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パンドラの殺人

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 昔は威厳と一緒に、豊かさも兼ね備えていたが、その両方とも、一気に失ってしまうのだから、ほとんど皆没落していくのは当然というものだった。
 そんな時代を通り過ぎ、気が付けば、復興が進んだ時代。それは、外部からの環境の違いが大きかった。
 かつて、日本が、
「安全保障の最大の防波堤」
 とし、明治以降で最大級の問題の場所としていた朝鮮半島。
 そこを、南北で、別々の主義の陣営が分割支配を行うのだから、何かがないわけがない。
 北部を、シベリアから、満州。そして、日本軍を追って、朝鮮半島になだれ込んできた社会主義陣営であるソ連。そして、日本から入り込んで南部を統治した、資本主義陣営であるアメリカと、それぞれの主義の代表が、朝鮮半島にて対峙する。
 ヨーロッパでも、ドイツにおいて、同じような争いが起きていたが、
「ベルリンの壁」
 による分断という形になった。
 しかし、朝鮮半島では、それぞれの陣営において、独立国が成立し、南北でそれぞれ独立することになった。
 だが、両国とも、
「朝鮮半島の統一」
 というものを目指し、北朝鮮は、中国、ソ連に許可を得て、武器援助を貰いながら、着々と計画を立てて、南部に侵略した。
 しかし、韓国側では、アメリカの判断で、
「北から攻められることはない」
 とタカをくくっていて、韓国軍にほとんど武器の供与はなされていなかった。
「戦闘機が一機もなく、火器という面でも、圧倒的に不足していた」
 つまりは、戦争ができる状態ではなかったのだ。
 丸腰の状態の韓国に、武装した精鋭部隊が攻め込むのだから、数日でソウルが陥落するのも当たり前だった。
 そこから起こった朝鮮戦争。
「ソ連とアメリカの代理戦争」
 の様相を呈していたので、米軍は、日本にある米軍基地から飛び立っていく。
 当然、弾薬や武器が必要になり、日本で生産することになり、その特需が始まるのだ。
 そのおかげで、一気に復興は進み、戦後10年ほどで、
「もはや、戦後ではない」
 と言われるようになったのだ。
 このお話は、そんな戦後の、時代的には混乱が少し収まり、
「特需」
 と言われる時代に差し掛かった頃のことだったであろうか?
 そんな当時、自殺というのが、人口のうちのどれだけだったのか分からないが、さすがに、爆弾により、毎日人が死んでいたり、占領地において、民間人を含めた日本人が、玉砕をしてきたことを思えば、さぞや少ないのだろう。
 しかし、そんな時代を生き延びてきたのに、戦争が終わると、それまでは、
「戦争に勝つためには、我慢をしなければいけない」
 ということでできた我慢だったが、蓋を開けてみると、戦争に負けてしまい、それでも我慢しなければいけないという、考えれば考えるほど先がないと思うのは当たり前のことだろう。
 だからこそ、
「張り詰めていた緊張が一気に途切れてしまう」
 ということになり、自殺しなくとも、生きる気力を失った時点で、死んでしまうという人も多かっただろう。
 何もしないと、モノが食えないというのは、どの時代でも同じだが、この時代は精神的なものの張りと、空腹との葛藤となるだろう。
「栄養失調」
 で、バタバタを死んでいくという、そんな時代だったのだ。
 だから、
「先を儚んで、死んでいく」
 という人を、誰が避難できるだろう?
 当時生きていた人からすれば、
「生きようと思っても生きられなかった空襲や、玉砕で死んだ人を想えば、贅沢だ」
 という人もいるかも知れないが、何のために生き残ったのかということになると、明らかに、
「生きていくことの方が、何倍も苦しい」
 と感じる人も多いに違いない。
 とにかく混乱の時代で、生きるためには、犯罪でもなんでもしないとダメだったのだ。
 戦災孤児などは、靴磨きなどをしたり、かっぱらいでもしてその日の食べ物を集めてこないと本当に餓死することになる。就職もできないし、養ってくれる人もいないのだから……。
 この男が自殺を図ったのが、昭和28年だった。
 どんな時代だったのかということを、思い起こすことは不可能だろうが、まだ、瓦礫が残っていて、自分の家を持たないバラック住まいの人が多く、通りには、闇市ができていて、普通には手に入らないものは、闇取引が行われていた。
 だから、
「ヤミ物資のブローカー」
 などという人が物資を回すことで、彼らは儲かり、次第に会社を作ったりして、今の形に近づいてくるのだった。
 だが、反社会勢力のような人たちも蔓延っていて、それらの連中が、組を作ることで、暴力団というものが形成されていった。
 そんな時代において、一人の男の自殺死体が発見された。
 もう、その頃には、自殺者も落ち着いてきたように言われていた。
「この時代を生き抜くだけの力を持っていない人は、とっくの昔に、栄養失調か、自殺で命を落としていただろうからな」
 ということが叫ばれていたようだった。
 今からでは想像を絶するような時代。今では正直、金さえあれば、何だって手に入る時代。
 ただ、
「どっちがいいのだろう?」
 と、果たして、昭和の、
「戦後の動乱」
 を生き抜いた人たちが見て、今の令和のこの時代を、果たして、
「羨ましい」
 と思うだろうか?
 今の時代も決してなくならない自殺者。昔とは大いにその風潮は違っているのかも知れない。
 しかし、だからといって、
「今も昔も、自らの手で命を奪うというのは、宗教などでは、タブーであり、許されないことだ」
 ということである。
「一体、どういう角度で見ればいいというのか?」
 考えるだけで、厄介であった。
 その死体が発見されたのは、ちょうど、国鉄電車が走っているところの、最寄駅から少し行ったところにある、高架下であった。
 列車が通ると、高架下だけに、その音と振動のすごさから、人によっては、
「空襲を思い起こさせる」
 ということで、急いで走り去ったり、電車の気配を感じると、高架下前で、立ち止まったことだろう。
 それだけ、高架下というところを嫌っている人は多かったのだ。
 何といっても、振動は地響きに似ていて、鉄が擦れ合う音は、轟音でしかなかった。
 そんな誰も必要以上に、近寄ったり、立ち止まったりすることのないそんなただの通過点でしかない高架下というところ、そこをずっと、
「不気味だ」
 と思っている人もいるのも事実のようだったのだ。
 ただ、最初は、この死体が自殺であるということは、なかなかわからなかったのであった。

                 時代背景

 この街は、昭和20年の春から夏にかけて、米軍のB29爆撃機が、毎日のように、空襲に来ていた。
 東京などの大都市のように、1日で下町が廃墟になるというほどの、大空襲があったわけではないが、じわじわと小規模な空襲が毎日のように襲ってきていた。
 毎日、数十人が犠牲になるかのような空襲、そもそも、それほど大都市ではないが、空襲があるというのは、街中に、軍需工場があったからだ。
 その工場は、兵器を直接作っているわけではないので、
「大重点攻撃目標」
 というわけではなかったが、米軍としては目障りだったことだろう。
作品名:パンドラの殺人 作家名:森本晃次