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タマゴが先か……

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 もちろん、光秀のような人物は、そんなにもいないだろう。
 ただ、それまで、まわりから一目置かれていた人物であっても、神のごとくあがめられていた自分たちの主君を討つという、
「絶対にやってはいけないことをしてしまった」
 という認識がなかったのだろう。
 ただ、それまでは必死に我慢をしてきたのだが、領土の件ではさすがに堪忍袋の緒が切れたに違いない。
 だが、堪忍袋の緒を自ら切ってしまったことで、気が付けば、まわりは敵だらけ、ひょっとすると、
「まわりに、光秀という武将が、孤独な男であり、信長という存在がなければ、その存在を認められることのない男だったのかも知れない」
 ということを知らしめたのかも知れない。
 ということは、
「織田信長を討つということは、自分で自分の首を絞めることになる」
 ということであろう。
 しかし、何もしなければ、結局、領土を取られてしまうことになる。そうなると、一か八かを考えれば、あの場合は、
「謀反を起こすしかなかった」
 ということになるのであろう。
 織田信長と、明智光秀というのは、
「性格的にはまったく似ていない」
 というように見えることで、考え方も違うかのように思われるが、実はそうではない。そのことを一番わかっていたのは、光秀だったのではないだろうか?
 信長も、
「光秀であれば、自分の考え方が分かってくれるという、
「タカをくくったようなところ」
 があったのかも知れない。
 そういう風に考えていくと、確かに光秀の考えは、無謀であったかも知れないが、信長ほどのオトコが光秀の謀反を予期していなかったというのも、不思議である。
「人間というもの、性格が似すぎていると、相手が考えていることが分かりすぎるのか、行動パターンが得てして読めなかったりするものではないだろうか。
 明智光秀というのは、実際に信長が憎かったのかどうかは分からないが、
「私的復讐」
 というものもあったかも知れない。
 しかし、小早川秀秋の場合はどうでろうか?
 秀秋は、光成に恨みはなかっただろう。しいていえば、
「未来の世の中のため」
 といえば恰好いいが、
「家休み脅迫されて」
 というのが本音かも知れない。
 三成方とすれば、
「自分の10倍の石高の大大名を敵に回す」
 というのだから、正直、きれいなやり方だけでは、勝てないということは最初から分かり切っていることではないか。
 それが、
「細川ガラシャの悲劇」
 を生むことになる。
 細川ガラシャといえば、偶然というか、因果というべきか、前述の明智光秀の娘である、たまのことである。彼女は、父親が本能寺の変を起こす前に細川忠興に嫁いでいたのだが、前述のように、本能寺の変で、細川家が光秀につかなかったことで、たまの立場は微妙になり、細川家の領土である丹後に幽閉されるという運命をたどった。
 それから許され、時は流れて、関ヶ原の時代になると、夫の星川忠興は、諸大名とともに、家康に従って、会津に向かって、
「上杉征伐」
 へと赴いていたのだ。
 滋賀にいた三成は、この時とばかり、家康にしたがって上杉征伐に出かけた武将の留守を襲い、女房子供を人質にして、自分に味方させようという作戦に出たのだ。
 卑怯に見えるが、圧倒的に弱い勢力で、強敵に立ち向かうのだから、これくらいのことをしないといけないということである。
 他の武将は、ある程度の抵抗をすれば、無駄だと思えば、そのまま人質ということになったであろう。
 しかし、たまの場合は違った。
 そこに、父である光秀のことが、今回のことに影響していたかどうか、本人ではないと分からないが、
「夫の足手まといにはなりたくない」
 という思いがあったことだろう。
 しかし、彼女は、少し前にキリシタンとして洗礼を受け、
「ガラシャ」
 という洗礼名までもらっているという、完全なクリスチャンであった。
 キリスト教では、
「人を殺めてはいけない」
 という戒律があり、それは、自分に対しても同じだということで、自殺も許されなかった。
 そこで彼女がとった手は、
「配下の者に、自分を殺させる」
 という方法であった。
 だが、この方法が果たしてよかったのかどうか難しいところである。
 なぜなら、
「自分が殺さないからといって、部下を殺人者にしてもいいのだろうか?」
 ということであった。
 あの場面では、そうするよりも仕方がなかったということなのかも知れない。少なくとも、自分を殺させた名もなき兵は、当然、キリシタンではなかったということであろう。
 ただ、この事件があったことで三成は作戦を変更せざるを得なかった。これ以上、この作戦を押し切ろうとすると、味方内部でも分裂を起こしかねないほどの、衝撃的なことだったのだろう。
 そもそも、大義名分が、
「豊臣家のため」
 ということなのだから、豊臣家のために働いている武将の家を襲撃しようというのだから、やっていることは、間違いなく、決してきれいなことではないだろう。
 そんな日本を東西に二分する戦において、光成の存在は、微妙だといえるのではないだろうか?

                3人のキャラクター

 今回のバーチャルゲームには名前がついていなかったので、景虎が勝手に。
「コウモリゲームにしよう」
 と言いだした。
 それを聞いて、他の4人は、誰も反対派しなかったのだが、たぶん、景勝以外は、
「何のことを言っているんだろう?」
 と思ったかも知れない。
 このゲーム、オンラインで、匿名性にしていることで、どこでも誰でも参加することができるのだが、そのために、実は、
「景虎と景勝が、リアルで知り合いだ」
 ということを知っている人はいなかったことだろう。
 しかし、実は、帰蝶も知り合いだった。
 彼女に、
「帰蝶」
 というハンドルネームを付けたのは、景虎だった。
 景虎というのは、リアルでは、
「いつも、輪の中心にいるような人間」
 だったが、自分では、目立ちたがり屋ではないと思っていた。
 逆に景勝は、本当は輪の中心になりたいと、言葉には出さないが、心では思っている。
 それなのに、輪の中心にはいつも、景虎がいる。どちらかというと景勝は、
「誰かに担ぎ上げられる」
 ということは多く、中学時代など、よく、生徒会長に立候補させられていた。
「お前だったら、大丈夫」
 という言葉に乗せられてるのだが、実際に立候補すると、まったく人気がないことに愕然とさせられるのであった。
 確かに最初は、乗り気ではないが、実際に始めてみると、その気になりやすいタイプだった。
 それだけ、
「なんでも、真正面から向き合う」
 というタイプだったのだが、今度は高校生になると、景虎と景勝の立場は逆転したのだ。
 景勝が、あれだけ一生懸命にやっているのに、報われなかったのが、高校生になると、逆に目立ち始めて、今度は、今までまわりにちやほやされる性格だったはずの景虎が、まったく目立たなくなった。
 いや、目立たないというか、逆にまわりから、嫌われるようになり、理不尽な孤独さを味合わされることになるのだった。
 そんな二人を、帰蝶は傍からずっと見ていた。
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次