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タマゴが先か……

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 のレッテルを貼られたが、人が動いたのを見て、自分たちも動いたという意味で、
「どちらが卑怯なのか?」
 ということである。
「横断歩道、皆で渡れば怖くない」
 というが、確かに、兵の規模からいうと、とても、最初に突っ込んでいくのは、勇気がいるだろう、
「もし、他の連中が密約通り裏切りをしなかったら?」
 と考えると、裏切るといっていた連中が、こっちに向かって攻めてくるのだ。とてもではないが、犬死dしかない。
 と言えるだろう。
 しかも、万が一生き残ったとしても、裏切った相手が負けてしまうと、自分の裏切りはただの、
「貧乏くじ」
 でしかない。
 裏切りを密約させられた方も難しい。
 たとえ、自分の活躍があったとしても、孤軍奮闘であれば、結果、待っているのは、制裁しかない。
「あのまま、身かtでいれば、論功行賞にも預かれたのに」
 と思うのだろうが、しかし、もし、関ヶ原で西軍が勝っていればどうなったであろうか?
 確かに、徳川の時代ではなかっただろうが、三成が勝ったとして、自分を中心とした政治ができるのだろうか。
 あくまでも、
「秀吉あっての、三成」
 だったのである。
 三成が天下を握っても、誰かをトップにしないと、うまくはいかない。
 となると誰か?
「宇喜田秀家は若すぎる。大谷刑部とて、あくまでも、自分と同じで駒の一人であり、天下人ではない」
 そうなると、考えられるのは、毛利か上杉くらいしかない。もう前田利家も亡くなってしまっていないのだ。
 となると、
「果たして、毛利輝元で大丈夫なのか?」
 ということになるだろう。
 案の定、毛利輝元は、家康からけん制されて、
 関ヶ原では、
「陣を張るところまでは行ったが、まったく動かなかった」
 ということで有名であった。
 ただ、考えてみると、徳川軍も裏切りがあったから、うまく勝つことができたのだが、別動隊である、約半数の軍が、中山道にて、真田軍に足止めを食うという、息子の秀忠による、
「大失態」
 によって、圧倒的な兵力さだったものが、
「ほぼ、同数」
 というくらいにまでの戦闘状態に持ち込んで、善戦したのだった、
 もちろん、裏切りさえなければ、
「西軍が勝っていた」
 かも知れない。
 下手をすれば、小早川の裏切りがあったとしても、他の小規模な隊の裏切りがなければ、西軍が勝っていたかも知れない。
 そうなった時、小早川は確実に裏切り者として、制裁を受けるのは当然である。
 しかし、問題はその跡だった。
 もし、西軍が勝ったとして、その後の世の中を、
「じゃあ、誰の天下になるのか?」
 ということになると、今度は、絶対的な主君がいないことになる。
 そうなると自然と、内輪もめが生まれたりして、せっかく、統一された天下がバラバラになり、また戦国時代に逆戻りということになるだろう。
 信長、秀吉、家康。
 それぞれに天下を握り、それぞれの目的だったり、国家建設の青写真があったであろうが、その共通の目的は、
「戦国の世を終わらせる」
 ということであるのは間違いのないことであろう。
 そのことが分かっているから、徳川幕府は、徹底的に、大名を取り締まり、徳川の天下を知らしめることに成功したのだ。
 三代将軍家光の時代までに、ほとんどの外様大名が改易させられた。しかも、中には、三河以来の、重鎮であっても関係なく、本多正純であったり、家光の弟の忠長ですら、改易させられるということになったのだ。
 それだけしないと、天下を治めることはできず、どこかで戦火の火種が生まれるということになるのだろう、
 だから、ある意味、日本人が、
「判官びいき」
 でなければ、小早川秀秋は、
「徳川260年の歴史を築いた英雄」
 ということで、持てはやされたのかも知れないが、実際には、
「味方を裏切った」
 という方がイメージが強い。
 これは一つは、
「豊臣びいき」
 という発想が強いからではないだろうか?
 豊臣秀頼という男が、秀吉とは正反対で、身体の大きな、
「頼れる大将」
 という雰囲気になったことも一つだろう。
 しかし、もう一つは、母親である、
「淀君」
 の存在が大きいのではないだろうか。
 息子可愛さということで、徳川の天下になることを許さない。しかも、それが、太閤を裏切ることになるというのだから、特に大きなことである。
 それを考えると、
「秀吉の正室である、ねねの態度は大人であった」
 と言えるだろう。
 淀君をなだめながら、冷静に天下の動向を見極め、
「今の世の中をまとめていくのは、徳川でなければダメだろう」
 ということも分かっている。
「秀頼が悪い」
 というわけではないが、武士としての求心力を考えると、誰が考えても家康であることは火を見るよりも明らかだといえるのではないだろうか。
 そもそも、
「裏切り」
 ということは、関ヶ原に限らず、
「諜報合戦」
 などで用いられることも多い。
 これは、昔からあることで、一番多いのは、自分の敵である相手に対して、
「謀反の疑いをかける」
 などして失脚させるというやり方である。
 例えば、将軍や、天皇の側室が、
「自分の産んだ子を、次の天皇、あるいは、将軍の座につけたい」
 として、正室の子に、
「謀反の疑いをかけることで、捉えるように仕向け、そのまま斬首にしてしまう」
 などというやり方である。
 ここでは、誰か、狙っている相手をたきつけるための、その人物の仲間として君臨している人間を、その信頼を踏みにじる形で裏切らせ、そそのかされた相手を、この時とばかりに、
「自分が証人だ」
 ということで名乗りでれば、容疑はのっぴきならないものになるに違いないだろう。
 そう思うと、何を言っても、もうダメである。斬首か切腹か、せめて、どこかに島流しかということで、失脚するしかなくなってしまう。
 それこそ、
「まるで身内の裏切り」
 のようなものであり、何度も繰り返されてきたことだった。
 だが、あまりにも多すぎるということや、時の権力者が考えることは同じだということで、目立たない。
 それをいいことに、あまり歴史で教えることも少ない。
「だが、この変の歴史を勉強するのが、一番興味深いところなんだけどな」
 と思う、歴史ファンも少なくはないだろう。
「裏切り」
 というものは、大なり小なり、あまりありがたくないものだ。
 しかし、コウモリのような、
「あまりありがたくない」
 と言われている人たちの中に存在していればどうだろうか?
 そもそも、日和見的な行動をしているコウモリのまわりに、
「裏切り者を自認しているような、そんな裏切り者がいたとすれば、どうであろうか?」
 と考えるのだ。
 元々、コウモリというと、日和見的だということもあり、あまり印象がよくない。
 ただ、贔屓目に見ると、
「コウモリは、自分で武器も持っているわけでもなく、身を守るだけの力があるわけではない。したがって、諜報作戦などに長けていないと、生き残っていくことはできない」
 ということになる。
 つまりは、コウモリにも、自分がその役目を負うわけではなく、
「参謀」
 のような者がいれば、それでいいのだ。
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次