パンデミック禍での犯罪
また、社長が一人、社長室や工場の端の方で、首をつっていたというのも、珍しいことではなかった。
オイルショックという言葉を聞いたことがなくても、
「町中のスーパーからトイレットペーパーがなくなる」
というデマを聞いて、スーパーに並ぶシーンが教科書などに乗っていたりするので、
「そんな時代があった」
ということを知っている人は少なくないはずだ。
それまで、高度成長期ということで、
「ものを作れば、どんどん売れる」
しかも、需要というのはいくらでもあったのだ。何しろ、輸出が日本経済の基本だったからだ。
「事業を拡大すればするほど、儲かる」
と言われたバブルの後、その広げてしまった事業が行き詰ったことで、資金が焦げ付いてしまい、結局、
「バブル経済というのは、自転車操業にしか過ぎなかったのだ」
ということではないだろうか。
日本人は、
「20年前にオイルショックなどの不況を経験しているくせに、なんでこんな簡単なことが分からなかったのだろう?」
ということである。
そもそも実態のない経済が、うまくいくはずないではないか?
ということは、ちょっと考えれば分かるはずなのに、なぜ、誰もバブル崩壊を予知できなかったのだろうか?
一番の原因は、経済界の、
「神話」
にあったからではないか?
特に、
「銀行は絶対に破綻しない」
ということである。
破綻してしまうなど、誰も考えていない。だから、
「今は不況ということだが、いずれ経済が少しでも上向きになると、銀行から金を借りて、会社を盛り返す」
と思っていたのだろう。
しかし、そもそも、不況の遠因が、そんな銀行による、
「過剰融資の焦げ付き」
が原因なのだから、銀行は、自分たちが危ないことを察知し、それ以上融資をするわけはないのだ。
それよりも、焦げ付きが不良債権となり、回収できないことで、さすがの銀行も、
「破綻するか、大きなところと一緒になって、生き残るしか手はない」
ということになるのだった。
それが銀行というところであり、彼らにだって、自分たちの指名が分かっているはずだった。
なにしろ、
「銀行は絶対に潰れない」
という神話があるわけだ。
だからこそ、
「潰してはいけない」
と余計に思うのであり、そうなると、焦げ付いたものは仕方がないとして、
「これ以上の傷口を広げないようにしないといけない」
と思うのだ。
民間企業は、苦しくなって銀行に融資を願い出るが、そもそも、過剰融資が焦げ付いているので、貸し渋るのは当たり前、誰だってそうであろうが、
「貸した金を返してもらえない状態で、さらに回収の見込みもないのに、また貸すなど、本末転倒ではないか?」
と感じることであろう。
本当に常識的なことなので、こうなると、零細企業はひとたまりもない。手形は簡単に不当たりとなり、あっという間に倒産してしまう。それがだんだんと大手企業にも伝染していき、倒産がはげしくなってくる。
そこでいろいろな手が打たれるわけだが、一番多い方法として、
「大きなところに助けてもらう」
ということで、
「企業合併」
という方法である。
これは、銀行や金融機関などが率先してやったことで、それまでの単独の銀行のままで生き残ったところがあるだろうか?
財閥系の銀行も、ほとんどが、その名前を残さず、しかも、財閥系の銀行同士が合併するなどという、今までではありえないことが起こったのだ。
ちょっと前まであった、
「銀行不敗神話」
がウソのようではないか?
校長先生は、そんな時代も知っている中で、今の時代がどれほどのものかを考え、そして、その時代が学生は児童にどのような影響を与えるかを憂いているのであった。
先ほどの純子だけではなく、苛めの問題、さらに引きこもりともなると、学校の先生がどこまで介入していいかという問題に加え、さらに、教師の
「今でさえ、どうしていいのか分からない」
というほどの、過密カリキュラムにどのように対応すればいいのか、問題は山積しているのだった。
要するに、
「何から手を付けていいのか分からない」
と思っている教師に、果たして、生徒を救える余裕などあるのだろうか?
それを思うと、
「医者もそうだが、教師になりたいと思う人がどんどん減ってくるのではないだろうか?」
という危惧を校長先生は持っていた。
医者が不足するということは、現状ではリアルに困ることであるが、教師が減るというのは、長い目で見ると、実に深刻だ。
特に義務教育が存在するので、最悪でも小学校中学校の先生は必要になってくる。ただそれはあくまでも、最低強要を得るためだけであるので、高校以上の学力をつけたければ、
「海外で勉強するしかない」
などということになると、日本の未来は真っ暗闇ではないだろうか?
もちろん、こんなことは究極のこととして、なかなかありえないとは思うが、バブル崩壊の時。
「銀行の不敗神話」
というものが、あっさりと崩れたではないか。
何が起こるか分からないという今の世の中で、学校制度が崩壊するなど、実は簡単に起こることなのかも知れない。
校長は、純子の話を聞いて、それを警察に言おうかどうか迷っていた。
ただ、今のところ、事件に直接関係のあることでもないし、純子に対し、
「これは、警察に自分では言えないから、私から言ってほしいと思っていることなのかな?」
というように聞いてみると、純子は黙ってしまって、下を向いてしまい、モジモジしている。
それを見た校長は、
「ああ、いや、いいんだ。何も警察に絶対に報告しなければいけないわけではないからね」
というと、純子は少し安心したように、
「すみません。私、このことを自分一人の胸に抑えておくことが怖くなったんです。誰かに聞いてもらいたかったというのが本音なんです。だから、絶対に警察に言わないでほしいともいえないし、言ってほしいともいえないんです」
というのだった。
それはそうだろう。警察に報告すれば、刑事は絶対に彼女に事情を聴きにくるに違いない。それがどういうことか分かっているだろう。
学校側がそんな話をしているなど、警察はまったく知らなかった。
ただ、警察の捜査も、それほど進展しているわけではない、用務員の鮫島が、殺されたことは分かったが、その後、彼がどこで何をしていたのか、なかなか、その消息が分からない。
学校側も、仕方がないとはいえ、解雇した相手なのだから、その後のことをしるよしもない。
これが、一般企業などであれば、他の会社で雇ってもらえるかどうかを問い合わせることもできるだろうが、学校ともなると、そうもいかない。
実際に、やれることは校長もやってみた。
他の学校で、用務員がほしいと思っているところがあるかどうか、念のために確認したが、ほとんどのところで、
「間に合っている」
という回答しか却ってこない。
それどころか皆、この中学と同じ答えしか選択肢はないようで、逆に同じことをしようとしている学校が多かったくらいだ。
警察が、被害者の足取りを捜査している間、別のところから、事件が変わっていくことになったのだ。
作品名:パンデミック禍での犯罪 作家名:森本晃次