タマゴが先か……
といって動いてくれない。
動かそうとすると、
「自殺をする理由はどういうものなのか?」
と聞かれて、それをいうと、今度は、何かの犯罪に絡んでいるとすれば、いくら捜索してほしいとはいえ、簡単に口を割るわけにはいかなかった。
少なくとも、精神異常で自殺をするのであれば、そこには説得力はない。
まさかとは思うが、
「精神異常者が死にたいと思うのであれば、そのまま死なせてあげるのが人情だ」
という考えを持つ人もいるかも知れない。
そもそも、精神異常になるのは、
「元々生まれついての素質や、親からの遺伝のようなものがあった」
というのか、あるいは、
「母体にいる時、母親が大きなショックがトラウマになってそのまま生まれてくることになった」
ということなのか、あるいは、
「生まれてきてからの育つ環境において、気が狂うくらいの大きなトラウマが身についてしまった」
ということなのか、それぞれに可能性はあることだろう。
ただ、自殺を絶えず考えている人が、思春期には結構いたりする。
特に女性など、
「リストカットのためらい傷」
というものが、手首に無数に残っている人もいるだろう。
それを考えると、自殺というものが、いかに無意味だと、その時に感じたのかということと、
「人間、そう簡単に死に切れるものではない」
ということと、
「死ぬ覚悟など、そう何度も持てるものではない」
ということ、それぞれが、同時に頭の中に湧いてきたりするものではないだろうか?
昔の人と、今とでは環境も違えば、考え方も違う、何と言っても国家体制が違ったからである。
戦前は、
「大日本帝国」
という、天皇を中心の中央集権国家である、
「立憲君主」
の国であった。
ただ、今は、憲法によって、
「国民主権」
「基本的人権の保障」
「平和主義」
という三本柱による、
「民主主義国家」
になっているのである。
戦前の主権は、天皇であった。天皇が憲法に則って、基本的には最終決定を下す。ただ、絶対的な権利があるのは、軍にだけであり、基本的に政治には口を出さないというのが、建前だった。
それが、敗戦によって、
「天皇制をどうするか?」
というのが、連合国の問題であった。
「天皇に戦争責任を押し付けると、日本という国の国民性から考えて、占領地域の治安を守ることができなくなる」
という理由から、天皇制は残すが、象徴としての存在に変わった。
それまでの天皇は、
「君臨すれど統治せず」
という形であった。
確かに、最終決定は天皇であるが、御前会議に上がってきたものを、承認するだけというのが、天皇の立ち位置であった。
その天皇には、
「元老」
と呼ばれる、ご意見番たちがいる。
彼らは、元首相経験者であったり、元帥であったりする猛者たちで、彼らの意見を天皇は聞くことが政治の一つのパイプだった。
そんなご意見番のような人たちをことごとく殺害したのが、
「226事件」
であった。
天皇は、自分の腹心と言える連中を殺されて激怒した。しかも、天皇は軍において、
「大元帥」
という立場であり、軍自体は、天皇直轄なので、すべての指示は天皇から出てくるものであった。
しかも、天皇からすれば、
「彼らは、自分の許可もなく、勝手に軍を動かし、殺害を行ったのだ」
というだけでも、当時は死刑に値する。
つまりは、
「軍を天皇の命令なしに勝手に動かすというのは、許されることではない」
ということだった。
しかも、それが、大将や元帥などと言った立場の人間であれば、まだしも(そんな立場の人間がそんな大それたことをするはずもないのだが)、動いたのは、大尉や中尉などの青年将校だというではないか。普通に考えても、天皇のメンツは丸つぶれであり、
「天皇の大権を侵犯した」
ということは死刑に値するというわけだ。
もっとも、クーデターによる政府転覆計画なのか、それとも、陸軍内部の派閥争いなのか、正直分からない様子だった。
そもそもの事件を冷静に見ていると、殺された要人たちは、自分たち皇道派と呼ばれる人間を敵対している大臣たちの殺害だった。
大臣と言っても、総理大臣などは、ほとんどが陸軍出身者が多く、その次に海軍出身者、そして、政党による総理大臣選出だったりするのだ。
内閣がいきなり総辞職ということも、この時代には結構あった。
しかも、天皇が、余計なことを言ってしまったがために、責任を取って総辞職した、
「田中義一内閣」
もあった。
または、暗殺によるものもあれば、政策を見誤ったことでの、総辞職もあったのだ。
そういう意味では、今の自民党政権の内閣は、なかなか辞職をしない。世間から突き詰められたり、マスコミに攻撃されても、しぶとく粘っていたりするのだ。
それを考えると、当時の政権は、野党が強かったのか、それとも、軍による干渉が大きかったのかである。
例えば陸軍が、当時の内閣を潰そうとすれば、できなくはない。
現職の陸軍大臣を辞職させ、さらに、退役軍人を含めたところでの陸軍大臣を選出しなければいいだけで、陸軍大臣が空白になった場合、誰かが兼任ということになるが、さすがにそれを陸軍が許さなければ、成立できない。
実際にここまでのことがあったかどうかは分からないが、陸軍が気に入らない内閣を政府が作ろうとした場合に、陸軍大臣候補を出さなければ、自然とその内閣は組閣に失敗したことになり、内閣自体の成立は不可能になり、
「幻の内閣」
ということになる。
何といっても、そこが難しいところで、組閣というのは、天皇が任命した首相が行うものなので、ある意味、
「陸軍は、天皇の決定に不服である」
と言っているのと同じことになるのだった。
そんな時代が、戦前の、
「大日本帝国」
だった。
軍備拡張による軍事大国、さらに経済大国でもあった日本の軍事力は、侮ることのできないものだった。
それはアメリカが身に染みて分かっていることで、それだけに、日本の平和主義は、不可欠な状況だったのだろう。
大日本帝国が、敗戦によって崩壊し、占領軍によって、急激な民主化が進む中、警察も次第に、民主警察となっていった。
それまでの、特高警察であったり、治安部隊のようなものはなくなり、脅迫や自白強要、さらに、国家思想の押しつけなどといったものはなくなった。
確かに、戦時中の戦争遂行においては、一人でも、
「戦争反対」
と叫ぶものがいれば、政府や軍とすれば恐怖であろう。
元々、無理な戦争をおっぱじめた形になってしまったもので、日本人にとって、団結が崩れると、今度は別の団体が生まれてくる。
それが反戦であったり、共産主義革命であれば、戦争に邁進している国家の根底から裏返ってしまうことになる。
当然、戦争を継続させるために、民衆を戦争に駆り立てるプロパガンダを発出する。
プロパガンダというのは、どこの国にでも、戦争を行う以上、切っても切り離せないのだ。
戦争継続には、莫大な戦費が掛かるし、長引けば長引くほど、国民生活はひどいものにあり、政府に対して不満の一つも出てくることだろう。
それが次第に大きくなっていき、