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双子

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「最初に決められないのであれば、却ってこじれるだけで、結論など、出てくるものではない」
 というのは、乱暴な考えであろうか?
「生まれる時を、選ぶことはできない」
 ということがどういうことになるのかというと、
「人間は生まれながらにして、平等だ」
 と世界人権宣言に書かれているというが、果たしてそうだろうか?
 生まれることに自由がないのだから、平等などありえないといえるのではないだろうか?
 何しろ、
「親自体が、不平等な世界にいる」
 と言えるからだ。
 ということは、
「この世から、不平等がなくなり、皆が貧富の差も、差別もない世界であれば、生まれながらにして平等だ」
 と言えるだろうが、生まれてから育つ時に、そもそも不平等な世界にいる親から育てられるのだから、親の教育が多大な影響を及ぼすことになるのだから、それだけで、大きな問題である。
 ただ、もっと大きな問題は、
「生まれてきた子供が双子だった」
 という場合である、
 これが、どちらかがかなり早く生まれていれば、兄と弟というように、ハッキリとその立場が分かるというものだ。
 もちろん、立場的な差別があるのは仕方がない。
「長男は溺愛するが、弟の方は、適当に育てていて、親の愛情を知らずに育つ」
 ということになるだろう。
 ただ、これは、
「世間ではよくある」
 という差別である。
 許されるわけではないだろうが、
「あるある」
 ということで、犯罪でもないし、
「その家庭のプライバシー」
 ということで、片付けられるに違いない。
 しかし、双子として生まれた場合はどうだろう?
 どちらが先か、つまりは、兄か姉かということは、本当に運でしかない。もっとも、兄弟だって運である。先に生まれてくるかどうかというのも、最初から決まっているのかどうなのか? それを考えると、生まれるのがいいか悪いか、何とも言えない。
 親だってそうだろう。長男を溺愛する人もいれば、なぜか次男を溺愛する人もいる。その場合は、長男が頼りないなどという理由があるのだろうが、それも、後から取って付けた言い訳のようなものかも知れないといえるであろう。
 あくまでも、運というだけで、
「同じ時に一人の母親から生まれるということの科学的な統計による確率と、実際に生まれてきた双子との確率のどっちが多いのか、統計と医学の確率なので、一般市民に分かることではないだろう」
 と考えられる。
 ここに、
「大喜多兄弟」
 という双子の兄弟がいる。
 彼らは、物心ついた頃から、兄の忠直は、
「俺が兄なんだ」
 と、言われてきたこともあって、その意識に間違いはなく、逆に、弟の忠次の方は、
「何で、俺が弟なんだ?」
 と思っていた。
 むしろ、こう感じるのは、当たり前のことで、同じ誕生日なのに、兄の方が贔屓されているようで、弟は面白くないだろう。
 ただ、忠次が不満に思っているのは、そういうことではない、忠次は生まれた時から、その意識を持って生まれたようだったのだ。
「俺は生まれてきた時から、どうしてこんなにハッキリした記憶があるんだろう?」
 と思っていた。
 もちろん、産まれてきてから、後になって、
「物心がついた頃から、ずっと意識していたことだったように思えた」
 という人もいたが、どこまで信憑性があるものなのかむずかしいとことである。
 ただ、忠次は、ハッキリと覚えているのである。
 他のことはあまり意識がなかったにも関わらず、
「自分には兄がいる」
 ということをしっかり意識していて、
「兄には頭があがらない。いうことは聞かなければいけない」
 という意識があったようだ。
 ただ、それは自分が勝手に感じたことなので、人にいう筋合いの問題ではない。だから、誰にもこのことは言わなかった。
 それでよかったのである。もし言っていたとすれば、
「後からなら、何とでもいえる」
 というレベルの問題だったように思えてならないのだ。

                 思春期の弟

 そんな大喜多兄弟は、今高校生になっていた。中学までは、同じ学校に通っていた。これはどこの兄弟でも同じことではないだろうか。
 二人は、
「さすが双子」
 と言ってもいいくらい、よく似ていた。
 ただ、それは、小学生の頃までであり、途中から少し様相が変わってきた。弟の忠次が、少々太り始めたのだ。
 基本的に体型が変わってしまうと、顔も表情も変わってしまったように感じる。
 特に、
「肥満体の人は、おおらかな性格に見える」
 というところから、結構まわりの信任も暑かったりした。
 だが、好き嫌いもハッキリしていて、
「肥満体の人は、威圧感に押し潰されそうで、近づくのも嫌だ」
 と思う人もいる。
「助けてもらえるだろう」
 という依存を求める人と、
「その身体の迫力で脅されたら従うしかない」
 という、自分を従者として見てしまう人と、それぞれに別れるからではないだろうか?
 だが、今度は高校生になると、兄の方も太ってきたのだ。
 そうなると、元々双子、似ない方がおかしいというもので、
「お兄ちゃんが、弟を追いかけてどうすんの?」
 と笑いながら、親せきの人は言ったりするが、忠直は、苦笑いをするだけだった。
「俺だって、意識しているわけじゃないんだからな」
 と言いたかったのだ。
 この頃になると、兄弟それぞれ、自分たちが双子であることを嫌っていた。
「何で、双子になんかなったんだ?」
 という思いである。
「まだ兄弟の方がいいよな」
 とそれぞれに思っているが、その気持ちが強いのは、兄の忠直の方だった。
 本当であれば、兄が優遇され、弟が冷遇されるのであるから、弟が嫉妬するなら分かるが、実際には、弟はあまり気にしていないが、兄の方が気にしているとまわりから思われていた。
 忠直が、
「思ったことがすぐに顔に出る性格だ」
 ということだから、しょうがない。
 まわりもそれは分かっているが、なぜ、弟を変な意識を持っているかということはよく分かっていなかったのだ。
 弟の方は、どちらかというと性格的には暗かった。
 だが、周りはそうは見ていないようだった。
「肥満な人間はおおらかに見える」
 というが、忠次もそうだったようだ、
 中学になってから太り出すと、逆にモテるようになってきた。女の子の中には、
「パンダのようで可愛い」
 という人も出てきたのだ。
 痩せている頃は、
「いかにも気難しそうだ」
 ということで、まわりから無視されることが多かったが、太ることで一気に親近感が湧いてきた。
 思春期という時期でもあることから、安心感を少しでも感じさせてくれる相手に自然と集まるのではないだろうか?
「あの暗かった大喜多君が、急に親近感が湧く気がして」
 という女の子もいれば、
「母性本能をくすぐられちゃうのよ」
 とばかりに、まだ、所長を迎えたばかりで、明らかに処女にしか見えない女の子がいうのだから、面白いものだ。
 だが、兄の忠直は、元からの、エンターテイナー的なところがあった。
 自分で意識することなく、まわりを面白くさせるというような素質があったといってもいい。
作品名:双子 作家名:森本晃次