パンデミック禍での犯罪
ただでさえ、単独でも大いなる社会問題であるにも関わらず、それが一緒になってしまっているのであるから、当然その問題は大きなものになるに違いないのだった。
そのことを考えると、子供のうちから、苛めというものをなくさないと、将来がないといえるのではないか。
それは、その子だけに言えることではなく、社会を形成する、大人の世界が、崩壊に帰するといえるだろう。
そういう意味で、最近の、
「コンプライアンス問題」
がクローズアップされているのも分かる気がする。
むしろ、今まで誰も触れてこなかったことの方がおかしいと言えるだろう。
現場からいくらでも、問題として挙がってきているはずだ。
セクハラはもちろんのこと、パワハラ、モラハラ、マタハラなど、どんどん出てくるというものだ。
バブルが弾けてからはなくなったが、それまでは存在していた。
「サービス残業」
という言葉。
これは今の時代のものとは若干違い、例えば、
「上司が会議をしている時、定時までに終わらなかったといって、部下が勝手に帰ることは許されなかった」
というものである。
勝手に帰りなどしたら、翌日。
「何で上司を待たなかったんだ。それくらい、社会人としては常識だろう」
というわけだ。
それが当時の
「サービス残業」
であった。
バブルが弾けてからは、経費節減が叫ばれるようになり、
「残業などというものは、してはいけない」
と言われるようになった。
しかし、それがいつの間にか、
「座業手当を支給しない。つまりは、残業申請をしない残業をさせる」
というのが、サービス残業になった。
それがパワハラと言われるようになり、今は禁止となったが、昔はそれが当たり前の時代があったのだ。
世の中は、いろいろ変わってくるので、
「いい時代が、悪くなったり、悪い時代がよくなったり」
というそんな状況が、繰り返されるのが、世の中というものではないだろうか?
そう考えると、苛め、引きこもりの問題は、
「どこにでもあることだ」
ということになるのだろう。
今の時代は、コンプライアンスの問題がクローズアップされているが、しかし、それは会社におけることがほとんどで、なかなか学校には行き届かない。
生徒に対して、甘いことの方が多いのではないだろうか?
特に、昔であれば、
「愛のムチ」
と言われていたことが、今なら、ちょっとしたことで、
「体罰」
と言われるようになり、先生の立場も明らかに失墜してしまっている。
そんな時代における学校では、数十年前から、それまでの、受験戦争のための、
「詰込み教育」
と言われたものから、今度は、
「ゆとり教育」
ということのために、週休二日制などというものを導入することで、生徒にゆとりを持った学習を行わせるようになったはいいが、今度は、本来身につけなければいけないはずの学習能力を、まったく身につけられずに社会に出ることで、社会での甘えが出たりして、
「ゆとり世代」
などという。ありがたくない称号を賜ることになったのだ。
それは、実にまずいことであり、社会においては、ゆとりなどというものをまったく考えないところであるから、ゆとりとのギャップから、社会に出たとたん、先輩からは馬鹿にされ、
「何もできない社員」
というレッテルを貼られ、それが、さらに、
「何もできない世代だ」
ということで、いわれのない苛めのようなものを受けることになるのだった。
さすがに教育委員会も焦ったことだろう。
自分たちが計画したゆとり教育が、完全な失敗に終わったのだ。これは、どうにもならないことになってしまったのかということを考えさせられるものだった。
そんなこともあって、今では、
「ゆとり教育」
から、前のような教育に戻すようなことも行われている。
ただ、そうなると、今度は先生もついてこれなくなる可能性があるではないか。
何と言っても、今の先生は、
「ゆとり境域」
の恩恵を受けてきた人だ。
社会に出れば、上司から、反感を買うであろう人が、教育者として、教育委員会の決めたカリキュラムを行おうというのだ。
当然のごとく、
「キャパオーバーではないか」
と言われるのも当然である。
今までの自分たちが受けた教育を、まったく変えた形で自分たちが教えることになるのである。
つまりは、
「教師のための、教育」
が必要なのではないかということである。
しかし、教育現場は、待ったなしである。
そんなことは分かっているが、毎年のように、教育方針や、科目によっては、いろいろ変わってくる。
特に校長が専攻した歴史などという科目は、まるで、
「生き物」
であった。
徐々に新しいことが発見、発掘され、今までの常識が非常識になるのだ。
どこまでついてこれるかというのは、生徒よりも先生ではないだろうか?
それを思うと。先生への教育というものが、いかに大切なものであるかということが問題になってくるのだった。
特に、人物画であったり、年表の年代。さらには、事実までもが、
「実は間違いだった」
などということになると、
「一体何が正しいというのだ?」
ということになるのは、当たり前のことになるのだった。
自首してきた男
学校の先生も、ゆとりがなくなったせいで、今では、
「一番のブラック企業というのは、学校だ」
と言われるようになっていた。
一日平均の勤務時間が、約10時間。さらに、休日もなく、そこに、カリキュラムだけではなく、テストもあれば、その採点もある。
さらには、勉強だけではなく、部活の顧問、修学旅行などの、学校行事の手配や引率。そんなものを含めると、本当に、寝る暇もないといってもいいだろう。
さらには、生徒と父兄との板挟み、苛め問題、生徒の進路問題など、突き詰めれば、いくらでも出てくるというものである。
今の、
「世界的なパンデミック」
の間では、どこが一番ひどいかというと、
「医療関係」
であろう。
何しろ救急車を呼んでも、受け入れ病院がないのだ。
最初こそ、
「病院というところは、伝染某患者を受け入れることで、他の患者が来なくなって、経営に大きな問題を及ぼすということで、患者を受け入れようとはしない」
と言われていたが、それが、感染者が急増し、政府がその対策を全く持って取らないようになってしまったことで、そのしわ寄せが、医療従事者に向かったのだ。
「水際政策」
は、ザル同然になり、そのうちに、
「外出時は、マスクをつけなくてもいい」
などということを言い出したもので、一気に感染者は拡大。
それでも、政府は、
「マスクをしましょう」
とは決して言わない。
自分たちに文句が来ることが嫌なのだろう。
そんな政府の、
「体裁をつくろう」
という政策が、医療崩壊を招いたのだ。
つまり、国民も医療関係者も、政府としては、
「もう俺たちは知らない。下手に宣言などを出すと、金を出さなければいけない。自分たちが私腹を肥やすための大切な金を、誰が国民になど渡してたまるか」
作品名:パンデミック禍での犯罪 作家名:森本晃次