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パンドラの殺人

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「妖怪や幽霊の出やすい時間」
 と言われていた。
 彼らは決して、人間を脅かすわけではなく、人間に迷惑を掛けないその時間に現れるという、
「忖度のできる連中だ」
 ということであろう。
 自殺死体など、本当に珍しい時代ではなかった。もちろん、自殺するには、それなりに理由があるのだろうが、ちょうど、当時、世間を騒がせるような凶悪犯的な事件も少なくなかったことで、警察は、
「自殺者などに関わっている暇はない」
 というのが本音だったようだ。
 もちろん、そんなことを口にできるはずもないので、口に出すことはないが、
「そんな仕事を増やすようなことはしないでくれよ」
 と思っていたことだろう。
 確かに、凶悪事件が多発した時期ではあったが、それが、長く続いたわけではない。それこそ、
「模倣犯」
 のような事件や、
「連鎖反応」
 ではないかというようなものがあったのは事実であろう。
 そう思っていると、実は、犯罪よりも、自殺の方が、連鎖反応があるようで、しかも、自殺はそんな凶悪犯が一時的なものだったような程度では済まされない。そういう意味では、長く社会問題になっているといってもいいだろう。
 もちろん、警察も自殺を少しでもなくせればいいと思っていたことだろう。自殺者が多いというと、まず、印象が悪い。治安の云々とは違った意味で、世間体としてはあまりよろしくない。
 それは当たり前のことであり、派出署の前や、警察署の前では、いつも、県下の死亡者数や、交通事故の累計などを、パネルにして貼り付けていたものだった。
 だから、増えた減ったということは、気にしている人はいただろうから、警察もうかうかはしていられない。検挙率や、死亡者数、さらに、交通事故の数なのは、結構重要だった。
 一人の刑事がいて、その刑事の発想として、
「自殺する人が、どのような心境なのだろうか?」
 ということを気にしている人だった。
 名前を、依田島刑事という。
 彼は、今年で35歳になる。戦争中、戦後の動乱をいかに生き抜いてきたのか、自分でも、正直分かっていない。
「気が付けば、警察官になっていた」
 というくらいだった。
 だからこそ、警察官に落ち付いてからは、
「これからの人生、腰を落ち着かせて、生きて行こう」
 と思うようになっていたのだ。
 一種の、
「勧善懲悪の塊」
 に近い刑事だといってもいいだろう。
 今回の自殺死体発見の第一報を受けて、出動したのは、この依田島刑事だったのだ。
 彼は、勧善懲悪の精神の元、警察に入ってはきたが、最近、いや、刑事になった頃から、自分が感じていた勧善懲悪というものと、少しずつ考え方が変わってきていることに気づいていた。
 この頃は、凶悪事件や自殺も問題であったが、詐欺事件というのも少なくなく、自殺者の中には、そんな詐欺に遭ってしまったことで、自殺に追い込まれた人も少なくなかったのだ。
 だが、その詐欺というのも、警察が捜査していくうちに分かってくるというもので、実際にどういうものなのかというのは、なぜか、緘口令が敷かれた。
 ただ、警察からの注意勧告として、
「詐欺について」
 という定期勧告通知として出される中に、書かれているだけだった。
「どうして、もっと、世間に通告しないんですか?」
 と上司に聴いてみると、
「私もハッキリとは分からないが。どうやら、詐欺撲滅グループのようなものが、県警本部にはあって、密かに動いているようなんだ。その撲滅のためには、あまり世間で騒いで、やつらを刺激しないようにということで、今は内偵が進められているらしい」
 ということであった。
「それであれば、納得は行くが」
 と思った。
 確かに、大きな獲物を一網打尽にするためには、しょうがないことなのだろうが、
「今でもこうやっているうちに、詐欺に遭っている人がいるのではないか?」
 と思うと居たたまれない気分にさせられることもあったのだ。

                 殺人事件発生

 そんな警察に、一抹の不安と、縦割り社会というものを、あからさまに見せつけられると、せっかくの勧善懲悪の精神が、どこか揺らいでしまうのが分かるのだった。
 もっとも、それらのことは、別に警察組織でないとないわけではない。民間の会社だって、理不尽なことは結構あるだろう。
 警察しか知らない依田島刑事は、何とか、気持ちを維持したまま、今日も警察の中で、刑事を言う仕事をまっとうしていくしかないと思っていたのだった。
 ただ、最近の凶悪事件だけは、どうしようもない。捜査をすればするほど、世の中の理不尽さが見えてくる。
「民間企業というのも、警察に負けず劣らず、理不尽なところがある」
 ということを、最近になって感じるようになった。
 だが、あくまでも、凶悪犯の捜査なので、民間企業のことにまで考えが及ぶ余裕はなかったのだ。
 しかも、警察は、
「民事不介入」
 あくまでも、刑事事件の捜査を行うだけであった。
 一時期流行ったのが、
「飛び降り自殺」
 というものであった。
 高いところから落ちるというもの、または、
「電車に飛び込む」
 という、
「飛び込み自殺」
 などが頻繁したりしていた。
「確実に死に至る」
 という意味では、自殺する人間には都合がよかったのだろうが、
「他人に迷惑をかける」
 という意味では、厄介であった。
「死んでいく人間が、いちいち、残される人間のことなど考えるはずもない」
 と言えばそれまでであろう。
 確かに、死んでいく人間にとって、残される人間は関係がない。だが、実際には、飛び降り自殺をすると、
「下には誰がいるか分からない」
 ということで、直撃を受けて、巻き沿いから死んでしまう人もいるだろう。
 何よりも、その人がクッションになって、死ぬはずだった自分が生き残ってしまえば、本末転倒ではないだろうか?
 いや、何が一番困るといって、中途半端な状態で生き残るということだ。
 何とか医者は、助けようと努力をするだろう。しかし、その結果、最悪の場合は、
「植物状態になってしまう」
 ということになりかねないのだ。
 もし、そうなってしまうと、家族への負担はハンパではない。生き返る可能性がどこまであるか分からないが、生命維持のための費用をどうやってねん出すればいいというのか、
それを考えると、居たたまれなくなってしまう。
「安楽死も認められていないし」
 ということである。
 不謹慎ではあるが、
「どうせ、自殺しようとまで思ったのだから、生き返ったところで、何があるというのか?」
 と考えれば、このまま、楽にしたやる方が、どれほどいいことだろうかと、家族は、口出さずとも思うのではないだろうか?
 だからこそ、安楽死という言葉は、別名、
「尊厳死」
 ともいうではないか。
 元々の意志で死のうとした人間なら、何も、
「延命の必要があるというのか?」
 と、考えるのもおかしなことなのだろうか?
 そんなことを考えると、
「このまま、生命維持装置を外すことの何が悪いのか?」
 と考える方が、人間らしいと言えるのではないだろうか?
「人間らしい」
 という言葉は、えてしていい言葉にも悪い言葉にもなる。
作品名:パンドラの殺人 作家名:森本晃次