パンデミック禍での犯罪
学校ではどうすることもできない。リモート授業などもできず、かといって、学校に登校させて、病気が蔓延すれば、学校の責任だ。だから、国の方針を間違っているとは思えない。ただ。
「自分たちに力がない」
ということが分かったということがである。
そんな状態において、
「理想の校長先生」
というのが、どういうものなのかを考えていたが、なかなか思いつくわけにもいかなかった。
とくに最近などでは、学校の内外でトラブルが起こることも多い。学校に限らず、保育園、幼稚園などでもそうだ。
幼稚園などで、多発している、
「幼稚園バスの中に、子供を置き去りにして、その子が熱中症で亡くなる」
という事件も再発したりした。
最初の事件で、あれだけ騒がれたにも関わらず、再度起こった事件というのは、最初に起こった時は、
「前代未聞の大事件」
などと言われたのだから、それから1年も経たずに起こってしまった事件では、何と表現すればいいのだろうか?
「言語道断」
というだけで済まされるのだろうか?
そんな時、責任者として、園長や理事長が出てきて、マスコミに対して、
「言い訳」
をして、頭を下げるだけであった。
その言い訳も、完全に他人事で、見ているだけで、違和感があるのは、皆に言えることではないだろうか。
当事者とすれば、
「いいわけではない」
というかも知れないが。起こってしまったことは、どうにもならない、時を戻すわけにはいかないのだ。
つまり、
「言い訳以外の何ものでもない」
というわけだ。
亡くなった子供がもし、生き返ったとしても、それでも、
「よかった」
といって許される問題ではない。
当事者の家族に対して、さらには、子供を預けている親に対しても、さらには、園を経営している他のキチンとした(本当にそうなのかどうかは甚だ疑問であるが)幼稚園、さらには、その父兄に対しても、信頼を失墜させ、不安だけを煽るような会見をするくらいなら、謝るだけ無駄である。
「頭を下げればいい」
と思っているだけなのかも知れない。
二度目の罪は、一度目よりもさらにひどい。
「一度、他の園でこういうことがあったのだから、うちの子供を預けている園でも余計に気を付けるだろうから、うちの子供は大丈夫だ」
と思っていた親の期待を見事に裏切ったのだ。
こうなれば、
「日本中の幼稚園すべてが信用できない」
と思えてくるだろう。
そうなると、最初の罪どころの話ではない。
「指の先ほど残っていた期待を、完膚なきまでに粉砕したわけなので、幼稚園というところだけの問題ではなくなってしまった」
といってもいいだろう。
そうなると、
「あの謝罪は何だったんだ?」
ということになる。
同じ幼稚園で起こったのだとすれば、一つの幼稚園の異常な体質ということになり、他の幼稚園は、そこまで気にすることはないのかも知れないが、他の幼稚園でも同じことが起こったとなると、もう、幼稚園というもの時代の信頼が、まったく失せてしまったといてもいい。
「一度失った信用は、そう簡単に戻せるものではない」
という。
しかも、他の幼稚園からすれば、迷惑でしかないものであり。誹謗中傷であれば、まだほかに手の打ちようがあるが、一種の身内が立て続けに起こしたトラブルであれば、手の打ちようはない。
そう思うと、怒りが収まらないのは、同業者の関係者であった。
学校だって、同じことが起こらないとは限らない。相手は人間なのだから、
「明日は我が身だ」
ということで、校長は、最近はそのことを気にしていた。
今のところ幼稚園の問題なだけなので、こちらは関係ないが、実際に、今進行している、
「学校における諸問題」
というのは、まったく解決していない。
これは、どの学校も抱えている問題ということで、何をどうすればいいのだろう?
そんなことを考えていると、
「自分が、もし、学校の誰かの問題で、釈明会見を行わなければいけなくなったら、どうだろう?」
と考えた。
謝るだけでは済まされない。マスゴミ連中から、余計な質問を浴びせられ、まるで、
「針の筵」
に載せられたような気分になるだろう。
そうなってしまうと、本当に何を言っても言い訳になってしまうのが分かるだけに、自分が一番他人事だと感じるに違いない。
しかし、そんな様子を少しでも見せると、あのマスゴミ連中は、
「誠意がないですね」
などと言って糾弾してくるだろう。
だが、マスゴミの連中こそ、一番の部外者ではないか。
いかにも正義感ぶってはいるが、やつらは、面白い記事を書いて、新聞や雑誌が売れることしか考えていない。
そんな連中に、果たして、
「我々を糾弾できる権利があるというのだろうか?」
と考えてしまう。
「他人事なのは、お前たちではないか?」
と言いたい。
「世界的なパンデミック」
にしてもそうだが、特に昔のマスゴミはひどかった。
大東亜戦争の時、
「マスゴミが煽らなければ、戦争にならなかったかも知れない」
ともいわれている。
もっとも結果論であり、ルーズベルトが戦争にしたかったものに、日本が載せられたというのが事実だったので、
「世論の高揚が戦争を引き起こした」
というのは、一番の原因ではないが、
「戦争を引き起こした責任」
という意味では、戦争へと国民の高揚を促すような報道をしたマスゴミを許すことはできないだろう。
確かに、戦争中など、軍による
「情報統制」
が行われたのは事実であるが、それを戦後になって、
「言論の自由への冒涜だった」
などというのは、筋違い。
「本末転倒だ」
と言ってもいいだろう。
むしろ、
「因果応報」
というべきで、戦争さえなければ、報道統制もなかったわけだし、自業自得といっていいのではないだろうか。
そう、人間は、とかく、追い詰められると、他人事になるものだ。それを思えば、校長としても、
「知らず知らずのうちに、自分も他人ごとになっているのではないか?」
と思わざるを得ないだろう。
そんなことを考えていると、目の前にいる女生徒も、何が言いたいのか分からないが、「なるべく他人事としての対応はできないだろう」
と感じたのだった。
苛めと女生徒
「君は、たぶんさっき、遺体を私が確認した時、悲鳴を挙げた生徒だったよね?」
と校長が訊ねると、少し間をおいてから、
「ええ、そうです。私は三年二組の、鶴崎純子と言います」
といって、またモジモジし始めた。
「その鶴崎君は、先ほどの遺体が誰だったのかということが分かったのか?」
と聞くと、か細い声に、まるでビブラートが利いたような和音を感じたことで、少し声が野太い感じを受けたが、
「はい、あれは、用務員をされていた鮫島さんですよね?」
というのだった。
なるほど、その声は少し低い声で、それだけに、重たさが感じられるような気がしたが、校長としては、生徒がそんな声になるということは、何か追い詰められたのか、死体を見てしまったことのショックが抜けていないのかのどっちかだと思った。
作品名:パンデミック禍での犯罪 作家名:森本晃次