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双子

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 それが次第に慢性化し、慣れになると、耳の奥から離れないことを自覚し、それが恐怖に変わってくる。
「恐怖を感じると、慢性化させよう」
 と考えるもののようで、一見矛盾していることに自分で気づかないのだった。
 それがゆえに、
「音を感じなくするしかない」
 という思いから、
「音を消す能力がある」
 と思い込む。
 この思い込みは、慣れていないとできないもので、ある程度の年齢に達しないと、取得できない、
「奥義のようなものだ」
 と言ってもいいだろう。
「だから、ある程度の年齢以上にあると聞こえなくなる音が存在するのだ」
 と、今までずっと思ってきたのだった。
 自分独自の解釈で、
「モスキート音」
 の存在を知っていたのであって、その解釈はまったく違うものだった。
 しかし、一般的に言われている、
「年齢を重ねると、聞こえなくなる音がある」
 という、単純に、
「年のせい」
 というものであるこの考え方は、
「果たして、自分が今まで思ってきた考えと、本当に正反対なのだろうか?」
 と考えた。
 つまりは、
「正反対であるがゆえに、どちらかが本当に正しいものであるとすれば、もう一方にはまったく信憑性がないと、言い切れるのか?」
 という思いである。
 重ねた年齢は、まだまだこれからなので、モスキート音の境目に達するまでの、半分も生きていないはずだ。中学生なのだから、まだまだ子供、思春期というのは、一日で言えば、まだ夜も明けていない、
「草木も眠る丑三つ時を通り越したくらいなのではないか?」
 と考えるのであった。
 そんな時、
「そうか、モスキート音というのは、環境が変われば、起こりえることなのかも知れないな」
 と感じた。
 考えてみれば、モスキート音と言われるものは、
「ある程度の年齢以上になると、聞こえなくなる高周波」
 ということだという。
 そもそも、まだ中学生の自分に、モスキート音の発想からいけば、聞こえない音など存在しないということになる。
 つまりは、
「モスキート音というのが、どういう音か」
 ということを、すべての音が聞こえる自分に、区別できるわけはない。
 というものだ。
 それを調べようとすると、ある程度の年齢に達した人、40代か、50代くらいの年齢の人を連れてきて、どこかで、高周波の音を作ってもらって、どれが聞こえ、どこから聞こえないのかということを、実証実験しないと、分からないだろう。
 だが、その研究に著名で、
「この人はごまかすことはできない」
 というネームバリューを持った人に委ねた研究を行わないと、分からないことであろう。
 そんなことを、普段は考えているような少年だった。
 だから、今回、どこかで監禁されているということが次第に分かってきた時点で、自分が置かれている立場が、あまりいいものではないと思ったが、それだけではなく、
「監禁されているこの場所で、言い知れぬ苦痛があるのだが、それが、モスキート音のような、高周波なのではないかと思ったことで、本当はこんな音を聞きたくはないと思うと、高齢者のような耳にどうにかしてできないか」
 と考えるのであった。
 ただ、モスキート音の存在を分かっているつもりで聞いたこの音なので、何かのスイッチを入れることで、
「聞こえていまいという感覚になってもいいのではないか?」
 と考えるのであった。
 完全に、身体に縄が巻き付いている。
 中学に入ってから、肥満を気にしていたので、身体を縛ったやつも、
「ほどけたら、何にもならない」
 と思ったのか、かなりきつく縛っているようだ。
 だからなのか、もがけばもがくほど、身体に縄が食い込んでくる気がするのだ。
 それこそ、前述のヒーロー戦隊ものなどで、ヒーローが悪の秘密結社に捕まり、台の上に固定されている時など、
「もがいても無駄だ。お前お身体に巻き付いているその縄は、もがけばもがくほど食い込んでくる仕掛けになっている。だから、もがいたってダメなんだ。下手をすると、最期には食い込みすぎて、お前の身体をバラバラにするかも知れないぞ」
 というのだった。
 まさに、今回のこの結び方は、
「リアルな、悪の秘密結社結び」
 と言ってもいいだろう。
 しかし、そんなバカなことを言っている場合ではない。ここから逃れないといけないのだが、
「まずは、縄をほどいて、自由になる必要がある」
 ということである。
 しかし、自由になったはいいが、それから、この場所を脱出し、無事に帰ることができるようになるために、どれだけの段階を必要とするのだろうか?
 それを考えると、とてつもなく、辛い気がした。
 縄をほどいて自由になっても、それは、ただ、手足の自由が利くというだけで、それでは、
「牢の中に収監された、囚人」
 と同じだということである。
 どうやって、この鉄格子の檻から出ればいいのかということであり、それを出ることができたとしても、さらに難関が待っている。
 何といっても、この場所がどこなのか、誰がこんなことをしたのか。まったく何も分かっていないのだ。
 檻から出たとして、どこに逃げればいいのか、そして、逃げる途中で、どんな障害が待ち受けているのか分からない。
 そもそもその要塞から表に出ても、その世界が、自分の知っている世界だということすら分からないのだった。
 いくつまでの難関があるのか、忠次は、最近好きで見ている、
「SFの謎」
 という本を思い出していた。
 そこには。
「タイムパラドックス」
 であったり、
「ロボット工学」
 などといった、科学全般の謎について書かれていた。
 忠次が思い出したのは、その中にある、
「ロボット工学」
 というジャンルの中で、問題にされていた。
「フレーム問題」
 という考え方である。
 そもそも、
「ロボット工学」
 という発想は、昔からいわれている、
「フランケンシュタイン症候群」
 というものから、来たものであった。
「フランケンシュタイン症候群」
 というものは、
「フランケンシュタインという博士が、理想の人間をつくろうとして、怪物を作ってしまった」
 という話である。
 怪物は、理想の人間にするために、意思を持ち、自分の考えで動くように設計されている。なんでもできるように、身体は強靭に、敵が軍隊であったとしても、抵抗が十分にできるように設計されている。
 逃げることはできず、いかに相手を打ち負かすということができないと、
「理想の人間ではない」
 ということである。
「人間というのは、頭はいいのだが、精神的にも肉体的にもあまりにも脆弱にできているという欠点がある」
 ということなので、
「何にも負けない強靭な身体と、どうあっても曲げない意思を持ち続けることが必要である」
 ということを原点に開発されたのだ。
 だが、実際に作ってみると、その意思は反対の方に働いてしまい、
「理想の人間」
 というものが、
「怪物」
 になってしまったということである。
 そんなロボットは、いかに人間に屈服されずに生きていくかということを、生まれながらに知っている。
「ひょっとすると、フランケンシュタインの頭脳が、頭の中に入っているのかも知れない」
作品名:双子 作家名:森本晃次