パンドラの殺人
身体から、体液が漏れてきて、口や、下半身から、垂れ流し、などという悲惨な状態を見せつけることになる。女性が死を選ぶには、
「これほど人に見せられないものはない」
と言えるだろう。
一般的な自殺というと、このあたりになるだろうか?
過去の著名人の自殺などで、話題性になったものをして、
「割腹自殺」
「焼身自殺」
などというものがあるが、そこまでくると、
「ただ死ぬだけではなく、死を宣伝する」
という形になるだろう。
また、これは異色な考え方だが、
「死んだかどうか分からない」
という、まるでミステリーの謎のような話しがある。
「死んだと思わせて、実は生きていた」
と思わせたいというのもそうであるが、
その場合の自殺(したとされる方法)としては、
「断崖絶壁からの飛び降り」
などによるもので、
「死体が潮に流されて、絶対に上がらない」
というものであったり、
「富士などの樹海に入り込む」
というもので、これも、死体が見つからない。
というパターンである。
ちょうど、戦後のこの時代であれば、それらの自殺も多かっただろう。
死体が見つからないことがいいのか悪いのか、その人は、ただ、死ぬことだけを考えて、残った人がどうであろうが関係ないという場合である。
特に行方不明ということになると、遺産相続ができるわけではない。そうなると、残された人には、
「せめて、自殺がハッキリしている方がいい」
と思うことだろう。
保険金は手に入らなくとも、遺産相続はできるからである。
だから、それでも、行方不明になりたいということは、逆に、
「意地でも、遺産を相続させたくない」
というほど、残された人を恨んでいるという可能性があるではないか。
それを思うと、
「自殺するなら、死体が見つからないのは、困る」
というものである。
それは警察も同じで、
「余計な手間がかかる」
と思うかも知れない。
行方不明であっても、遺書があったりすれば、死体の捜索は行われる。ただの行方不明者のように、届を出しただけということにはならないだろう。
つまり、行方不明になっている人が見つからないと困る場合など、実は、
「死んだことにして、実は生きている」
ということで、犯罪に関わっているのではないかというのが、結構探偵小説などではあるだろう。
時に、戦後の探偵小説もそうだが、その後の、
「社会派推理小説」
と呼ばれる時代に入ってくると、特にそういう話が使われることが多かったりする。
社会派というと、よくあるのが、
「一人のサラリーマンが、会社の上司に言われて、悪に手を染めたはいいが、上司の立場が悪くなると、部下を切り捨てるようにして、自分たちが生き残るというパターンであある」
つまりは、
「部下に全責任を押し付けて、密かに葬り去ったのだが、それを怪しいと思った主人公が、実は殺された人間が実は生きていて、会社を脅かしているというような、一種ホラーのような話しができたりもしている」
実際に、そのような小説も多かったりした。
奥さんと、犠牲になった社員の親友とが手を結んで、会社を脅かすというようなことである。
かといって、力があるわけではないので、組織に捕まったら終わりである。
そのあたりを、サスペンスタッチで描くという、いわゆる、
「社会派ミステリー」
というような話である。
結構、ドラマ化や映画化もされたりした。
一世を風靡した作家も何人もいて、主人公も、刑事だったり、弁護士だったり、検事だったりと、その後の、
「安楽椅子探偵」
と言われるものの走りだったりするのではないだろうか?
自殺というものも、こうやって考えてみると、いろいろあるものだ。
そして、その成功未達成など、その後において、いろいろな遺恨を残すことから、
「一長一短ある」
といってもいいだろう。
本当は自殺などないに越したことはないのだが、
「生きていく方が、死を選ぶよりも、何倍も辛いことがある」
と言われる通り、自殺をする時というのは、自分の覚悟とタイミングのようなものがあるのかも知れない。
そういえば、以前、
「死にたくなるのは、菌の影響で、自殺菌というものがあるのではないか?」
という話を聞いたことがある。
妖怪などでは、
「死神」
というのがいるというが、似たようなものなのだろうか?
ただ、今回の自殺は、別に何も怪しいところのない自殺であった。
身元もハッキリしているし、遺族のところに行くと、
「そうですか。自殺を」
と、憔悴はしていたが、別にビックリしたという感じではなかったのだ。
そこにいたのは、長男だった。
ちなみもその自殺した人というのは、柳沢庄吉という人で、会社社長をしていたという。
会社社長をしていて、今だ現役であったが、今は病気ということで、長男が、社長代行をしていたという、
しかし、
「まもなく、私が社長に就任することになっているんですよ」
というではないか。
「じゃあ、社長が、会長職になって、息子さんが、社長に就任されるという、いわゆる、代替わりというやつでしょうか?」
と聞くと、
「いいえ、実はそうではなく、父の病いは不治の病いで、もう長くはないと宣告もされているんですよ」
と、長男が言った。
「ほう、そのことを、お父上は知っておられたんですか?」
と刑事がいうと、
「ええ、知っていました。だから、私たちも父がある程度覚悟はしているのだと思っていましたので、自分が死んだ後のことも、弁護士を通じて、ちゃんとしていると思っておりました」
という。
「なるほど、これだったら、憔悴はしても、驚きはなかったわけが分かったというものだ」
と刑事は感じたのだ。
さすがにこれ以上は、遺産相続に絡むことのようなので、個人情報に抵触するということで聞けなかった。会社の顧問弁護士という人にも遭ってきたが、さすがに社長が自殺をしたということで、その後始末にてんやわんやであった。
いくら弁護士とはいえ、どんなに段取りよくしても、忙しい時は忙しいというものだ。弁護士も、いくら刑事とはいえ、あまりかまってもいられないし、刑事の方としても、自殺だとハッキリわかっていて、事件性もないことなので、ウラドリを形式的に行うだけであった。
それを考えると、
「ここは、あまり時間をかけても」
ということで、弁護士が、
「遺言を預かっている」
ということと、
「その手続きに少し手間がかかる。つまり、遺族を集めることに少し時間が掛かる」
ということがあるので、忙しいということのようだった。
警察も、
「別に事件性もない」
ということで、その日のうちに、
「自殺死体発見」
ということで、報告書という書類を回すだけだったのだ。
この事件は、すぐに忘れられた。司法解剖することもなく、毒を煽っての服毒自殺だったので、外傷ももちろんなかった。
誰かと争った跡でもあれば、それは、それで問題だが、そんなことはなかった。静かに死んでいったようである。
「普通青酸カリを飲むと、もっと苦しむはずなのにな」
という意見もあったが、