パンドラの殺人
しかし、どちらかというと、あまりいい意味に取られないのはどうしてであろうか?
植物人間を抱えることになった家族はそんな風に考えたり、
「神も仏もないものだ」
と感じるに違いないだろう。
自殺をする人間には、いくらかの方法がある。
「自殺する人間は、まず何を考えるだろうか?」
考えられることとしては、目の前のこととして、二つがあるのではないかと思うのだった。
まず一つが、
「どうすれば、楽に死ねるだろうか?」
ということ、そして、もう一つが、
「どの方法を取れば、確実に死ねるだろうか?」
ということだろう。
確かに、死ぬのに、
「苦しみたくはない」
と思うのは当たり前のこと、そして、それ以上に、
「確実に死ねないと、死を覚悟した意味がなくなってしまう」
というものだ。
実際に死のうとして死にきれず、前のように回復したとしても、死を覚悟した要因になったものが、消えていないだろう。
そうなると、生き残ったことが口惜しくなるのも当たり前のことだ。
しかし、人間というのは厄介なもので、
「一度死を覚悟して死にきれなかった場合、また死ななければいけない状況は変わっていないだけに、再度、自殺を考えなければいけない」
ということになる。
しかし、
「人間というのは、そう何度も死ぬ勇気なんて持てるものではない」
というではないか?
結局生き残ることになるのだが、もう、何をどうしていいのか分からなくなるだろう。
自殺をする方法としては、いくつも考えられる。
まず一つとしては、前述のような、
「飛び込み」、
「飛び降り自殺」
というものである。
これは確実に死ねる確率は高いだろうが、生き残った場合を考えると果たしてどうなんおだろうか?
何よりも、人に迷惑をかけることで、下手をすると、
「残された家族に、自分と同じ道を歩ませることになる」
ということであった。
「植物状態:
となってしまうと、前述の問題を抱えることになる。
また、電車などに飛び込んでしまった場合は、残った家族に、
「電車を遅らせた」
ということで、その賠償金を言い渡されるのだ。
その額はハンパではないという。一番迷惑を被ったはずの客に還元されることのない。言い方はあれだが、
「鉄道会社の丸儲け」
といってもいいくらいで、
「飛び込み自殺は、家族を崩壊させ、その分、鉄道会社を儲けさせただけという、実に皮肉で、バカバカしい死に方になるのだ」
ということになるだろう。
しかし、実際に、こんな理不尽なことはないはずなのに、飛び込み自殺というのは多かった。
たぶん、その後の賠償などというのを知らないのだろう。それを思えば、
「飛び込み自殺などをした時、残された家族がどうなるか? ということをちゃんと世間に知らしめたほうがいい」
という意見もあったが、どうも鉄道会社が、それを拒んでいるようだった。
「丸儲けできなくなる」
などと真剣に考えているわけではないだろうが、何か裏に潜んでいるものがあるということではないだろうか?
あの時代の人たちが、どのようなことを考えていたのか、あるいは、もくろんでいたのかというのは。なかなか理解できるものではないようだ。
また、他にもいくつも自殺の方法はある。
「確実に死ねる」
という確率が高いものとしては、
「毒薬を煽る」
というものがあるだろう。
ただ、この場合の問題は、
「いかに毒薬を手に入れるか?」
ということだ。
戦後すぐであれば、たとえば、軍需工場に勤めていた人たちや、兵隊の人たちなどは、
「捕虜にならないように」
ということで、青酸カリが配られたということがあったようなので、まだ大切に保管している人もいるだろう。
「ただ、いつまで効力があるかというのが問題であるが」
正直どれだけもつかということを知っている人は少ないだろう。昔はネットのようなものもなく情報は少ない。
だからと言って、迂闊に誰かに聴いたりすると、
「何でそんなことを聞くんだ?」
と言われて、どういい返せばいいのかも困ってしまう。
結局、分からないままの使用になるのだろうが、これこそ、
「死にきれなかったら、どうなるんだ?」
ということになるだろう。
だが、やはり青酸カリというのは、入手が簡単にできるものではない。
殺人だったら、
「足がつく」
というレベルであろう。
では、他の自殺の方法としては、同じ薬で、
「睡眠薬」
を多量に服用するというのがある。
しかし、この場合は死にきれない可能性がある。さらに、目覚めることもなく、こちらも最悪、
「植物状態」
である。
睡眠薬の服用を考えるのは、たぶん、
「眠っている間に死ねるから、一番楽だ」
ということであろう。
しかし、分量を間違えると、却って副反応を起こして、痙攣を起こしたり、泡を吹いたりして、苦しむというようなことも聞いたことがある。決して、楽に死ねるわけではないということであろう。
そういう意味で、睡眠薬というのも、自殺の方法としては危険なものである。
さらに考えられることとしては、いわゆる、
「リスカ」
と呼ばれるもの、つまりは、
「リストカット」
手首の動脈をナイフなど切り、出血多量のショック死で、死に至らしめるというものである。
これは、よく若い女性などが一番自殺を試みる時にやるもので、死にきれなかった人であっても、何度も繰り返すという、
「常習性」
のようなものがあるという。
「ためらい傷」
と呼ばれるもので、精神的に、慢性化するものなのだろうか?
リストカットの場合は他と違って、
「自分の力」
が必要となる。
首を吊るわけでもなく、毒を飲むわけでもない。自分で力を掛けるので、どうしても、セーブしてしまうので、ためらい傷が残るのだ。
だが、
「一番楽な死に方」
と思うのではないだろうか?
ただ、本当に、
「一番楽」
と考えるのは、
「睡眠薬の服用」
ではないだろうか?
この場合は、前述のように、
「もし、死にきれなかった時、副反応を起こして、泡を吹いたり、呼吸困難になったりして、相当苦しむ」
という話を聞いたことがある。
眠っている間に死ねるという発想は、相当甘いということが言えるのではないだろうか?
そういう意味では、
「リストカット」
も同じことである。
苦しみながら、しかも、ためらい傷が残る。出血していく中で、こちらも痙攣を起こしかねない。死に至るまでに一番時間が掛かり、苦しむ時間が長いのも、このリストカットではないだろうか?
まだまだ死に方はいろいろあるが、次に考えられるのは、
「首吊り」
である。
よく、自殺する人が、
「借金などで首が回らなくなって、首を括る」
というのがあるが、ある意味、一番、
「手軽」
ということであろう。
首を括る場所と、ヒモさえあれば、どこでもできるのだからである。
ただし、首を括る場合は、相当な苦しみを味わうことになる。
こちらもなかなか死ぬところまでは行きつかない。苦しみなから死ぬことになるだろう。
しかも、その苦しみは、身体の限界を超えるといわれている。