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タマゴが先か……

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 自分がまとめる力さえ持っていれば、それでいい。ただ、今のように、
「卑怯なコウモリ」
 という悪しきインパクトを持ったままでは、それも難しいといってもいいに違いないのだ。
 そんなコウモリは、暗いところから出てくることはできない。
「目が見えない」
 ということは負い目でもあるが、その分、
「俺には、世の中の汚い部分が見える」
 と言ってもいいだろうと思っている。
 要するに、
「コウモリを助ける」
 という存在だ。
 そもそも、コウモリというのは、
「暗闇の湿気のある陰湿な場所に生息していて、夜中を行動パターンとする」
 というような、一種の、
「隔絶された世界に生きている」
 と言ってもいいだろう。
 しかも、
 コウモリを助ける存在というのが、女だったらどうなのだろうか?
 この世界においては、バーチャルな世界と、リアルな世界が交錯しているようなところであり、今のところ、バーチャルな存在として、その中で、ハンドルネームというものを使って、いわゆる、
「プレイ」
 をしていた。
 まるで、
「バーチャルではあるが、今は当然と言ってもいいが、リアリティな、
「3Dゲーム」
 という感じである、
 かつて、
「世界的なパンデミック」
 が起こり、政府が人流抑制のために行った、
「緊急事態宣言下」
 において、誰もが、
「おうち時間」
 というもので、ストレスを感じている中、
「オンライン」
 というものが普及し、
「リモートワーク」
「オンラインでのバーチャルなゲーム」
 というものがクローズアップされてきたのだ。
 この物語は、まずは、そんな、
「バーチャルオンラインゲーム」
 のキャラクターが引き起こした話であり、最初は事件というのは、あまりにも些細なことだったのだ。
「これが今の世の中なんだな」
 と大人も、複雑な思いだったことだろう。
 そんなゲームの中で、
「孤立した人間が誰なのか?」
 ということをあぶり出して、
「その人間を改心させよう」
 というバーチャルゲームであった。
「孤立した人間というのが、どういう人間なのかというのを、皆で、心理ゲームのような形で言い合って、それをゲームとして行うことで、本人も分かっていない、孤立する性格をあぶり出そうというのだから、正直、誰か先生がいないと、本来の正解は分からないだろう」
 ということであったが、そんな遊びをやっていると、不思議と、
「孤立する人間には、お助けになる人間がくっついてくる」
 という、
「あるある」
 に遭遇したのである。
 元々、彼らは、孤独ではなく、
「自分の種族だけで、飛び回っていた」
 ということであった。
 しかし、ある時、そのうちの一匹が、
「君主になろう」
 と企み、そもそも、君主を必要としていなかったことで、君主のような纏める人間が必要だということに、気づかなかったのだ。
 彼らの知能は、そんなに発達していなかった。そもそも、動物は本能で生きるものだったのだろうが、ちょっとでも知恵を持つと、
「集団で行動する」
 ということの意義を見つけることができるようになる。
 だから、人間は、ここまで発展したのであって、人間も昔は、
「自分たちの群れの中で生きている」
 ということに何の疑問も持たなかったのかも知れない。
 しかし、ある時、いろいろなことを覚えていく。そこに神の存在が介在しているのかどうかまでは分からないが、
「集団で行動することで、感情を持つようになると、寂しさが分かるようになってくる」
 と言えるだろう。
 寂しさが分かってくると、
「今まで、漠然と他の連中と一緒にいたことが、群れというものだということに気づいてくる」
 というわけだ。
 そして、一人になると寂しいという感情が湧いてきて、
「孤独は嫌で、怖いものだ」
 と思うようになってくる。
 そのせいで、孤独を正当化しようと考えると、
「自分は他の連中とは違うのだ」
 という、自己顕示欲のようなものが生まれてくる。
 だから、その思いが、自分のまわりに、人を侍らせるということに繋がってきて、そのうち意識が、
「オンナ」
 というものに近寄っていくのだ。
 こちらも、性欲が付きまとう。ただ、これは人間に限ったことではなく、どの動物にも言えるように、
「性というものが、恥辱なもので、恥ずかしい、という羞恥心を持つことが、正当化だ」 
 と考えるようになると、
「他の動物にはない人間の優れたところは、羞恥心を持っていることだ」
 と言えるのではないだろうか?
 だから、聖書でも、男と女が裸でいることの恥辱を、最初に知ることになるということなのではないだろうか?
 コウモリのような動物にとって、人間における、
「恥辱」
 というものは、
「孤独なのではないだろうか?」
 だからこそ、何としてでも、うまく乗り切ろうと、卑怯と言われるような、行動を取ったのかも知れない。
 そんな恥辱の中で、
「本当は寂しいくせに、群れを成すことを嫌がり、一人でいることを望む。それが、コウモリの性格と言ってもいいだろう」
 コウモリというと、目が見えないということから、どうしても、猜疑心が強くなるようだ。目の前にいても、コウモリというものを意識すると、その猜疑心からか、急に相手の姿すら、見えなくなってしまうという、そんな感覚になってしまうのではないだろうか?
 もちろん、極端な例で、すべてのコウモリがそうだともいえないし、コウモリ以外の動物の中にも似たような性格の動物がいないとも限らない。
 特に人間などは、
「猜疑心の塊」
 という人は山ほどいるといってもいいだろう。
 そもそも、猜疑心という言葉は、人間が作った言葉であり、その言葉からなのか、猜疑心というと、
「一番人間らしい」
 と言えるのではないだろうか?
「猜疑心が強いから、嫉妬というのをするのか? それとも、嫉妬をするから、猜疑心が生まれるのか?」
 という人がいたが、基本的にが、猜疑心が生まれるから、嫉妬という感情が生まれるのだと言われる。
「猜疑心は、心に芽生えた意識であり、そして、嫉妬は、感情だ」
 と言えるだろう。
 だから、芽生えた意識から、感情が生まれ、その感情が、行動を起こす。つまりは、
「結果として起こった行動は、嫉妬という感情から生まれる」
 ということで、どちらかというと、猜疑心は、あまり意識されないかも知れない。
 もちろん、
「嫉妬の原因は何か?」
 ということで突き詰めていくと、最初のぶち当たるのが、猜疑心である。
「猜疑心と嫉妬は、対称物であって、切っても切り離せない関係にある」
 と言ってもいい。
 しかし、そこには、意識をすることはないが、れっきとした主従関係のようなものが存在しているように思えてならないのであった。

                 新ゲーム

 今回の心理ゲームの参加者は、5人だった。
 その中で、そのうちに三角関係のようなものが持ち上がってきているように見えるのだが、その関係は、
「男二人に、女性が一人」
 であった。
 ハンドルネームは、元々、
「歴史好きの人間がターゲット」
 ということで、しかも、戦国時代に造詣の深い人が多かったことで、
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次