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タマゴが先か……

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 三人は小学生の頃からの友達で、三角関係になったこともあった。
 中学の頃は景虎と噂になり、高校に入ると、景勝と噂になった。
「あの女、目立つ相手に近づく女じゃないか?」
 という悪しき噂を流されたこともあったが、本人はいたって気にしているわけではなく、
「私、まわりから、何て言われても気にしないのよ」
 と平気な顔をして言っていた、
 実際に、
「中学の頃は、景虎さんと付き合いたいと思っていたし、高校では景勝さんを好きになったの。ただ、好きになった人がた、またま、その時目立っていたというだけのことなのよ」
 というのだった。
 ある意味、あっけらかんとした性格で、性格的には、景虎と似ているかも知れない。
 そもそも、景虎、景勝、帰蝶というニックネームは、中学時代から使っていた。
 戦国時代が好きで、上杉謙信に造詣が深かった景勝が、言いだしたあだ名だったのだ。
 ただ、帰蝶の場合は、彼女が自分でつけたのだ。最初は、通称である、
「濃姫がいいのでは?」
 と景虎が言ったが、
「いいえ、私は、本名の帰蝶がいい。だって恰好いいじゃない」
 ということで決まった名前だった。
 この3人が、
「なぜ、コウモリゲームに参加しようか?」
 と言い出したかというと、最初の言い出しっぺは、景虎だった。
 中学時代の景勝を見ていて、
「何て、孤独なやつなんだ」
 という印象を得たのに対し、今度は高校生になると形勢逆転というべきか、今度は自分が、まわりから、
「孤独な人間」
 と見られる立場になったということを自覚していたのだ。
 景勝というオトコは、まわりに対しての気遣いは結構できるのだが、自分のこととなると、まったく分からない性格だったのに対し、景虎の場合は、自分のことを結構分かっているくせに、
「自分がまわりからどう見られている?」
 ということに対しては、意外と分かっていなかったのだ。
 高校生になってから、まったく入れ替わってしまったのは、
「元々の性格からいけば、これが正しいのであって、むしろこうなるべき性格なんだよ」
 と、感じていたのは、帰蝶だったのだ。
 帰蝶という女性は、気の強い女性である。
「名前にふさわしいな」
 と、景虎に冷やかされたが、そもそも帰蝶というのは、信長の妻であり、父親は、
「美濃のマムシ」
 といわれた、斎藤道三であった。
 そもそもは、
「信長の父の信秀と、美濃の斎藤道三が敵対していたのだが、和睦が成立すると、その証として、娘を織田家に嫁がせる」
 ということであり、いわゆる、
「政略結婚」
 もっといえば、
「人質」
 に近い形だったといってもいいだろう。
 本当の帰蝶がどういう女性だったのかということは、それほど知られていないが、なんといっても、
「信長の妻」
 さらには、
「マムシの娘」
 ということで、時代小説などでは、
「気が強い女性」
 という描かれ方をしている。
 そのイメージがあるからか、ドラマになっても、女優は気が強い系の女性が多かったり、脚本では、信長にご注進できる、数少ない人物として描かれていたりする。
 ただ、なかなか歴史の表舞台に出てくることもなく、歴史ファンでもなければ、知らない人も多いくらいであろう。
 そんな、
「自称:マムシの娘」
 を名乗っている彼女は、中学時代から、男の子には結構モテていた。
 決して、自分にちやほやしてくる男性に靡くようなことはなかったが、好きだといわれて嫌な気はしない。これは、どの女性でもそうだろうが、特に帰蝶の場合はその感情は強いかも知れない。
 その感情があるからなのか、
「アイドルになりたい」
 というアイドル志願を持っていた。
 最初は誰にも言わなかったのだが、どうやら、すぐに、景虎にはバレたようで、
「バレバレだよ」
 と景虎はいうが、その言葉に本人の嘘はなかったが、実際には他の人にも分からなかった。
 ずっと一緒にいる景勝にも分からなかかったくらいである。
 景虎は、そういうところには、結構聡いたちではある上に、自分の中にある、景勝に対してのライバル意識が強いからではないだろうか?
「俺は、景勝には負けないぞ」
 という思いからである。
 景勝には、景虎に対して、ライバル意識はあったが、
「相手には絶対に負けない」
 という意識よりも、
「ともに、成長していく」
 ということが目的であった。
 見た目は、景虎の方が、
「本音が態度に出る」
 とみられがちで、欲の深さも、景虎の方があるような気がするのだが、実際には、景虎は、控えめで、人には気を遣う性格であった。
 逆に景勝の方は、
「良識ある性格」
 に見えるのだが、欲深く、考えが一直線なところがあり、見た目はいい人なだけに、その性格を知った人からは、幻滅されるのであった。
 だからと言って、
「景虎がいい人で、景勝は悪い人だ」
 などということではない。
 性格には裏表というものがあり、そこが良し悪しに見えてくるのだが、それも一刀両断で話ができるものでもなく、
「長所と短所」
 とに分けて考える方がいいだろう。
 ただ、この長所と短所、すべてにおいて、
「いい悪いの判断」
 に用いるというわけにはいかないだろう。
 よく言われることとして、
「長所と短所は紙一重だ」
 と言われる。
 つまりは、
「いいところと悪いところは、似ているということで、いいように見えることでも、見る角度によっては悪く見え、逆に悪いように見えても、実際にはいいことだったりする」
 ということになる。
 しかも、その感じ方も人それぞれで、
「こっちの人によかったからといって、向こうの人にもいいとは限らない」
 と言える。
 さらに、長所と短所は裏表だと考えると、裏表であっても、見えないだけで、
「どんでん返し」
 をしてしまうと、同じ形であっても、出てきたのは、正反対の方だったりする。
 同じ人間に、正反対の性格が宿っていて、本人だけには見えていないという、
「自分の姿は、鏡のような媒体がなければ見えることはない」
 ということと似ているのではないだろうか?
 時々、
「俺とあいつは、長所と短所のようなものなのかも知れない」
 と思っているのは、景勝の方だった。
「まったく違う性格のように見えるけど、実は性格は似通っているのではないか?」
 と考えているのは、景虎の方だった。
 景虎の方は、思い浮かべたのは、二重人格性で、
「お互いにまったく似ていない、正反対の性格だということに気づくと最初に感じたのは、二重人格だ。しかも、ジキルとハイドのように、どちらかは、そのことを知っていて、もう一方まで知ってしまうと、そこに、タブーが起こり、どうなってしまうか分からない」
 と感じていたのだ。
 それでも、二重人格性を否定してしまうと、二人の関係が成り立たないと思うと、
「この関係をどう解釈すればいいんだろう?」
 と考えるようになった。
 その答えとして考えたのが、
「片方は、まったく何も変わっておらず、どちらかが、相手に気づかれないように、一周回って戻ってくることだ」
 と思った。
 相手も気づいて同じように回ってしまうと、永遠に追いつけなくなるからだ。
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次