パンデミック禍での犯罪
ということで、最初からスナックという選択肢が頭の中から消えてしまうということになるだろう。
それを思うと、
「休業要請」
と何ら変わらないのだ。
しかし、なるべく補助金などを出したくない自治体は、
「開けてもいいといっているのに、休業したからといって、休業手当は出せない」
として、時短と同じ扱いをしているところもあり、さらには、一時期、
「スナックなどの夜の店に、一律5万の補助金を」
という話があった。
これは、流行っていようが、閑古鳥が普段から泣いていようが、同じだったのだ。
だから、普段は閑古鳥が鳴いている店は、
「ホイホイの鄭」
で、店を閉めた。
「しめしめ、閉めた方が儲かるというものだ」
と思ったことだろう。
しかし、流行っている店は、これで追いつくはずもない。流行るには流行るだけのことがあるのだ。それだけ規模が大きいのだから、従業員も多い。その人たちを養わなければいけないのだから、たったこれだけでは、このままなら廃業に追い込まれることになると、危機感を募らせる店が多かった。
自治体からすれば、
「スピード感が大切だ」
ということで、少々の不公平は仕方のないことだと思っていたことだろう。
しかし、繁華街の人たちの不満はひどいものだった。
実際に、その補助金にしても、申請に時間が掛かったり、ややこしかったりで、結構大変なようである。
しかも、すぐに出るわけではなく、数か月しないと出ないのだった。
廃業まで秒読みというお店もあるのに、補助金が出る時には、すでに廃業していたというような本末転倒な話もあったようだ。
とにかう-く、今回の、
「世界的なパンデミック」
に対しての、行政の取り組みは、あまりにもお粗末で、この国のひどさを露呈した格好いなった。
政府は政府でバカな発想しかないし、しかも、国民のほとんどが反対しているという、オリンピックの開催という暴挙をやってのけたのだった。
「政府は国民の命などどうでもいいのか?」
と言われても仕方のないことだったのだ。
その最たる例が、そのオリンピックを強行した首相が、その後、任期満了で退陣したが、その後の総裁選挙で総裁となり、そのままソーリとなった男が、さらに輪をかけて国民の命などどうでもいいという男に変わったのだ。
選挙公約を簡単に反故にし、しかも、公約の際に、
「前々首相の疑惑をハッキリさせる」
といって当選したくせに、ソーリになったとたん、
「その男の犬」
と化してしまったのだ。
完全に奴隷のような扱いで、ソーリのくせに、あやつられているという、完全な、
「一人の男に寄る政府の私物化に利用された、お飾りのソーリ」
でしかないのだった。
「何が首相なんだ」
とちゃんと分かっている国民がどれだけいるだろう?
支持率は少し下落してきたとはいえ、まだまだ危険なデッドゾーンにまで行っていない。その男からすれば、まだ収まり切っていない、それどころか、
「日本が世界で一番の患者数だ」
と言われているまでになっているのに、行動制限もどんどん緩和していく。
「政府はもう知らん。自分の命は自分で守れ」
といっているようなものだ。
完全に、政府は、
「投げ出した」
のだ。
もっといえば、
「国民を見殺しにしている」
といってもいいだろう。
そんな状況において、
「反社会的勢力」
と呼ばれるような危険分子の団体と結びつくという社会問題を引き起こした。
ソーリも、
「キチンと、疑惑の合った議員は、その釈明をするべき」
というような、他人事発言であったが、自分も少し関わったという事実が出てきて、マスゴミから糾弾された時、
「私はそんな危険な団体だとは知りませんでした」
と、またしても、苦しい言い訳だったのだ。
今度はいうに事欠いて、
「そんな宗教団体とは、党として、手を切ります」
と公言したが、選挙で協力がなければ、政権交代だってありえるのだから、そんなことができるはずもない。
要するに、最初、公約違反をやっても、それを糾弾されなかったことで、このバカソーリは、
「自分は大丈夫だ」
といって、タカをくくっているのかも知れない。
そんな政府は一体この先どこに向かっていくというのか、
沈みゆく、
「日本丸」
に、国民を残したまま、政府の人間たちは、別のロケットで、どこか別のところで自分たちだけ生き残ろうというのか?
「国民もいないのに、政治家だけが残って何ができるのか?」
ということである。
そんな政府をいまだに国民は、それなりに支持をしている。一体、国民は、
「こいつらを真剣に信じているのだろうか?」
という疑問はあったが、そもそも、若い連中に、
「政治に興味があるかどうか、甚だ疑問だ」
ということであるし、
「政治を知らないから、白々しいウソにも騙される」
ということで、案外今の政府を支えているのは、そんな若者なのかも知れない。
「こいつらに、日本の未来を託していいのだろうか?」
ということなのだった。
少し、お話の時代から先に進んでしまった。
そして、今の現代に繋がる話は、あくまでも、作者の勝手な思想なので、押し付けるつもりはまったくないということを、ここに名言しておこう。
さて、少し怒りからか、興奮をしてしまったが、当時の、
「世界的なパンデミック」
が、新年から始まった、令和2年だったが、事件が起こったのは、その年の秋くらいだった、
夏にも、
「第2波」
と呼ばれる感染があり、夏の恒例行事である、
「夏祭り」
「花火大会」
などと言った、密集するような行動はすべて禁止となり、お盆期間中も、
「県をまたぐ移動は、原則禁止」
ということであった。
当然のことだが、入国審査もかなり厳しいものであった。
基本、国外からの入国は禁止だということであり、
「鎖国状態」
だったのだ。
日本は、江戸時代鎖国をしていたが、それでも、出島に入ってくるポルトガルやオランダの商人から移され、コレラが蔓延したということもあった。少々の鎖国くらいでは、
「水際対策」
としては、中途半端だったのかも知れない。
それを思うと、
「今回のパンデミックは、その時よりも、もっとひどいのかも知れない」
ということであった。
最初は皆、自分のまわりに患者がいなかったこともあって、
「あまり実感が湧かない」
ということであったが、
「有名なコメディアンが死んだ」
ということで、一気に国民に危機感が蔓延した。
「本当に死ぬんだ」
とばかりに、それまで甘く見ていた自分が怖いと思う程になっていくのだった。
学校の裏庭
死んでしまうことへの恐怖、一人が発覚すれば、また他の芸能人と、国民は恐れおののいた。
逆に政府に対して、
「俺たちはどうすればいいんだ」
と、
「何かあったら、すべて政府のせいにするという」
という風潮があったのだ。
しかし、政府もさることながら、国民も悪い。
そうやって、一気に危機感が募ったかと思うと、しばらくすると、今度は、
作品名:パンデミック禍での犯罪 作家名:森本晃次