双子
まわりには誰もおらず、ある意味、不幸中の幸いだっただろう。まわりはどうせ助けてはくれないだろう。だから、誰にも知られない方が、数段幸せであった。
その女の子はラブレターを渡してくれと頼みにきた女の子だった。
何がどうなって、自分がボコられることになったのか? 正直分からない。しかし、考えられることとしては、
「妹のラブレターに一切反応しようとしない弟に、相手の兄が業を煮やしたというところだろうか。妹がバカにされたとでも思ったのだろう」
と考えると、分かる気がする。
だが、そうなると、自分がボコられたというのは、
「まったく自分に関係ない」
と本当に言えることだろうか。
遠因になるかも知れないが、
「俺が手紙を握りつぶしたということから、弟は何も知らないのだから、相手の兄が怒るとすれば、その原因を作ったのは、兄以外に誰もいないではないか」
ということになるだろう。
だからと言って。ボコられていいわけではない。
そもそも、
「あの女が、他人になんか頼まず。自分でいけばそれだけのことだったんじゃないか?」
ということである。
何があっても、自業自得。誰も巻き込まずにやっていることだから、兄が出てくることもないだろう。
ただ、主人公とすれば、
「謂れなき暴力ではあったが、殴られるだけのことをしたのではないか?」
という思いはあった。
かといって、いまさら時を戻すことなどできるはずもない。
だったら、前に進むしかなくて、その進んだ前にあるのは、一体何なのであろうか?
マンガは、それ以降、読まなくなった。
元々、最初から、兄に対してのみ、攻撃し、罪のない顔をしているが、兄の辛さも知らずに、いつもモテているのは、すべて自分のおかげだという風に思っている、
「お花畑思想」
の表れなのではないだろうか?
「この兄は、俺なんだ」
と思うと、もうここから先、読み続ける気力はなくなってしまった。
「まるで、俺の未来を予言しているかのようではないか?」
と考えたのは、やはり、ラブレターが原因だったことだろう。
「まるで、俺の運命を予見でもしているんだろうか?」
と恐ろしくなったからだった。
ラブレターのマンガを見ていると、今の自分の立場を考えてしまう。
「自分たち双子と、兄と弟で立場が逆だが、もし、俺が兄だったら、どんな兄弟だったんだろうな?」
と思った。
忠次は、自分のことを、あまりいいようには思っていなかった。
「きっと生まれる時、人間としてのいい部分をすべて兄貴に持っていかれたんだろうな?」
と思っていた。
そういう双子は結構いると聞いている。
だから、双子というと、
「相手のことが分かるくらいによく似ていると、ツーカーなんだろうな」
と言われるが、実際に双子と言っても、そんなに似ているわけではない。
顔は確かに似ているようだが、正確はまったくの正反対に感じる。こっちは、性格的にあまりまわりからよくは思われていないようで、しかも、中学になって、ぶくぶくと太り出した。
それがコンプレックスになり、兄への嫉妬に変わる。
「点は二物を与えないんじゃないのか?」
と言いたかった。
どうせなら、いいところと悪いところをそれぞれ折版して、違うところでの、一長一短をつかさどってくれるのであれば、別に恨むこともなかったはずなのにと思うのだった。
「兄貴は俺たちの関係をどう考えているんだろう」
小学生の頃はあれだけいろいろ話をしていたのに、中学に入ると話をしなくなった。考えてみれば、
「ああ、避け出したのは俺の方だったか」
と思った。
兄に対しても嫉妬心からだろう。
「このまま兄貴に対して嫉妬心を抱いたまま、今の距離であれば、最終的に置いていかれるのは俺の方ではないだろうか?」
と感じた。
あれはいつのことだっただろうか? 一度、兄が誰か知らないおじさんの車に載って、どこかに連れていかれそうになったことがあった。小学校の低学年くらいの頃だっただろうか? 正直、人さらいいしか見えなかった。
「誰だ。兄貴をさらおうとするのは」
といって、カバンを振り回して近づくと、車の中から運転手の、
「いいから、早く乗れ」
と言われた、兄を車に連れ込もうとした男は、兄をそのままにして、急いで車に乗り込むと、運転手が一気に車を加速させ、そこかに走り去った。
明らかに、
「誘拐未遂だ」
と思った。
だが、兄貴はキョトンとしていて、自分が置かれた立場が分かっていない。
「せっかく、遊園地に連れて行ってくれるって言っていたのに」
と、兄貴はまったく疑うことなく、むしろ、邪魔をしたのは、弟だとばかりに、悔しがっていた。
「おいおい、しっかりしてくれよ」
と、相手を誘拐犯としてしか見ていない弟に、不信感をいだいたようだ、
弟の方は、
「助けてやったのに、なんて言い草だ。こんなに危機感がないなんて」
と子供心に思ったものだ。
それなのに、すでに、兄貴には、人気が備わっていた。特に女の子からの人気は絶大だった。
その頃の女の子は、基本、容姿重視だったことだろう。
兄貴の性格など見ている人はいなかった。その証拠に、人気はあっても、兄と友達になる人は意外と少なかった。今から思えば、
「アイドルのようなもので、抜け駆けなど御法度、しかも、友達の関係になるまでには、まわりに気を遣ってからでないといけないので、結構時間が掛かるだろう」
ということであった。
そのせいもあってか、女の子たちは、抜け駆けも難しいので、皆適度な距離を保っていたのだが、ファン心理というものが、意外と居心地のよさを感じさせるということで、この距離感も、女の子間では気楽にできる要因となったのだった。
「兄貴って、あんなにファンがたくさんいるのに、どうして、一人の人に決められないの?」
と普通に聞いたことがあった。
「だって、一人に決めてしまうと、せっかくいる皆が一気に消えてしまうことになるだろう。それが嫌なのさ」
という、直球な答えが返ってきた。
その言葉には信憑性はあるが、それだけではないだろう。まわりの嫉妬の目が怖いというのが、本音なのかも知れない。
嫉妬だけではなく、一人に決めてしまうと、
「蜘蛛の子を散らす」
ということは、それまでファンであったことを汚らわしいとでも思うのか、
「傷つけられた」
という被害者意識を持ってしまうと、そこには、女の間の嫉妬に匹敵するような、いや、怒りを匹敵させようと、離れていく理由を、自分たちで形成しようと思もうのであった。
女の子も、離れていく理由を考えるように、兄貴としても、女の子が離れていく理由を自分なりに考えようとしていた。
それは、一種の負け惜しみであるが、その負け惜しみが、言い訳になるということを感じると、
「決して俺は負けたわけではない」
と感じるのだった。
負けを認めることは、小さい頃から一番嫌いなことではないかと、忠次は兄の忠直を見ていて思った。
ここだけは兄弟に共通したことで、
「負けを認めるということが、一番つらく、嫌なことだ」
と感じているのだということを直感していたのだ。
だから、忠次は思っていた、