パンデミック禍での犯罪
特にタバコなどは、灰皿の上にてんこ盛りというのが普通だったが、今はまったくの禁煙である。それだけでも、かなり違うことだろう。
ただ、施設はそこまで変わっているわけではないだろう。建物自体が建て替わっていれば綺麗だろうが、机やいすは、昔のままに違いない。
そう思うと、建物の壁や窓、扉などが新しいのに、机やいすなどと言った備品関係は、本当にオンボロな状態だといってもいい。
そんなところでの取り調べ、どんな気持ちになるというのか、凶悪犯や、反社会勢力の構成員などであれば、どのような取り調べになるのか、昔のドラマをよく見ていた人間には、想像もできないかも知れない。
そんな取調室に通された男は、
「さて、人を殺したというが、どういうことなのかな?」
と、刑事がまずは柔らかく聞いた。
すると、自首してきた男は、
「はい、あの用務員さんを殺しました」
と神妙に言ったのだ。
「まずは、あなたのことを聞かせてください。名前と年齢、職業をまず」
と聞かれ、
「私は、片桐洋二。53歳です。無職です」
というと、
「差し支えなければ、無職なのは前からなのですか?」
「いいえ、今回の伝染病が流行るようになってから、無職になりました」
というので、
「じゃあ、リストラというわけですか?」
という刑事の質問に男は少しモジモジしながら、
「ええ、そうです」
と答えた。
モジモジはしているが、口調は強かった。
「自分がどうして、リストラされなければいけないのか?」
という気持ちが強いのだろう。
刑事もいろいろな人に職業柄、尋問するのだが、彼らのように、
「最近、無職になった」
という人が多い。
ほとんどの人は、
「自分が悪いわけではないのに」
という、理不尽な気持ちがあるのは当たり前で、当然の気持ちだったのであろう。
この片桐という男もまさにそれで、自首してきているという立場で、恐縮はしているが、リストラに遭ったことに関しては、到底承服できないという気持ちでいっぱいなのであろう。
「どこにお勤めだったんですか?」
と聞かれ、
「一応、商社に勤めていました。年齢的に一番リストラに遭いやすいんですかね? しかも、タイミングが悪く、伝染病にも罹ってしまったので」
と男はいった。
伝染病に罹ったということは、
「人が密集するような場所にいた」
あるいは、
「人と密着するようなところにいた」
などという偏見の目で見られる。
会社からも、
「今回の伝染病に関しての心得と対応マニュアル」
というものを用意しているところも多いだろう。
営業ですら、なるべく電話やネットで済ませている時代に、伝染病に罹るようなことをしたり、行ったりするということは、ある意味、
「服務規程違反」
と見なされるのかも知れない。
それを思うと、
「戒厳令」
の話を思い出す。
「災害などでパニックになると、デマが横行し、関東大震災などでは、朝鮮人を虐殺した事件が起こったりしているではないか」
と思うのだ。
刑事が、そこまで思ったかどうか分からないが、会社では、病気になったというだけで、誹謗中傷を受け、偏見の目で見られたりするだろう。
ひどかったのが、
「奥さんが、医療従事者というだけで、旦那が出社をしてはいけないということになり、最終的に、リストラされてしまった」
というような話もあったくらいだ。
会社からすれば、
「奥さんは関係ない。あくまでも、リストラ候補に挙がっていたというだけです」
と。会社側はいう。
中には、訴訟を起こす人もいるだろうが、リストラされたのが自分だけでなければ、難しい。みんなで訴訟というのであればありえるかも知れないが、そうでなければ、皆が首になっている中で、誰も声を挙げないのであれば、説得力は弱いといってもいいだろう。
他の人は、
「訴訟などすると、次の職が見つからない」
と思うのだ。
もし、勝てなかった場合は、当然、職を失うことになり、訴訟も、職探しにもどちらにも負けることになるだろう。
そう考えると、訴訟をしようと思う人もいない。
「そんな時間があるんだったら、職を探した方がいい」
と思うはずだ。
何といっても、裁判を起こすには、お金も時間もかかるのだ。就活には致命的だといってもいい。
しかも、選考中に、
「この男は、前の会社を訴えている」
などということが分かれば、まず雇うことはしない。
さらに、就職できたとしても、試用期間中であれば、いつでも解雇できるというものだ。試用期間中にかたがつくほど、裁判は簡単ではないだろうからである。
彼はそんなことをせずに、甘んじてリストラを受け入れて、退職するようにしたようだ。
「新しい職はなかなか見つからないでしょう?」
と刑事にいわれると、それまでの苦労が思い出されたのか、目はうるんでいた。
「自首しに来ました」
という時は、覇気のなさは感じたが、涙目にはなっていなかった。
どちらかというと、職が見つからなかったことの方が辛かったのではないだろうか?
刑事はそれを思うと、
「この男、自首してきたこともあって、根っからの悪ではないようだ」
と感じたのだ。
だから、少し、ゆっくり目に話をするようにした。
もちろん、話が佳境に入ってくると、強い口調になるのは当たり前のことであろう。
それを考えると、まずは男が話しやすいように花を向けることにしようと思うのであった。
「それは大変でしたね。じゃあ、事件のことを伺いましょうか?」
と刑事がいうと、
「私は、職を失ってから、当然のように、新しい職が見つからない。女房子供は実家に帰ったまま、帰ってこなくなり、迎えに行っても、けんもほろろで追い返される。何がどうなったのかと思い、一度家に帰ると、女房が来ていたようで、離婚届に判が押してあり、もう押すしかない状態ですよ。こうなったら、すべてがに嫌気が刺して、しかも、明日はどうなるか分からない。職が決まらなければ、どうしようもないですからね。そうなったところで、考えたのが、空き巣だったんですよ。私は、学校に忍び込んだんです。プロではないので、普通だったら思わないのですが、衝動的だったんです。自分でも、その時の精神状態を覚えていませんからね」
というではないか。
なるほど人間というのは、切羽詰まると、何も考えられなくなる。衝動で身体が動くというのも分かるというものだ。
ただ、彼がなぜ学校だったのかということは分からない。ひょっとすると、
「目の前に学校があったからだ」
ということなのかも知れない。
しかし、これほど無謀なことはない。
学校内部を知っているわけもないからだ。
「ひょっとして、あの中学校、自分が行っていた学校なんですか?」
と言われ、
「ええ、元々卒業生です。だから、忍び込んだ時、後ろめたさよりも、懐かしさがあったんですよ。そのせいですかね? 罪悪感よりも、何か、中学の時、肝試しでもしていたかのような意識になったんですよ。面白いものですね」
と、男は初めて、笑顔を見せた。
といっても、あくまでも、その笑顔は、シャレになっているわけではなく。引きつったままだった。
作品名:パンデミック禍での犯罪 作家名:森本晃次