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タマゴが先か……

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「景虎」
「景勝」
「帰蝶」
 という三人の男女だったのだ。
 それぞれ、もちろん、会ったこともなければ、顔も知らない。このゲームは音声ができないので、声も聴いたことがない。今のところ、連絡を取るすべもなく、連絡を取り合うというところまで行っていないのであった。
 このハンドルネームは歴史好きの人であれば、ピンとくるだろう。
 最初の景虎というのは、実は二つの意味がある。一つは、
「長尾景虎」
 つまり、上杉謙信が、関東管領である上杉家の名前を受け継ぐ前の名前である。
 そして、もう一つは、その上杉謙信が、後北条氏から、養子にしたことで、名前を、
「景虎」
 と改めさせたのだった。
 それだけ期待していたということであろうが、言い方を変えると、
「人質」
 と言ってもいいだろう。
 そして、上杉謙信の甥にあたるのが、景勝であった。
 彼のそばには、絶えず、直江兼続という参謀がついていた。そのことが、彼の人生に大きな影響を与えることになるのだ。
 上杉謙信が亡くなって、その時、
「後継者と誰にするか?」
 ということを言っていなかったことで、景虎と景勝の間で、後継者争いとなる、
「御館の乱」
 が勃発することになる。
 ここで、勝った景勝が、
「上杉謙信の後継者」
 ということになるのだが、ここでの、
「景虎」
 というのが、普通であれば、
「上杉謙信のこと」
 というのであろうが、本人とすれば、
「御館の乱で敗北した景虎だ」
 というのである、
 そう、そもそも、このゲームは、
「孤立した精神を持つ人間をあぶり出す」
 というような、そんなゲームではなかったか。
 通常の精神状態というわけではないので、このゲームに参加している人間も、
「普通じゃないだろう」
 ということも分かっているのだ。
 このゲームの参加人数は、5人、これが、このゲームの定員だった。
「これ以上多くてもダメで、少なくてもダメだ」
 というもので、最初から決まっていた。
 だから、5人があっという間に集まれば、そこで募集は打ち切られることになり、さらに、ネットから、削除されるのだ。だから、5人があっという間に集まれば、
「そんなゲームあったんだ」
 ということになる。
 しかし、もし、人が集まらなかった場合はどうだったというのか?
 もちろん、4人目までは普通に受け付けるが、受付でなかなか5人集まらない場合は、二つの場合に限られていた。
 最初の、1カ月を限度として、まず、
「そこまでに、4人、集まっているか?」
 ということが、問題となる。
 もし、1カ月のリミットまでに、4人が集まっていなければ、1カ月経った時点で、募集が強制的に打ち切られ、この企画はなかったことになる。
 しかし、1カ月経った時点で4人であれば、もう1か月募集が伸びることになる。つまりは、
「1人の募集のために、今度は1カ月をかける」
 ということであった。
 今回の募集においては、5人が普通に集まった。
 つまり、あっという間に5人が埋まったというわけでもなければ、思ったよりも、時間が掛かったというわけでもない。
 ましてや、1カ月が経った時点まで、5人が集まらなかったというわけではないという意味で、
「普通」
 という表現をしたのだ。
 最初から、1カ月までに、3人までしかいなければ、ゲームオーバーということになる。
だから、この場合は論外である。
 1カ月経って、4人だった場合は、そこからさらに1か月。最大2か月の、
「猶予」
 が与えられるということになるのだった。
 だが、普通に考えると、
「1カ月経っても、最期の一人がこなかったのであれば、さらに1か月というのは、ほぼ絶望なのではないか?」
 と思うだろう。
 ここの参加者のうちの、三角関係となる3人は、皆そう思っていた。
 他の二人は、3人の中では眼中になかった。
 元々、このゲーム参加者は、
「孤独な人間の集まり」
 みたいなものであり、それは、リアルでも、バーチャルでも同じだろう。
 ましてや、バーチャルの方が余計に、その傾向は強いのかも知れない。
 ということは、
「皆それぞれ、向いている方向は、バラバラだ」
 ということであろう、
 この3人も、リアルな時には、まったく明後日の方向を向いている。人と話している時でも、その人の顔を見ようとはしない。相手はそのことにすぐに気づいて、
「こいつは、ヤバいやつだ」
 ということで、相手にされないようになるだろう。
 元々、時分から相手にしようとは思っていないのだから、相手が相手をしないと思っても、自業自得というものだ。
 しかし、それ以前に、彼らは、そんなことはどうでもいいのだ。人との関係を億劫だと思いたくないということから、
「最初から気にするからだ」
 と感じるのだ。
 他人のことを気にしさえしなければ、何とでもなると思っている。
 よく、
「人は一人では生きてはいけない」
 と言われるが、ここに集まってくる人たちは、そんな言葉を一切信用していない。
「人は確かに一人では生きていけないのかも知れないが、それは、人全員ということではなく、少なくとも、俺らは生きていけるさ」
 と思っていた。
 こんなことを、他の連中に話せば、
「何を想いあがっているんだ。親から生まれて、親のすねをかじっている分際でよくそんなことが言える」
 と、皆がいうだろう。
 しかし、彼らは、
「俺たちは、生まれる自由はないんだ。どの親から生まれてくるかということを選ぶ権利もないじゃないか」
 というようなことをいう。
「屁理屈だ」
 と言われるが、たぶん、他の連中は、
「屁理屈だ」
 とまで言わないだろう。
 それ以前に、
「こんなやつらの相手はしない」
 と思っているからで、
「実際に、屁理屈なのだが、間違ったことは言っていない」
 というような、
「結論が正しければ、それでいい」
 という考えを持っているのだ。
 そういう意味からか、
「生んだのだから、育てるのは当たり前」
 という考えであった。
 理屈は確かにその通りだ。ごくまれに、子供ができたはいいが、育てられないということで、
「コインロッカーベイビー」
 などと呼ばれた時代があった。
 今でも、大きくニュースにはなっていないが、育てられないからといって、どこかの家の前に、まるで、ペットを捨てるかのような気持ちで、子供を捨てる親がいたりする。
「赤ちゃんポスト」
 などというものも存在し、
「子供を諸事情から育てられない親が、匿名で預ける施設」
 のようなものもあったりする。
「人道的にどうなのか?」
 あるいは、
「未成年の妊娠を抑制できなくなる」
 などという理由で否定的な人もいるが、実際の子供が殺されて生きされるというようなことを思えば、
「かなり安心だ」
 と言えるのではないだろうか。
 今回の心理ゲームの中で、本来は、
「孤独な人間を探す」
 というのが表向きであったが、実はその裏に、
「裏切者を探す」
 という考え方があるようだった。
 特に、元々は、
「卑怯なコウモリ」
 のような、
「日和見的で、自分が助かるためには、まわりを欺いたために、孤独で陰湿なところに追いやられた」
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次