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タマゴが先か……

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 という雰囲気であるが、実際にどうなのだろうか?
 元々、まわりと隔絶された生き物なのかも知れない。
「まわりと関りを持たない」
 というのが、元々の性格であり、その性格を、いかに表現すればいいかということで、考えられたのが、この
「卑怯なコウモリ」
 の話なのかも知れない。
 ただ、そう考えた方が、話としては、辻褄が合っている。
「卑怯な真似をしたから、コウモリは罰を受けたというよりも、コウモリの性質が、陰湿で、まわりと関わらない性格であったとすれば、理屈は合う。どうしても、
「その性格がいかにして育まれたのか?」
 ということを、追求しないといけないのが、童話の世界であり、必ず、教訓づけて言い表す必要があるということなのかも知れない。
 歴史を勉強していると、
「裏切者」
 というのは、必ず付きまとってくることだろう。
 しかも、いくつか種類があって、すべての裏切者が、同じものからの派生なのかどうか、よく分からなかった。
 日本史などで裏切者としてよく言われるのが、
「明智光秀」
 と、
「小早川秀秋」
 なのではないだろうか?
 本当のところは分からないが、自分が信長に苛められているという被害妄想を持ちながら、最終的に、
「何も悪いことをしているわけではないのに、自分の領地を取られる」
 ということなのだ。
 領地を取られるどういうことかというと、
「自分の配下の人間に与える給料がなくなる」
 ということである。
 そんなことは、自分を信じてついてきてくれた部下を見殺しにするようなものである。
 光秀はそれまでに、信長から、
「大衆の面前で赤っ恥をかかされた」
 あるいは。
「戦で人質になっている母親を見殺しにされた」
 などなど、数々のことがあった。
 光秀は、織田軍団の中でも頭脳派であり、足利幕府や朝廷ともパイプを持っている。しかも、しかも、意外と知られていないが、頭脳派でありながら、戦をすれば、全戦全勝、負け知らずというほどのつわものだったのだ。
 信長は、どちらかというと、
「子供の頃から、経験と実践で、知恵を身に着けてきたところがある。
「天は二物を与えず」
 というが、天から二物を与えられた光秀に対しての、嫉妬もあったのかも知れない。
 そういう意味では、信長と光秀というのは、
「天才肌」
 という意味では似ているところがあるのだろう。
 意外と似ている人間同士であれば、却って、反発しあうということもあるだろう。
 そういう意味で、光秀が信長を討ったのも分からなくもないが、問題は、秀吉との才覚の差だったのかも知れない。
 農民の出だからということで、織田軍団の中でも、馬鹿にされていた存在だった秀吉が、あれよあれよという間に信長のそばで出世していくのである。
 それを見ていて、
「秀吉など、論外だ」
 と光秀は思っていたのかも知れない。
 確かに、光秀は、
「思い付きから、中国征伐を途中でやめて、敵は本能寺ということで、信長を急襲した」
 ということになっているが、その割には、事後のこともしっかりと考えていた。
 元々それが、
「光秀の天才たるゆえん」
 なのであろうが、まさか、自分についてくれると思っていた武将たちが、皆誰もついてくれないというのは、意外だった。
 娘の嫁ぎ先である細川家からも、門前払いの状態。一番びっくりしたのは、光秀だっただろう。
 ひょっとすると、それまでに、秀吉との出世レースにおいて、
「あんなサルよりも、光秀度をひいきにする」
 とでも言われていたのかも知れない。
 何といっても、皆根底では、秀吉のことを、
「農民上がり」
 だということで、武士のプライドが、秀吉の存在すら許せないと思っているだろうと、光秀が感じていたとしても、それは無理もないことであろう。
 しかし、蓋を開けてみれば、孤独だったのは自分だったのだ。
 光秀が見誤っていたのは、それだけ、信長という人物を家臣団は奉っていたということであろう。
 まさか、自分が感じているのと同じとまでは思っているわけはないだろうが、どうしても、信長にはついていけないところがあり、煮え湯を飲まされたと思っている武将は数知れずだと思っていることであろう、
 しかし、皆は秀吉についた。なぜ秀吉についたのか、光秀も分からないだろう。
 正直歴史を勉強している人であっても、ここは、よく分かっていない。そもそも、言い方は悪いが、
「本能寺の変は、光秀の思い付きから起こったこと」
 といっても過言ではないだろう。
 なのに、なぜ秀吉が、備前で毛利と戦っていた秀吉が、こうも早く行動できるというのだろうか?
 いわゆる、
「中国大返し」
 と呼ばれることをやってのけたのだが、その後の、織田軍団筆頭の柴田勝家との戦である、
「賤ケ岳の合戦」
 の時も、美濃から取って返した、
「美濃大返し」
 というものをやってのけるのだが、この時は、
「雪で兵を動かせない勝家の隙をついて、勝家の領地を攻めることで、相手を引っ張り出すことに成功し、最初からの思惑通りの、
「美濃大返し」
 でだったろうが、中国の場合は、
「毛利に向かう密偵を、偶然山中で捉え、それで信長が討ち死にしたことを知った」
 ということである。
「偶然にしてもできすぎている」
 といえなくもない中で、よくあれだけのことができたというものだ。
 美濃の時は、中国の教訓があるから、いくらでも手の打ちようがあるが、中国はいきなりのぶっつけ本番だということではないか。
 そんな話から、本能寺の変における、
「秀吉黒幕説」
 が浮上してくるのだった。
「偶然知ったというわりには、仲間を集めるには早すぎる」
 という。
 そもそも、偶然知ってから、一日だけ、毛利と和睦するために、当地にとどまったが、それが終わると、例の中国大返しである。
 急いで帰ってきているところで、どうやって他の武士を調略できるというのか?
 誰も、本当にそのことに触れようとしない。
「中世最大の謎」
 といわれる本能寺の変、光秀一人の思い付きというのも、おかしな気がする。
 本能寺で、謀反の一方を聞いた信長が、
「誰の兵じゃ」
 と蘭丸に聞いた時、
「水色帰郷、明智十兵衛殿です」
 というのを聞いて、蘭丸から、
「殿、ここは我々が食い止めますので、殿は安全なところに」
 と、いわれたが、その時信長が答えた言葉が、
「たわけ。相手は光秀ぞ。アリ一匹通るわけがあるまい」
 といったという。
 それだけ、光秀の実力は認めているということだ。
 となると、やはり、
「光秀の天才肌が怖かったのではないか?」
 といわれているが、まさしくその通りなのかも知れない。
 光秀のことを考えていると、
「彼こそ、コウモリ」
 なのではないか?
 と思えてきた。
 さすがに、
「卑怯なコウモリ」
 というわけではないが、そのことを考えると、いわゆる、
「卑怯ではないコウモリ」
 というのは、結構いるのではないか?
 と思えるのだった。
 いつも孤独で、いかにも孤独さが滲み出ているように見えるのだが、それもきっと何か孤独を思わせるエピソードであったり、逸話があるのかも知れない。
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次