パンデミック禍での犯罪
しかも、
「今一人で勇気をもって、単身、校長の自分の元に訪れるということは?」
と考えると、このまま何も聞かずに帰すわけにもいかないと感じるのだった。
彼女は、扉の前で佇んでいて、ただ下を向いていた。
「覚悟を決めたはいいが、いざとなって、校長の前に立つと、何から切り出していいのか分からない」
というところが本音であろうか?
校長としては、ここは大人の対応をしないといけない。女生徒に対して、
「とりあえず、そんなところにいないで、中に入りなさい」
と促すと、彼女は普通に、
「失礼します」
といって中に入ってきた。
彼女は果たして何をしにきたというのだろう?
「事件のことを聞きたい」
と思ったのか、それとも、
「事件のことで何かいいたいことがある」
ということできたのか。
どちらにしても、単身校長室に乗り込んできたのだから、それだけでも、
「いい根性をしている」
ということになるだろう。
入ってくるなり生徒を見ると、泣いているようである。校長は、それを見て、さすがにいきなり話しかけることはしない方がいいと思ったのか、彼女が落ち着くまで少し待っていた。
何と言っても、校長先生と面と向かいだけでも勇気がいるのに、先ほどの事件の後だけに、その精神状態はかなりのものであろう。
それを思うと、さすがに校長も気を遣わないわけにはいかなかった。
昔から、校長先生というと、温和な雰囲気がある。どうしても、現場を取り仕切っている教頭の場合は、そう、体裁ばかり取り繕っているわけにもいかず、生徒から嫌われ役になっている場合が多い、特に昭和から続く、いわゆる、
「熱血青春もの」
に出てくる先生は、そのほとんどのパターンが決まっていた。
まずは、主人公の熱血先生がいて、マドンナのような美人先生がいる。
体育教師はいつも、ジャージを着ていて、竹刀を持っているような人か、あるいは、実際に勉強を教えているわけではないので、そのあたりが他人事のようで、言いたい放題の先生かのどちらかであろう。
そして、いつも、生徒から苛められているような先生がいたりするが、急にどこかで覚醒するのを、主人公の熱血先生が手助けをするというような場面があったりする。
今の校長くらいの世代であれば、そんな熱血青春ものの番組を、リアルか、少なくとも、再放送で見ていた時代だろう。
昔は今と違い、再放送の時間帯が夕方くらいにあり、人気のある番組は、しょっちゅう、再放送されていたのだった。
あの番組での教頭というと、もう一人、腰巾着のような先生と二人で、熱血先生を追い落とすことで、校長先生を窮地に陥れ、そして、自分たちが出世しようというようなことをもくろんでいるのである。
それが一種の番組の骨格でもあった。
その熱血先生は、校長が採用するというのが、そのほとんどなのだが、校長は温和でありながら、いつも、学校が、
「受験至上主義」
のようになっていくことを憂いていた。
もちろん、学校が勉強をするところだということを踏まえたうえで、
「生徒たちには、伸び伸びとした教育を」
ということを目指している。
そんな校長が雇った先生が、いつも、破天荒な行動をすることで、PTAを怒らせたりして、それが問題になると、その教師の解任問題へと強調はいきり立つ。
それによって、校長の、
「任命責任」
のようなものを問うて、それによって、校長を失脚させ、教頭は自分が、校長の座に就任しようという魂胆だ。
腰巾着先生は、
「教頭が校長になったら、新校長は自分を教頭に推薦してくれる」
という思惑で動いているのである。
果たして、校長にそこまでの力があるのかどうか分からないが、考えてみれば、これも面白い。
確かに、
「任命責任」
を盾にして、校長を追い落とそうとしているのに、腰巾着を教頭にして、もし、新教頭がおかしなことをすれば、今度は自分が現校長の二の舞ではないか?
そんなことになっても、とりあえずは、
「自分の手足となって動く部下」
という方がいいというのだろうか?
それとも、そこまで考えずに、単純に、
「都合よく使おう」
と思っていたとすれば、もしクーデターが成功しても、すぐに、内部崩壊になるのではないかと考えるが、まさにその通りではないだろうか?
結構、
「悪知恵」
が働く癖に、自分のこととなると、なかなか、うまくいかないのであろう。
そんなドラマを見ていたせいか、教頭時代には、自分も、
「早く校長になりたい」
と思ったものだ。
しかし、それは、別に当時の教頭のようなことをしようと思ったわけではない。もちろん、生徒を締め付けたり、学校を、
「受験戦争に打ち勝つようなエリート学校」
にしようとも思っていなかった。
ただ、教頭という職では、
「何か成果をあげないと、その先がない」
ということであった。
「校長になるための、踏み台」
と考えるか、それとも、
「教育の現場の頂点」
と考えるかによって、その自分の立ち位置も変わってくる。
後者であれば、それだけ、自分の進むべき道も見えてくるというもので、
「校長の椅子を狙うわけではなく、教頭という立場から、校長という職を見る」
という考えであれば、今後、自分が校長になった時、どのような立場でいればいいかということが分かるというものである。
一般企業においては、教頭といえば、部長クラスであろうか?
部長ともなると、実際の職務の最高責任者であり、取締役という立場に一番近い役職でもある。
そういう意味では、
「実務の最高責任者としては、一番の部署であり、取締役とまでいかなくても、ここで十分」
と思っているサラリーマンも多いだろう。
しかし、学校では、
「教頭まで行ったんだから、校長まで目指したい」
と思うのは当然である。
校長から、教育委員会に行くというのを栄転と考えている人もいて、こちらは、どちらかというと、警察組織に似ているのかも知れない。
警察組織というと、いわゆる、
「キャリア組」
と呼ばれる、官僚職が存在するものであり、完全な、
「縦割り社会」
となっている。
教育の現場も、そんな縦割社会が、存在していて、問題はもっと他にも山積している。
昔からあるのは、
「苛め問題」
などである。
しかも、下手に相手をすれば、
「体罰」
などと言われ、大っぴらに生徒を叱ることもできない。
そうなると、先生は何もできない。
PTAと呼ばれる父兄の組織も糾弾してくるであろうし、その後ろには、教育委員会がついている。
普通の会社でいえば、PTAは、会社にとっての、
「社員による組合」
のような存在で、教育委員会は、その組合を組織する団体だったりするのではないだろうか?
と考えている。
そんなことを最近、無性に考えるようになったのだが、きっと、それは、自分が年を取ったからではないだろうか?
特に考えてしまうのは、
「世界的なパンデミック」
が流行ったせいで、学校は、国の命令で、
「全国一斉休校」
となった。
作品名:パンデミック禍での犯罪 作家名:森本晃次