一人勝ち
ただ、それは、もちろん、今に始まったことではない。
女性に対して、朴念仁であった二人から、弟の幸隆の方は、早々に思春期を抜けると、それまでの朴念仁がウソだったかのように、女性とも不通に話ができるようになっていた。
とは言っても、友達のように話すだけで、別に、
「モテている」
というわけではなく、
「幸隆さんは話しやすい」
ということで、女の子が、相談しやすかったりするのだ。
それは、やはり、帝王学を学びながら、自分は、
「あくまでも参謀だ」
というところに終始していることから、相手もガツガツしていない幸隆に新鮮さと安心感をイメージするのだろう。
そして、話をしてみると、まさにその通りであり、特に控えめな女性が、幸隆の周りに集まってきた。
派手好きな女で、相手を、
「富豪の、山中家の次男だ」
と思って近寄ってくる女には、物足りなさがあるのだ。
特に、
「肉食系女子」
にとっては、
「私の肉体で、思い通りにさせよう」
と思っているオンナに限って、肉体には自信があり、それを覆す態度をとられると、プライドが傷つけられる思いがするのだろう。
「プライドを傷つけられてまで、近づきたいとは思わない」
と、ある意味、潔さのある相手である。
だからこそ、幸隆は、
「それはそれで仕方のない。いや、その潔さに感銘を受けるくらいだ」
と思うことだろう。
だからと言って、今度は勉の方に食指を伸ばすと、もうそれ以前の問題だった。
いつも何かに怯えているようで、最初は、
「慰めて差し上げよう」
という下手に出る形で近づいたのだが、心を開いてくれようとはしない。
本当は、勉の方は、自分のことだけで精一杯という感じで、それが、まだ思春期の続きであるとは、相手の女も分かっていないのだ。
本人である勉の方も分かっていない。少し気持ちに余裕を持てば、スッキリと考えられるものを、それができないのは、
「自分のこと以外を少しでも考えてしまうと、その間に、何か悪い考えを持ったものに、自分の気持ちを支配されてしまう」
というような、思いを抱いていたのだ。
きっと心理学用語であれば、
「何とか症候群」
というような言葉で当てはめられるようなものなのだろう。
ただ、
「何とか症候群」
と呼ばれるようなものは、大なり小なり、誰にでも存在しているような気がする。
もっとも、症候群などという言葉で言い表すのだから、それだけ、たくさんの人の考えがそこに含まれているという証拠だろう。
多数派でなければ、
「症候群」
などという言葉を使うはずはないと思うからであった。
高校生の頃までは、ずっとそんな状態が続いていたが、何とか、志望校に入学できた勉は、ホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。まわりの期待に応えることができた」
というのが本音だった。
もちろん、志望校に入学することが、自分の人生のすべてに近い形で勉強をしてきたので、合格というのは、
「俺の人生を肯定されたような気がして、入学に対してそれが嬉しいんだ」
というのが、勉としての、本当の気持ちだった。
しかし、彼には、
「山中家の跡取り」
という側面があり、合格は、
「既定路線」
であり、当然のごとくだったのだ。
そのせいで、すっかり精神をすり減らしてしまったが、これで、もう誰に気を遣うことなく、大学生活を楽しめるというものだった。
気が付けば、それまで自分のまわりにいた女の子は、誰もいなくなっていた。
「それも仕方がないか」
と思ったのは、それだけ自分のことで精いっぱいで、まわりからいなくなったことすら意識できないほどに追い詰められていたといってもいいだろう。
しかも、勉の意識の外ではあったが、女たちが、勉本人を欲していたわけではなく、
「山中家の跡取り」
という名前と、そして、リアルなところでの、金だったのだ。
だが、これは、幸隆に対してとは違った意味で、
「プライドが許さない」
という思いから、勉の前から消えていた。
それは、
「この人はまったく私を見ていない」
という意味からで、本人すら、意識が曖昧で、どうしようもない状態だったのだから、見ている方も、その鬱陶しさ、煩わしさが蔓延っていたのは、分かっていた。
お金や地位だけを見ているオンナは、それでも耐えられたのか、結構粘ってはいたが、そんな女にカギって、一度嫌いになってしまうと、
「もう、顔も見るのも嫌だ」
と思うようになるのだろう。
だが、大学に入ると、その思いは払しょくされた。
「おっす」
「おはよう」
という挨拶だけの友達がどれだけ増えるというのか。
高校時代までは、皆、まわりは敵だと思っていた究極の孤独な精神状態とはまったく別者ではないか。
高校時代が、
「こんな思いは、最高潮に来ているので、逆にいえば、これ以上の最悪なことはないだろう」
と思っていたのだった。
しかし、大学に入れば、挨拶だけの友達が、まるで湧いてくるようにたくさんできた。
「友達を作るのがこんなに楽しいなんて」
と思ったのだが、それは、自分から作ろうとしなくても、勝手にできるということだった。
楽をしたいというような意識ではなく、今までの想定をはるかに超えていることで、
「いかに大学生活が楽しいか?」
ということが分かったのだ。
それまで、朴念仁で、しかも、
「受験生の悲哀を、これでもかと身にまとった」
と言えるような男だった勉は、まったく自分が違う人間に生まれ変わった気がした。
しかし、実際にはそうではなく、
「これが、俺の本当の姿なんだ」
と思うようになったのだ。
しかし、それが、いい方に進めばいいのだが、見えてきた世界が違う世界であれば、言い方もあれば、悪い方も存在する。
それが、勉の場合、悪い方に舵を切ってしまったようだった。
そもそも、自分のことを、
「躁鬱症だ」
と思っていた彼は、
「鬱状態の時は、きっと他の人と変わらない感じなんだろうな」
と思っていたが、躁状態。つまり、ハイな時というのは、
「これこそ、皆同じなのに違いない」
と感じ、その思いが、躁状態における自分の変化と感情に気づかず、当然悪い方に向かっているなどと、思ってもいなかったのだろう。
大学時代において、たくさんの友達ができるのは、
「自分にとっての、ステータスだ」
と思っていた。
しかし、増やせば増やすほど、収拾がつかなくなってしまうことに気づいていなかったのだ。
ことわざで、
「大は小を兼ねる」
というのがあるが、これは必ずしも言い切れることではない。
確かに大が小を兼ねることも多いが、
「大きすぎるがゆえに、収拾がつかない。あるいは、融通が利かない」
ということも多かったのだ。
金に物を言わせる
歴史が好きな勉は、またしても、歴史に想像を重ねる。
大人になって、やっと、
「大は小を兼ねる」
ということわざに、当て嵌まらないものもあるということを、理論づけて理解できるようになって感じたことだが、勉が思い出したのが、戦国時代の話であった。
「戦国時代三大奇襲」