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双子

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 という意識があったからこそ、分からなかったのかも知れないと感じたということではないだろうか?
 だが、今だったら、それが、
「弟のことを指していたのだ」
 とすぐに分かる。
 このことを聞いた時の時系列と、
「兄貴が喘息というもので苦しんでいる」
 ということを感じた時、その意識が時系列的に、ハッキリ時代的に合っていたかどうか、曖昧だったのだ。
「小児喘息」
 という言葉を知ったのは、かなりまだ後だったような気がする。
 そういう意味で、これらの意識は、どうやら実際の時系列と違っているように思えてならない。
 それだけ子供の頃の記憶というのは曖昧なもので、いい加減なのだろうかということになるのだろう。
 そんな子供の頃の記憶など、あっという間に消えるのが、思春期という時代だろう。
 しかし、まったく色褪せない記憶というのもあって、
「曖昧な記憶程、忘れられないものもない」
 と考えていた。
 実際に、思春期になると、子供の頃の記憶があいまいになってくる。
 しかし、曖昧だったはずの記憶は今度は鮮明とまではいかないが、
「今忘れていないのだから、これからも残っていくに違いない」
 という、どこから来るのか分からない、確信のようなものが、意識としてあるというのは不思議なものであったのだ。
 そんな意識の中で、
「記憶というものは、新しい記憶で塗り替えられるものもあれば、新しい記憶が入ったことで、決して忘れないものが何なのかということが分かってくる」
 という不思議なものが存在することを感じているのだった。
 小学校を卒業する時、忠直は、一人の女の子と親しくしていた。
 思春期でもなかったので、忠次は、それを見ても、何とも感じなかった。思春期に入ってから感じた、嫉妬などはなかった。
 ただ、二人を見ていて、
「よくあの二人、一緒にいられるよな?」
 と感じたのだった。
 その理由として、
「あの二人、まったく性格が合わないのに」
 ということではなく、むしろ逆だった。
「あの二人性格が似すぎているので、一緒にいて、億劫に感じないのだろうか?
 というものであった。
 それは、まるで、磁石の感覚だった。
「N極とS極」
 違うものであれば、磁石では引き寄せ合うのだが、
「N極とN極、S極とS極」
 というように、同じものであったら、
「反発し合う」
 というものであるということは、小学生から知っていることであった。
 だから、人の性格も同じものであり、
「似たというよりも、ほとんど同じ性格であれば、二人の相性は却ってよくはなく、反発し合うものではないか?」
 ということであった。
 そんなことを考えるのは、
「きっと、俺だけなんだろうな」
 と忠次は思っていた。
 他の人もそうなのかも知れないとは、思うことはなく、最初に見たもの聞いたものを信じるという、ある意味、実直な性格だったといってもいいだろう。
 だから、他の人と違うことを考えても、
「俺って、変わり者なんだろうか?」
 と感じてしまったとしても、すぐに、
「どうでもいいことだ」
 と打ち消してしまうのだった。
 忠次は、兄の忠直のことを、あまり好きではなかった。
 それは、きっと、
「性格が似すぎている」
 というところから来ているのではないかと思うようになった。
 性格が似ていると感じると、近くにいなくても、すぐそばに迫ってこられているように思うのだ。
 それは、相当な威圧感である、
 本当であれば、兄貴というものは、
「実に頼りになる」
 と言って感じるものなのだろうが、何しろ二人は双子なのである。
 どっちが兄であっても、些細なことなのだろうが、逆に双子の場合は、似かよりすぎているので、距離を離してやらないと、億劫な気持ちのせいで、
「ストレスが生まれてきたり、無意識に離れなければならない」
 というようなおかしな感覚になるのではないかと感じるのだった。
 そんな兄貴に、
「小児喘息」
 という病気があったのは、兄貴には悪いが、
「俺の中で、近くに寄りすぎていた兄貴が離れてくれたという意味で、ありがたかったのではないか?」
 と感じていた。
 だが、まさか、その兄が、
「小児喘息が原因で、アレルギーには弱い体質になってしまっている」
 ということを知らなかった。
 もちろん、親は先生から聞いて、いろいろ知っていたことだろう。食事などの摂取にも気を付けなければいけない。
 さらに、予防注射もそうだ。受けていいものと、受ける際には、アレルギー体質者用のワクチンが必要になるのである。
 そのことを、当人も知っておかなければいけないだろう。
 そして身近な人間にもその意識は必要だ。
「お兄ちゃんは、小児喘息という病気が祟って、今は、アレルギー体質がひどいの。だから食事やアレルギーに罹りやすいものは近づけてはいけないのよ」
 と言われた。
 最初は、
「父も母も何を言っているんだ?」
 と思ったが、これまでの両親における、兄に対しての、
「気遣いや、腫れ物にでも触るかのような」
 そんな感覚がうっすらとあったが、ここで繋がったと言ってもいいだろう。
 そんな忠直を誘拐したという連絡が入ったのは、ある日の夕方であった。
 やっと涼しくなりかかったこの時期、夏の暑さがまだ身体に沁みついているだけに、秋の虫の声を聞くと、ホッとするところがあるので、
「この時期は、根拠はないが好きだな」
 と思っていた。
 根拠になるかどうか分からないが、セミの声が聞こえなくなったというのは、それが一番の暑さに対しての薬だったといえるだろう。
 そんな時期だった。弟の忠次がいなくなったのは、それを誘拐だと気づくまで、結構時間が掛かったのであった。

                 監禁

「ここは、どこなんだ?」
 目が覚めた忠次は、今自分がどういう状況に置かれているのかを、まったく分かっていなかった。シーンと鎮まり返った場所で、蛇口から水が落ちているのか、たまに、
「ポッチャン」
 という音が聞こえてくるのだが、その音が、
「キーン」
 という耳鳴りのような気がして、その耳鳴りが、一瞬すごい音だと思うと、次第に意識から薄れていく中で、高音の部分だけが、糸を引いているような気がした。
 最近読んだミステリーの中で、
「モスキート音」
 というのがあるということを知った。
 それは、超がつくくらいの高音で、その周波数がまた特徴的であり、そのために、聴いていると、すぐに中毒状態になるようで、一種のトランス状態を感じさせるのだという。
 しかし、高齢になると、音を聞き取れないという意識から、必要以上に音を意識してしまうことで、静寂の後に雨だれのような音が聞こえてくると、かなりの音として認識してしまうだろう。
 その後に余韻として残る音が、高周波と言ってもいいような音で、それが、耳の感覚を刺激することで、苦痛に感じられるのだという。
 その苦痛を何とか逃れようとしていると、余計に意識するもので、一度ピークに達してしまうと、逃れられないことを悟り、次第に、その余韻だけが、耳の奥を支配するようになる。
作品名:双子 作家名:森本晃次