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双子

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「兄貴の気持ちが分かるということは、それは、自分と同じ性格だということではないか?」
 と思ったのだが、最初は、
「そんなバカな」
 と、兄貴の気持ちが分かる部分は、
「俺にはない部分なんだろうな」
 と感じるところばかりだったのだ。
 否定したい気持ちは、やまやまだが、逆に兄貴の方は、弟が、
「そんなバカな」
 と思っていることを、疑うことなく感じているという。
 そもそも、その性格が、
「まったく似ていないところではないか」
 と言えるのではないか。
 俺にとって、兄貴という存在は、正直。悔しいが、なかなか追いつけないものを持っている。それが何かというと、
「似て非なる者ではないか?」
 と感じることであった。
「そもそも、双子なのだから、似ているところはたくさんある」
 という気持ちに変わりはない。
 しかし、その気持ちを必要以上に否定しようとしている自分がいるのだ。
 なぜここまで必要以上になるかというと、やはり、双子だという事実は、簡単に覆すことはできない。
「事実は変えられないが、真実というものは、変えることができるんじゃないか?」
 と、これは、小学6年生くらいの頃に感じたものだ。
 今から思うと、小学6年生くらいがピークで、思春期に入ってくると、その悩みや特別な感情が渦巻くことで、自分が分からなくなり、思考が混乱することで、自分自身、思考が後退しているように思うのだった。
 そんなことを考えていると、
「俺は小学校6年生くらいの頃には何を考えていたんだろうな?」
 と、ついこの間のことだったはずなのに、考えてしまう。
 中学に入ると、急に太り出した忠次は、自分の中で、
「何かのホルモンのバランスでも崩れたかな?」
 と考えた。
 普通なら、
「食べすぎや、栄養のバランスを考えていないからだ」
 と思うのだろうが、
「だったら、双子で、自分と同じ食生活の兄貴も同じではないか?」
 と思えるのだが、実際には、太ったのは自分だけだった。
 そうなると、後は言い訳を考えるだけ、浮かんできたのは、ホルモンのバランスということだったのだ。
 ただ、もう一つ思ったのは、
「思春期というのも、その一つではないだろうか?」
 ということであった。
 ホルモンのバランスが崩れるということは、
「思春期だから」
 というところに返ってくるのだ。
 思春期というのは、
「肉体の変化に精神がついてこれない」
 というところから起こったことではないかと、思春期を抜けてから考えた。
 精神と肉体のバランス。まさに、ホルモンの関係ではないか。
 しかも、男性と女性でホルモンが決定的に違う。逆に言えば、
「ホルモンが違うから、男性と女性が存在する」
 と言ってもいいだろう。
 男と女の一番の違いは、
「子供を産むことができるかどうか」
 というのは、分かり切ったことである、
 だから、思春期になると、男女とも、
「異性を求める」
 という気持ちになるのだ。
 だが、それは一足飛びにあるものではない。
 異性を求めるまでに、まずは異性に興味を持つ。さらに、自分を中心として、身体に変化が生まれてくるだろう。
 女性は初潮があり、男は、生殖機能としての精子の生成が始まる。
 それによって、精神的に、自分にないものを持っている異性に興味をいだくのは、それこそ、
「人間としての本能」
 であろう。
 人間の身体は実によくできている。
 身体が、異性を受け入れられるようになってくると、精神的にも異性を求めるようになる。
 異性がまわりにいないと、おかしな気分になり、
「これを寂しさというのか?」
 という。家族が少しの間いなかったり、まわりに友達が一人もおらず、味わう孤独感とは違うものだ。
「家族には、絆のようなものがある。それが血の繋がりというものだ」
 ということで、
「家族だけは特別だ」
 と思うであろう。
 しかし、これが異性になると感情が違う。絆のようなものは感じないが、その代わり、身体がムズムズするのだ。何とも言えず、ムズムズしてくることで、寂しさが生まれ、その寂しさを補うには、どうすればいいか、身体が教えてくれるのだった。
 だが、その寂しさを紛らわすその行為は、
「もろ刃の剣」
 と言ってもいいだろう。
 寂しさを紛らわせたとしても、満足感は一瞬にして消えてしまうという儚いものであった。そのあとに訪れる、
「賢者モードと呼ばれるもの」
 それは、男性特有のもので、女性は、その快感が結構続くという。
 しかも、男性の賢者モードは、罪悪感から来るもので、罪悪感がなくなると、少しすると、身体が回復し、また、女性を求めるのだ。
 しかし、女性は、絶頂を迎えても、男性のような賢者モードには突入しない。その代わり、寂しさがこみ上げてくるようで、ついつい男性にしがみついてしまう。
 だが、男性は賢者モードの真っ最中。全身が敏感になっているくせに、欲望も興奮も消えている賢者モードなのだ。思わず払いのけてしまう人もいるだろう。
 女性はその時、
「この人、自分だけのことしか考えていない」
 と思うかも知れない。
 気持ちが盛り上がって、貪るように相手を求めるところはまったく同じなのに、絶頂を迎えてしまうと、ここまで違うのか。
「身体の構造の違い」
 というだけで、かたをつけてもいいのだろうか?
 そんなことを、考えるのであった。
 もちろん、中学生の二人が、性行為を知っているわけでもない。ただ、興味はある。しかも、クラスに一人くらいは、いるだろうという、
「好奇心を持った純真無垢な男に、性的な話をして、相手がどんな反応をするかということを見て、興奮するという、異常性癖に近いようなやつ」
 である。
 そんな奴が、別に知りたいと公言したわけでもないのに、耳元で、ひそひそ囁いて、
「いかに性行為が気持ちいいか」
 ということを吹き込んだりするのであった。
 ここで、
「双子だといっても、決定的な違いがある」
 ということが露呈してきた。
「兄貴は、貪欲に性欲に興味を持っているようだが、俺は、そんなに性欲というものがなくなってきた気がするな」
 というものだった。
 そのことが分かってきたから、自分が太り出したことい気づいたのだ。
 だが、そうなると、
「俺がモテないのは、太ったからではないということか?」
 と思うのだった。
 自分が太り出した原因として、
「食欲が旺盛なんだ」
 という当たり前のことであったが、
「なぜ、食欲が旺盛になったのか?」
 というところまでハッキリとわかっていなかったのではないだろうか?
 つまり、
「性欲がない分、食欲に走ったのだ」
 と考えれば理屈に合ってくる。
 思春期の間というのは、
「食欲、支配欲、睡眠欲」
 など、生活必需の欲だけではなく、支配欲や性欲などという、本能むき出しではあるが、人によって形が違うものもあることを考えると、
「それぞれの欲が一気に花開くのが思春期であるが、限界がないわけではない」
 と言えるのではないかと思うのだ。
作品名:双子 作家名:森本晃次