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タマゴが先か……

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 ということを、彼女自身も自覚していると感じていたのだった。
 そこに、多分の思い入れの強すぎる場面があるのだろうが、それを、帰蝶は、
「少しあからさまなところがある」
 と思っていたが、悪いようには感じていたわけではなかった。
 景勝と景虎がどう感じていたのか、細かいところまでは分からないが、
「帰蝶を輪の中心に持ってくれば、俺たち三人の関係はいいものになる」
 と二人の間では、言われていたのであった。
 もっとも、男二人は、
「俺たちは、性格こそ違えど、技量という意味でも、真ん中に帰蝶を置いた配置をした上においても、互角であることは否めない」
 とそれぞれに思っていた。
 相手がそう思っていることは分かっている気がしていたが、それでも、
「相手よりもこの気持ちは自分の方が強い」
 というような意識があった。
 その差は微妙だと思いながらも、
「ささやかながら、贔屓目に見たとしても、俺たち二人が争いになった場合、結論がどうなったとしても、結論が出るまで、どんなに傷つこうが、戦いを止めることはないに違い合い」
 と考えていたことだろう。
 景勝と景虎は、最近になって、
「帰蝶との接し方」
 について、それぞれに考えるところがあった。
 しかし、景虎とすれば、
「俺たちは一度付き合って、お互いに、この人とは違うと感じたのだから、すでに、景勝との間に、大きな壁を作ってしまったのだろうな?」
 と感じていて、景勝に後ろめたさを感じていた。
 しかし、帰蝶の方にはそれがなかった。
 というのは、
「景勝には、この間まで彼女がいた形跡を感じる」
 と思っていた。
 ただ、これは形跡という形のあるものではなく、実態がハッキリしない、
「臭い」
 のようなものだと自覚していたのであった。
 これがいわゆる、
「女の勘」
 というところなのであろうが、
 その言葉だけでは片付けられないような何かがあった。
 最初、どうして、こんなにおぼろげな、勘というような気持ちなのか分からなかったが、それを教えてくれたのが、この鹿之助というハンドルエームの人だった。
「ゲームをしているだけなのに、何か強い力を感じる」
 と思っていた。
 しかし、逆に、
「この人が、一番この5人の中で、一番、関係のない人物」
 つまりは、
「蚊帳の外」
 とまで言い切っていいのかも知れないと思ったのだが、そう思ったとしても、この人の存在感は揺らぐものではないと思っていたのだった。
 今回において、この、
「鹿之助」
 なる人物が、3人にいかなる影響を与えるかということが、どうしても気になるところであった。
 では、もう一人のハンドルネームの、
「光秀」
 というのは、どういうことなのだろう?
 確かに、光秀というと、
「主君である織田信長を本能寺で討ち取ったはいいが、その後、三日天下と言われるように、秀吉の動きを読むことができず、想定外のことを数々秀吉が行うことになって、光秀の思考回路はパニックを起こし、その混乱から、体勢を立て直すこともできず、討ち取られてしまった」
 ということになるだろう。
 しかし、この本能寺の変において、光秀が、
「見誤った:
 ということを、悪いことだと言っただけで済まされることであろうか?
 要するに、この話は、いろいろ言われるが、
「仇討に対しての美談」
 を語られていることになっている。
 それもこれも、主君の仇討として名乗りを挙げた秀吉が、見事に仇討の相手である、明智光秀を討ち取ったことで、
「正義は勝つ」
 というような、勧善懲悪の形が出来上がってしまったのだろう。
 確かに、光秀の思い込みだったのだろうが、信長は、言われているような、
「うつけな態度は、世間を欺くためのものであり、実際には、頭がよかった」
 と言われるような信長が、そんなに簡単に、やられるものだろうか?
 確かに寺を住居とし、兵の数も大したことがなかったのだから、討ち取られるのも当たり前というものだろう。
 だが、そう考えるのは早急で、信長ほどの男が、そんな簡単なことに気づかないわけはない。
 実は、名前に、
「本能寺」
 と寺がついていることでm普通のお寺の庫裡のようなものを想像するかも知れないが、本能寺というのは、
「お城」
 といっていいほどの備えがあったらしい。
 ひょっとすると、宿泊した部屋には、床の間があり、そこを開くと逃げることもできたのかも知れない。
 それくらいのことを考えて、宿を決めたに違いない。
 信長は、この時分かっていたはずだ。
「自分が今、どこかで死んでしまうと、せっかく築き上げてきたものが、崩壊し、結局は時代を逆行する形で、また、完全な戦国の世がよみがえってくるのではないか?」
 と考えていたに違いない。
 それなのに、むざむざ光秀に討たれたというのも、おかしなものだ。
 誰よりも自分の役目を分かっていて、
「戦のない世」
 を、誰よりも目指していて、その建設に一番近いのが自分だと思っていたことだろう。
 戦のない時代にしておいてから、新しい時代を作るというのは、遅すぎる。だから戦のために必要ということで、堺の港を欲しがったのも、理屈に合っているわけだ。
 足利義昭は、信長を室町幕府の副将軍の位につけようとしたが、拒否、その代わり、堺の街を拝領したのだが、その真意を分からずに、
「なんだ、それっぽっちでいいのか?」
 と言ったのを聞いて、
「しめしめ、しょせん、将軍と言っても、こんなものだ」
 とほくそえんだに違いない。
 だが、そんな信長を誰が一番理解できたというのか、実際には秀吉だったのかも知れないが、信長はそれを光秀に期待していたのかも知れない。
 あくまでも、古いしきたりや、朝廷や幕府に対しての思い入れから、彼らに気を遣うことばかりを進言する。
 本当はその役目を自分が担うはずだと思っている信長に対して、
「光秀は何も分かっていない」
 と思ったのか、反発はすごいものだった。
 光秀が、自分の考えていることの反対をいつも押し付けてくる。
 それが逆に徹底していて、すべてにおいて、信長と敵対するかのような気持ちであれば、信長も、ここまで光秀につらく当たることはなかっただろう。
 しかし、信長の考えていることに、ことごとく反対しているかのようにしか見えなかった。
 逆にその強さが徹底しているとすれば、信長もここまで怒ることはなかっただろう。
 しかし、中途半端であったのだ。
 そもそも、信長も、別に朝廷や幕府に逆らうつもりはなかったのだ。しかし、朝廷や幕府の方で必要以上に意識したことで、義昭による、
「信長包囲網」
 などというものが形成され、さらに宗教団体からの攻撃に悩まされていたことだろう。
「そもそも、寺院が兵装しているというのは、何事か?」
 というのが当たり前の発想であろう。
 比叡山を焼き討ちした時も、
「あれは城だ。城を攻めて何が悪い。それによって、地獄に堕ちるというのであれば、閻魔大王を論破してやるわ」
 と言ったと伝えられているが、そのあたりが、信長という男の性格を表しているのだろう。
 信長だって、最初から無抵抗の相手に奇襲をかけて、寺を焼いたわけではない。
作品名:タマゴが先か…… 作家名:森本晃次