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タマゴが先か……

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 ジキルとハイドの話で、
「どちらもが、この関係性を知り、どういうことなのかということを理解してしまうと、結果、どちらも、この世に存在できなくなってしまう」
 ということになるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、問題は、
「いかに意識せずに、さらに、相手に悟られないようにするか?」
 ということが問題である。
 近くにいることが当たり前のような二人に、そんなことが可能なのだろうか?
 それをうまくコントロールしていたのが、帰蝶だった。
 もちろん、彼女も、二人が考えていることが分かるわけではなかったが、二人に比べて空気を読むのがうまく、一人一人のことよりも、二人のこと、いや、自分を含めた三人の関係性をコントロールするのが、うまかったのだ。
 帰蝶は、そのことで何度も悩んだ。
 男二人に比べると、女の帰蝶は、二人をそれぞれに、
「オトコ」
 として意識していた。
 二人の男は、帰蝶のことを、
「オンナ」
 として意識をしたことがないというわけではないが、その時期は短かった。
 それでも、思春期というものが男女それぞれにあり、その時期は男女ということ関係なく、個人差で訪れるのだった。
 一番最初に思春期を迎えたのは、帰蝶だった。
 思春期を迎えるのは、一般的にいえば、男女では、
「女性の方が早い」
 と言えるだろう。
 それは、
「身体の発育が男に比べて早い」
 と言えるからであり、その証拠に、令和3年までは、結婚できる年齢が、女性の方が男性よりも、2歳若かったのだ。
 令和4年からは、その法律が改正になり、同い年になったが、それには、かなりの賛否両論があったことだろう。法律が変わったからといって、未成年の性状況が変わったと言えないかも知れない。
 さらに、帰蝶は、女性の中でも成長は早い方だった。
 初潮も、小学4年生だった。
 その頃から、身体が急に発育し始め、胸の膨らみも、明らかに小学生でも、分かるくらいになっていた。
 早熟と言ってもいいかも知れない。
 男子の中には、小学生でも、早熟な男子もいる。
 そんな男子は、帰蝶を見て、性欲を膨らませていたのかも知れない。そんな目を、帰蝶は敏感に感じていた。
 そして、そのことを、客観的に感じているが、どこから来る感覚なのかが分からず、理由もなく、悶々としてしまっていることに、
「俺はおかしくなったのではないか?」
 と一人悩んでいたのが、景虎だった。
 景虎は、小学生の頃に思春期を迎えたわけではなかった。自覚したのも、まわりが感じるようになったのも、景虎が中学生になってからで、
「その扉を開いたのが、帰蝶だった」
 ということを知っているのは、もちろん、景虎だけだった。
 当の本人である景虎にも、すぐには、そこまでは分からなかった。だが、
「なぜなんだろう? 帰蝶を見ていると、身体がムズムズするんだ」
 と思っていた。
 それが、実は思春期の入り口であり、
「性欲の目覚めだ」
 といってもいいだろう。
 ただ、思春期というのは、曖昧なもので、
「誰もが通る道だ」
 ということは分かっていても、それが、
「いつから始まって、いつ終わるのか?」
 などということは、始まった時はもちろん、通り過ぎた後になって、やっと、
「あの時が思春期だったんだろうな?」
 と思うのだ。
 そして、そう感じた時というのが、自分が、
「大人になった」
 と感じる時であり、それは男女関係なく、誰にでも訪れる時だったのだ。
 帰蝶は、思春期の入り口を自覚していた。そして、その思春期の入り口に差し掛かった時に感じたのが、
「景虎をオトコとして見ている自分がいる」
 ということを感じたからだった。
 帰蝶のその熱い視線の先にいる景虎は、帰蝶の視線を恥ずかしそうにいつも逸らしていた。
 それを感じた帰蝶は、さらにドキドキする。
 基調には、
「この人も私のことを意識してくれているんだわ」
 と、そう思うと、さらにドキドキするのだった。
 しかし、最初の頃はそれが勘違いだったのだ。
 確かに帰蝶の視線には気づいていて、羞恥心のようなものが芽生えてはいたが、その視線が、
「帰蝶は俺のことが好きなんだ」
 とまでは思わなかった。
 つまりは、
「帰蝶が思っているほど、景虎はまだ、思春期に入っていない」
 ということだった。
 景虎の方は、
「あの帰蝶の視線は何なんだ? そしてあの視線を感じた時の、俺のこの胸の高鳴りは?」
 と思うと、
「これを人を好きになるということなのか?」
 と考えたが、逆に疑念もあった。
「女性から見つめられて、そこから一足飛びに、自分が好きになっていると感じるのは、このドキドキを恋だと意識しているからではないか?」
 と思春期を、理論から考えようとしていたのだ。
 この性格は、景虎特有のものだと本人は思っていたが。実際には、景勝にもあるものだったが、景勝が気づくのは、もっと後になってからのことだったのだ。
 帰蝶が景虎を意識し、景虎も帰蝶を意識するようになると、
「蚊帳の外」
 になってしまった、景勝はどうなのだろう?
 まだ、思春期に突入したという意識のない景勝は、自分を蚊帳の外においた二人に、憤りを感じるどころか、
「二人は今までどおりと変わらない二人だ」
 と思っていたわけで、二人の気持ちの変化に気づいていなかった。
 いや、
「本当に気づいていなかったのか、無意識に気づいていただけなのかも知れない?」
 と、これも、思春期に入って、その途中で考えるようになった景勝だった。
 景勝は、思春期が遅かっただけに、三人の中では、一番子供っぽかった。
 それは、精神的にも肉体的にも言えることで、そのことを一番意識していたのは、本人である景勝だったのだ。
 もちろん、景虎も帰蝶も、まだ景勝に思春期が来ていないことは分かっていた。思春期を迎え、通り過ぎてきた二人から見れば、景勝は、
「まだ子供」
 だったのだ。
 景虎と帰蝶は、お互いを意識はしていたが、相思相愛だとは、それぞれに思わなかった。その理由は、
「景勝の存在があったからだ」
 と言えるだろう。
 せっかくの三人の友情が崩れてしまう。特に景虎としては、数少ない友達、しかも、その中でも親友と呼べる唯一の相手だと思っている景勝を思うと、いくら意識をしたとしても、帰蝶を好きになってはいけないという、律義なところがあったのだ。
 帰蝶としても、
「どうしても、景勝を意識しないわけにはいかない」
 と思っていたのだ。
 帰蝶という女性は、思春期の入りが比較的早かったのだが、抜けるのも早かった。それは、
「思春期が短かった」
 ということも含んでいるので、女性の中でも、
「大人になるのが早かった」
 と言ってもいいだろう。
 そんな帰蝶に対し、
「これから思春期を迎えよう」
 としている男の子たちを、帰蝶は刺激していたようだ。
「何か、ムズムズ感じるんだよな」
 という感覚に陥った時、男にとっての、思春期の表れであろう。
 それは、女性の誰を見ても、そう感じることで、やっと自分が、
「思春期に入ったのだ」
 と気づく男性が多いのだろう。
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次