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双子

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「アイドルを追いかけるならまだしも、子供が好きな戦隊ヒーローを追いかけるというのは、どういうことだ?」
 と気持ち悪がる人もいるだろうが、そういう人は、自分が子供の頃に。一度は戦隊ヒーローのお姉さんに憧れたということを忘れてしまったというのか、それとも、
「本当は憶えているが、いまさら恥ずかしくて、戦隊ヒーローに憧れていた」
 などということを言えないと思っているからではないだろうか。
 確かに本当に忘れている人も多いだろう。しかし、それも、
「あれは子供の頃に、若気の至りだ」
 というようなことを考えてしまうので、まるで黒歴史でもあるかのように、
「俺は、もう二度と、戦隊ものを見ていたなどという恥ずかしいことは口にしない」
 という思いから、
「記憶の中から忘却してしまおう」
 と思うのだろう。
 つまりは、
「本当は憶えているのに、思い出したくないという思いが強いので、忘れたような気持ちになっているのだろう。だから、皆、記憶の奥に封印してしまい、二度と口にしない」
 と思うからこそ、余計に、覚えていないのかも知れない。
 逆に、大人になってまで、戦隊ものを、嫌う艇もなく、気にもせず、大っぴらに見に行くという精神は、
「皆なんで、隠そうとするんだ。皆だって、俺と同じように、ハマっていたんだろうに。だったら、大人になってから、子供の頃の気持ちを忘れないようにしようといっている人がいるが、そんな連中ほど、昔の恥ずかしい思い出を封印しようと思うに違いない」
 と感じているのだと思っている。
 だから、余計に、派手に振る舞う。隠そうとしている連中が、
「恥ずかしい」
 と思って、こちらに羞恥の目を向けるような連中に、自分たちこそ、羞恥の気持ちを思い出させ、それが、快感であり、恥ずかしいことでも何でもないのだということを、思い知らせたい」
 と思っているかも知れない。
 一種の、
「人助け」
 である。
 戦隊ものを見ていた自分を恥ずかしいと感じるとして、誰に対して知られたくないというのだろうか?
 家族? 会社の人?
 家族であれば、何も隠す必要はない。
 子供の頃に、
「親だって一緒に見たではないか?」
 と思うのだが、普通の大人は、自分の子供が、
「大人になっても、まったく成長していない」
 ということで、自分たちの育て方が間違っていたのだろうかと思うことだろう。
 しかし、逆に親の中には、今でも、戦隊ものが好きで、大人になっても、フィギアを集めている人もいるだろう。
 だが、そういう大人を見ると、子供が今度は恥ずかしくなり、
「あんな親にはなりたくない」
 という、まるで反面教師として親を見ているかも知れない。
 もちろん、親と一緒になって、
「共通の趣味」
 ということで、楽しむ人もいるかも知れない。
「今度、俺がネットで、キャンペーン会場とか探しとくよ」
 などと息子に言われると、親は、
「頼もしくなった」
 と思うかも知れない。
 要するに、恥ずかしいと思う薄い膜さえ破ってしまえば、後は、
「同じ趣味を持つ仲間」
 という親子関係があってもいいのではないだろうか。
 兄の忠直に、持病があるということに気づいたのは、その頃だった。
 元々、
「小児喘息」
 というのを患っていたが、そんなに重たいものではないというのが、医者の見解だった。
 しかし、喘息であることに間違いはないので、
「喘息って、その期間、結構きついんだよな」
 といっていた。
 自分で、吸入器のようなものを持っていて、苦しくなったりすると、それを使って楽になっているようだった。
 弟の忠次には、そんな持病はなかったが、兄を見ていて、
「可哀そうだな」
 という同情はあった。
 自分が喘息を持っていたらと思うとゾッとする。赤の他人が喘息だったとしても、同情はするかも知れないが、しょせんは他人事だと思うに違いない。
 だが、身内、しかも、血の繋がりの一番濃い、双子の兄である。ただ、これは法律的、医学的な問題なのかも知れないが、一番血が濃いのは、本当は父母であろう。直接の繋がりだからだ。
 しかし兄弟となると、自分から、父母に行き、そこから、また兄弟に降りてくるという、いわゆる、
「二親等」
 という関係になる。
 これがいとこになれば、さらに、祖父母にまで至ってから、降りてくるから、四親等になるのだ。
 日本での近親婚、あるいは近親相姦は、基本三親等以内ということになっていることから、
「いとこ同士は結婚できる」
 と言われている。
 だが、基本的に、日本では、近親婚を罰する法律は存在しないが、実際に三親等以内で婚姻が許されないというのは、
「婚姻届けが受理されない」
 からである。
 もし間違って受理されたとしても、それを取り消すこともできる。つまり、近親婚は事実上、
「許されない行為」
 などである。
 これは、忠直は知らないことであったが、忠次は、誰から聞いたのか記憶にないが、記憶にないほど、昔に聴いた。それはたぶん、今はなき、祖父母のどちらか、いや、二人か聞いたような気もしたが、祖父母がまだしっかりしていた頃のことだから、まだ忠次が、まだ小さい頃で、普通なら理解できない年齢ではなかったということであった。
 内容はハッキリと覚えていないが、
「うちの家系は、近親相姦が多かった気がするわね」
 といっていたことだった。
 祖父母の会話から聞いたことだと思うのが一番自然で、祖父母にとっては、
「どうせ、こんな小さな子に分かるわけはない」
 とタカをくくっていたのだろう。
 だから、忠次から、
「近親相姦って、何?」
 と聞かれて、忠次が、何となくではあるが理解できるような回答をしたのだろう。
「ウソをつくわけにはいかない」
 という思いがあったからだろうか。
 正確な答えでなくてもいい。それ以上しつこく聞かれないようにすればいいだけだった。ただ、それでもウソはつけない。うまくこの子の意識を、
「何だ、つまらない」
 と思わせるくらいが一番だということなのだろう。
 それは成功したのだが、完全に分かっているわけではなかったので、モヤモヤしたようなものが残った。
 それでも、
「他の人に聞くこともない」
 と思った。
 それは、また祖父母のように、
「どうせまた、曖昧な形でごまかされるに違いない」
 という思いがあったからだろう。
 そんな忠次が、祖父母が言っていた言葉で意識として残っているのは、
「うちの家系は代々、近親相姦や近親婚が続いているからな。身体の弱い子ができるのも仕方のないことなのかも知れないな」
 ということを話していたようだった。
 もちろん、言い方がもっと曖昧だったという記憶から、この意識も後から考えたことで、自分の中で曖昧になったことだったのかも知れない。
 それを思うと、
「これは、誰のことを言っているんだろう?」
 とその時は、このように感じはしたが、誰のことなのか、分からなかった。
 だが、今考えれば、すぐに分かることなのに、あの時分からなかったというのも、実際に解せない感覚だった。
「覚えていたくない」
 あるいは。
「忘れてしまいたい」
作品名:双子 作家名:森本晃次