこが地獄であって、二度と這い上がることができなければ恐ろしい」
という思いと、逆に、
「天国であれば、すぐに夢のように覚めてしまい、まるで夢を見たと思って、実際の夢のように、一度見てしまったことを、意識してしまうと、二度と見れなくなってしまうのではないか」
という意識に駆られるからではないだろうか?
それを思うと、社会人になっても、学生時代の気持ちが残っていて、
「学生気分が忘れられないのか?」
と言われている社員の姿を見てきたが、それを見ていて、
「それの何が悪いんだろう?」
と、勉は思うようになってきた。
勉は、大学時代、結構。
「やんちゃ」
だったといってもいいだろう。
「法に触れるようなひどいことをしていない。だから別に悪くないんだ」
という感覚でいた。
逆にいえば、
「警察に捕まるようなことさえしなければ、許される」
というような気持ちになっていたというのも事実であった。
そういう意味で、よくある、
「金持ちのボンボンのおいた」
というような、昭和の言葉を借りるとそういうことなのだろう。
それをもみ消してきたのが、先代の参謀であった、小平修平だったのだ。
まだまだ、父親の平八郎が、活躍している中で、子供たちのスキャンダルは命取りだ。何かあれば、必死になって、社長の参謀が火消しに躍起になるというのは、今に始まったことではない。
さすがに、婦女暴行や、殺人事件に繋がるような、
「ヤバい事件」
を引き起こすようなことはなかったが、いわゆる、
「金で解決できる」
というようなことは、いくらでもやっている。それが、
「おいた」
と言われるものなのだろう。
「おいた」
というと、
「女の子を妊娠させてしまった」
ということも少なくはなかった。
中には、わざと妊娠したなどと言って、お金をふっかけようとしている連中もいただろう。
むしろ、そっちの方が多かったのかも知れない。
なぜなら、
「こんな軽い男、誰が真剣になんかなるもんですか」
と普通の女だったら、こんな曲がった考えの男に靡くはずがない。
ということであった。
要するに、大学に入って、気が緩んだのか、
「何をやっても許される」
というような勘違い野郎が多い大学生の中で、特に彼の周りにはそんな連中ばかりが集まってくるのである。
だから、一時期、躁鬱症に陥ったのだった。
「俺のことを気に入って集まってくるわけではなく、皆、お金が目的なんだ」
と、思うようになったから躁鬱症になったのだ。
しかし、そのことにも発想が慣れてくると、
「まあ、いいや、それならそれで、俺の方も楽しませてもらおう」
と思ったのは、自分が本当に、金の力で解決できる立場にいることで、気が楽になってきたからであろう。
実際に、家に帰ると、
「無駄なもの」
と思えるようなものが、屋敷の中にはいたるところにある。
昔だったら、
「古風なコレクションが、金持ちのステータスだ」
といって、伯爵などの屋敷には、いろいろな珍しいものがあったりしたものだった。
絵画であったり、昔の狩猟の道具、あるいは、中世の甲冑など、等身大のものが置かれていれば、そのまま、ステータスだった。
「まるで博物館のようなお屋敷で」
などと言われると、本当に嬉しい気分になるものだった。