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パンデミック禍での犯罪

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 と思ったかどうか分からないが、結果としては、まさにそんな感情が後ろに蠢いているという風に見えると言わざるを得ないだろう。
 つまり、政府は、
「自分たちの命は自分たちで守れ」
 といっていて、政府は何もしないということを宣言しているようなものだ。
「核ミサイルが飛んでくる時、政府要人は、ロケットに乗ってどこかに逃げ出すが、国民は、そのまま滅びろ」
 といっているのと同じである。
 しかし、生き延びたからといってどうなるというのだ?
 母国もなければ、国民もいない。
 核戦争になれば、世界がすべて、核爆弾を使う。そうなると、
「地球の何十個、いや、何百個も破壊できるくらいの核が世界にはある」
 と言われている状態で、どこに逃げるというのか。
「月や火星にでも逃げるというのか?」
 思わず笑いが漏れてしまう。
 火星人にでも養ってもらうのであれば分かるが、しょせんどこに行っても、すぐに空気も食料もなくなるだろう。戻るところもなく、死ぬのを待つばかり。まるで、生き埋めいされた上に、すぐに死なないように、空気穴でもあけているかのようなもので、
「もっとも、残酷な殺し方」
 と言われる方法で、自殺に近いことをするというのは、何ともお粗末だ。
 しかし、それは自分たちが招いたことである。全世界の人間を巻き込んだということで、その罪の深さは、
「一体、何回死ななければいけないというのか?」
 ということになるであろう。
 生き残りたいという一心で逃げたはいいが、最期には、
「あの時に、国民と一緒に、考える暇もないくらいの即死の方がどれほど楽だったのだろうか?」
 と思っても後の祭りなのであった。
「もっとも、今がそんな時代だったから、こんな殺人事件も起きたのではないのだろうか?」
 と、校長は思った。
「あの時、鮫島氏を解雇しなければ、今回の事件は起こらなかったのではないか?」
 と、根拠はないが、校長はそう思ったのであう。
 それだけ校長は、今回の事件が起ころうと起こるまうとも、鮫島氏を首にしてしまったという事実を、大きく後悔していたのだ。
「もし、鮫島氏を首にしないと、私が切られていたのかも知れない」
 という考えも頭の中にあった。
 それだけ、今回のパンデミックにおいての経済被害は惨憺たるものがあり、かつての、
「バブル崩壊」
 であったり、
「リーマンショック」
 などというものに匹敵するくらい、いや、それ以上かも知れない。
 なぜなら、今だ、このパンデミックが終わろうという気配がないではないか?
 今年の年明けに始まり、秋口までの約9カ月の間に、2回もの、
「波」
 を経験し、何が恐ろしいといって、
「伝染病のピークは冬にやってくる」
 ということであった。
 つまりは、伝染病で怖いものとして、冬になると猛威を振るっているものの代表というものが、
「インフルエンザ」
 というものである。
 これだけでも、猛威を振るえば恐ろしいのに、さらなる、一年も経っているのに、いまだ、ウイルスの前に、
「新型」
 などという名前で呼ばれているというものではないか。
 実際に専門家は、必死になって、その正体を確かめようとしているのだろうが、今だその正体が分かりかねている。
 それを考えると、やはり、
「まだまだこれからが正念場だ」
 ということになり、伝染病が変異を繰り返し、さらに強力になっていくことで、何度も波がやってくることを考えると、
「これからの経済、どうなっていくのか?」
 ということになるのだ。
 そうなると、問題は、
「蔓延を防止するための行動制限と、経済を復興させるための、経済の活性化の、バランスというもの」
 が大きな問題にあってくるというものである。
 確かに、経済をいかに回していくかということも大切ではあるが、だからと言って、患者が増えていくと、結局、店は休業を余儀なくされる。
 一人でも患者が出た店というのは、一週間から、10日の休業は、当然言い渡させることになる。
 この間の緊急事態宣言での1カ月に及ぶ休業がどれほどのものであったのか、思い知ったはずである。
 しかし、もし患者を出せば、また休業。本当であれば、
「一気に休業して、患者が少々のことでは増えないくらいにしないと、いたちごっこになるだけだ」
 と思っている人も少なくはない。
 ただ、それは少々余裕のある大企業にだけ言えることで、まったく余力のない中小企業や、前の時の緊急事態宣言で、今は首の皮一枚でとどまっている零細企業というところは、もう、溜まったものではない。
「3日以上、休業すれば、もう店を畳むしかない」
 と言って、大型連休中も、お盆期間中も休まず営業したりしていた。
 確かにこのバランスは難しく、今の政府に、できるわけのないことであった。
 結果論からいうと、冬にまた大きな波がやってきて、結局まだ、休業や時短を余儀なくされ、ひとたまりもなく潰れていった会社はたくさんあった。
 もう、経済に対しては、
「容赦なかった」
 ということになるのだった。
 経済において、うまくいかずに潰れた会社を見ていると、学校も例外ではない。
 いや、学校ほど、危ないところもないといってもいいかも知れない。少しでも経費の節減をできるところをしないと、ただでさえ、教師の仕事はぎゅうぎゅうなので、どうしようもなかったといってもいい。
 そんな中、純子のように、そんな用務員をしている人に、自分の相談をしていた生徒が他にもいたのではないかと思うと、校長は、後ろ髪を引かれる思いだった。
 しかも、今回のように、何がどうしてこんなことになったのか分からないが、
「解雇した人間が、解雇されて、すでに関係のなくなった場所で、死体となって発見される」
 というショッキングな事件が起こったのだ。
 首になった腹いせに、勤めていたところで自殺を試みるというような話は、昔からあったことだ。
 解雇されたビルの屋上から飛び降りるというような事件は、昔の方が多かった。
 しかし、それは大企業などに多かったことで、会社に利用され、
「危ない橋」
 を渡らされ、会社が危なくなったことで、会社から、
「すべての責任を押し付けられ解雇される」
 ということにあり、そのせめてもの抵抗として、自分の会社ビルから飛び降りるという行動に出るのであった。
 しかし、これは、会社側にとっては有難いことで、
「やっぱり、犯人はあの人で、罪の呵責に苛まれ、自ら死を選んだ」
 ということになり、完全に思うつぼに嵌ってしまうことになる。
 完全に、そうなってしまっては、犬死だといってもいいだろう。
 それを思うと、昔から、企業や官庁などというところは、実に冷たいものだ。
 昭和の社会派ミステリーなどと言われる推理小説ではそんな話が山ほどあり、それが受けた時代があった。
 高度成長時代が終わり、その後に訪れた不況が大きかった。
 しかも、中東戦争などによる、
「オイルショック」
 というものから発した、不況はひどいものだった。
 小さな会社や、町工場などは、立て続けに潰れていき、
「一家心中」
 などという言葉が流行った時期でもあった。