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双子

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 と考えるが、逆に、
「彼は日ごろから、この人間社会に、深い憤りを感じていたのだとすると、そんな彼が理想の人間を作る出した時に、移植した人間の意志は、彼自身のもの以外には考えられないではないか」
 と言えるのではないだろうか?
 フランケンシュタイン症候群」
 とは、
「そんな怪物を作ってしまったことで、人間界に禍は巻き起こる。それこそ、リアルな『パンドラの匣』ではないか?」
 ということである。
 あくまでも、
「フランケンシュタイン」
 というのは、事実ではなく、フィクションなのだ。
 だからこそ、これが教訓となって、それ以降の、
「人造人間界初のバイブルにならなければいけない」
 ということであった。
 その教訓から、その後の、
「ロボット開発」
 という分野において、
「フレーム問題」
 と、
「ロボット工学三原則」
 という大きな二つの問題が、クローズアップされてきたのだ。
 そのどちらも、基本的には、
「その時に起こりうる矛盾をいかに解決するか?」
 ということが一番の問題だったのだ。
「フレーム問題」
 というのは、
「例えば、ロボットに、洞窟の中に入らせて、そこに燃料があるから、取ってくるようにという命令を出したとする、するとロボットは、命令通りに、燃料の箱を持ち上げて、持ってこようとしたが、その上に少しでも動かすと爆発するという爆弾があり、こっぱみじんになってしまった」
 というのが、第一段階である。
「では、ロボットに、いろいろな思考能力を与えた。今回の場合、爆弾を動かさないようにしないといけないわけなので、爆弾のことだけを考えるように細工をすると、結局ロボットは、爆弾と燃料の前から一歩も動けなくなったというわけだ」
 つまりは、ロボットは、
「危険だということしか分かっていないのだ」
 そこで、人間と同じだけの知識を持った頭脳を付けたロボットに同じことをさせようとすると、今度は、洞窟の前から一歩も動けなくなったもである。
 つまり、あまりにも膨大な知識があり、瞬時にいろいろなことを考える。
「洞窟の岩の色が変わってしまったら?」
 あるいは、
「空から、円盤が飛んで来たら?」
 などという、この場合は考えなくてもいいことを無限に考えてしまうのだ。
 つまりは、無限に存在する可能性を考え始めると、無限に動けないということになるのだ。
 そこで考えられたのが、それぞれのパターンごとに物事を当てはめ。それをロボットに組み込もうということなのだが、それが無理なことはすぐに気づいた。
 要するに、一つのパネルの中に、
「フレームを当てがうような」
 そんな考え方をするということであり、それが不可能であるということは、数学の観点からも証明されているわけだ。
 つまりは、
「無限に存在するものを、パターンに分けるといっても、そのパターンだって、無限にあるではないか?」
 というものであり、数学的な観点から言えば、
「無限というものは、何で割っても、無限でしかない」
 という考え方だ。
「整数から整数を割り、どんどん小さくなっていったとしても、そこには、限りなくゼロに近い数字が存在するのであって、ゼロとなり、消滅するものではない」
 という考え方に似たところがあるのではないだろうか?
 その考え方でいくと、
「無限というものは、無限でしかなく、四則演算の何を使っても、実数にすることはできない」
 ということになり、実質的に、ロボットの人工知能は、
「人間が作るレベルでは、無限地獄を解決することができない」
 ということになる。
 それが、
「フレーム問題」
 というもので、人間には、それが最大の問題なのだった。
 なぜなら、
「人間には、自然とフレーム問題を解決できるノウハウと、無意識に持っているからだ」
 ということであった。
 ということは、
「無限を有限にできるのが人間であるが、それは人間に大してしか効力がない」
 つまりは、
「人間が作るロボットにフレーム問題を解決できるノウハウを埋め込むことはできない」
 ということになる。
「人間は人間としてフレーム問題を解決できるのだから、何もロボットなどを作る必要はない」
 ということへの警鐘なのではないだろうか。
 人間というものが、いかにおろかであるかということを人間が証明できないように、フレーム問題を無意識に解決できている人間に、フレーム問題を人工知能で解決できる別のものを作り出すことはできないのだ。
「それが神と人間の違いだ」
 と言われれば、それなりの説得力はあるだろう。
 つまり、それができるのだとすれば、
「神への冒涜」
 であり、この発想こそが、
「聖書」
 の中に出てきた、
「バベルの塔」
 の話と同じなのではないだろうか。
 自分の権威を、神と同等か、さらにそれ以上のものであるということを世に知らしめて、天に向かって矢を射るという暴挙に及んだ、暴君、バビロニアの王である、
「ニムロデ王」
 がどうなったのか?
 その時、神は、人間の言葉を乱し、皆言葉が通じないようにして、民族が世界各国に散ったことで、他民族が生まれるという悪行にしたかったのであろう。
 人間が、戦争をする理由には、宗教や民族という、自分たちが守るべきものがあるから戦争をする。民族や宗教が増えれば増えるほど、争いが絶えないということになるのであろう。
 そんなバベルの塔の話と同じように、神に近づこうとしたり、神を冒涜しようとするとどうなるかということである。
 つまり、人間と神の違いは、
「神は、自由自在に人間のような、自分たちよりも劣るが、一番神に近い存在を作ることはできるが、人間には、フレーム問題を解決できるだけのものを作ることができないということが、神と人間の一番大きなものだといえるのではないだろうか。
 ギリシャ神話などでは、神は、わがままで、
「神ほど人間臭いものはいない」
 という嫉妬深さなどを代表例として、描かれている。
 しかし、それでも神は神なのだ。どんなに矛盾していても卑劣であっても、人間が太刀打ちできるものではない。
 それは、
「フレーム問題を解決できるかできないか」
 ということになるのであろう。
 しかし、人間がフレーム問題を解決できないとするならば、その時点で人間の負けである。
 なぜなら、神は、
「フレーム問題を無意識に解決できる人間という最高傑作を作り上げたのだ」
 という事実を見ただけでも、人間がいかに神に及ばないかということの代表例にされるのがオチとなるだけなのであった。
 人間には、片付けることができない問題として、
「無限の克服」
「矛盾の解決」
 そして問題なのは、それらのことを突き付けられても、それでも、
「まだいけると思う無謀なところではないか」
 ということになるのだろう。
「フレーム問題は、ロボット工学だけに言えることではない」
 要するに、他にもあるのだろうが、人間は気づかないという、まるで、お花畑の中にいるような感覚なのではないだろうか?
 この間読んだ本には、
「このくらいの難しいことを、中学生でも分かるように解説していた。結構読んでいる人も多いんだろうな」
 と考えるのだった。
作品名:双子 作家名:森本晃次