パンドラの殺人
確かに、言い方は、その表現に優しさと、切羽詰まった緊迫感があるのだが、真剣さや、本当に困っているという、訴える気持ちが見えてこない。それを見ると、初めて、かすみが、
「今までと立場が逆転したんだ」
と感じた。
今の状態で、横柄な口をきけば、こっちから、三行半を出すだけだった。
「この男を今の私なら、あやつれるかも知れない」
と思ったが、実際に、迷惑が被らないようにしないといけないということを考えながら、いかにあやつるかということを考えていた。
そんな長女夫婦が、帰国してきた。
新海は何とか、日本で海外企業にもぐりこむことができて、海外での勤務になった。これを機会に、
「離婚」
というのも頭にあったが、日本に一人で残っても、ロクなことがないことは分かっていたのだった。
そんな状態において、離婚をしなかったのは、単純に、
「戸籍に傷がつく」
というのもあっただろう。
当時は、離婚というと、あまりいいイメージはなかった。特に女性は、肩身の狭い思いをすることが多く、実家に帰っても、
「出戻り」
ということで、ロクなことを言われず、引きこもり状態になるのではないだろうか?
当時は女性に大して、どこかで働くといっても、職があるわけでもなかった。一人では暮らしていけない。実家に戻るか、嫌でも、旦那にくっついていくかしかなかった。
ただ、一度挫折した男は、さすがに懲りたのか、暴力もなくなり、普通の旦那になったのだ。
もし、あのまま、旦那が立ち直ることができなかったらと思うとぞっとするが、たち煽ることができたおかげで、何とかうまくいけているのは、
「不幸中の幸いだった」
と言えるだろう。
海外で、何とか暮らしていくうちに、かすみも、旦那の方も、うまくやっていた。すでに、自分が、
「柳沢の家の人間」
という意識が薄れかけていた時に、坂下弁護士から連絡があったのはビックリした。
「縁が切れた」
というところまでは行っていないと思っていたが、すでに、海外での再出発をしていたかすみにとって、柳沢家は、
「出てきた家」
でしかなかったのだ。
それが急に、
「「遺産相続の遺言書」
の存在を坂下弁護士に聞かされた時、
「過度な期待は禁物だ」
と思いながらも、
「もし、自分にその権利があるんだったら」
ということで、帰国してきた。
いや、自分が帰らないと、遺言書の公開ができないということであれば、それも致し方のないことであろうと、感じたのだ。
「私は、別に遺産なんかいらない」
と口では言っていたが、
「もらえるのであれば、貰うに越したことはない」
と感じていた。
遺産というものが、どれほどの金額なのか分からないが、それはさておき、気になったのは、兄二人のことだった。
特に、長男の清秀は、気難しいところがあり、神経質でもあった。
「清秀兄さんが、一番、お父さんの血を引いているのかも知れないわ」
と思っていた。
父の庄吉は。とにかく厳格で、
「曲がったことが大嫌い」
というところがあった。
もちろん、会社をここまでにするには、それなりにいろいろやってきたであろうが、実際の行動をしたのは、相模氏だということは、娘にも分かっていた。
それは、長男である清秀にも分かっていた。
清秀は、父親をどのように思っていたのか、あまり人と会話することのないので、本心を分かっている人などいないかも知れない。
ただ、相模氏は、この長男に関しては、
「この人は、厳格というよりも、堅物に近い」
と思っていたので、そのせいなのか、結構厄介なところがあると、相模氏の中では感じていたのだった。
だが、そんな長男の清秀は、遺言書公開前に殺されるという事件が起こった。
父親の自殺だけでも、ショッキングであったのに、ここで、次期社長と目されている長男が殺されるというのは、センセーショナルな話題となり、全国的なニュースにもなった。
特に遺産が絡んでいるということと、社長が自殺をしたすぐあとのタイミングということで、いろいろな憶測が飛び交うのだった。
もちろん、内情を知っている人などいるわけもないので、
「遺言書の内容を知っている人間が、やったんじゃないか?」
などと、簡単に考える人がいる。
もっともそんな連中は、社会のことをあまり知らない若い連中であろうが、年配の人も、
「そこに何かのトリックがあるのでは?」
と考えるようにもなっていたようだ。
しかし、厳重な金庫を開けられるはずもなく、鑑識が見れば、開封されたかどうか分かりそうなものなので、それでも、開封されたという話題が上がらないということは、遺言書の内容を知っている人間はいないということになるであろう。
ただ、中には。
「前もって、社長から聞き出した人間がいるのではないか?」
などという憶測もあったが、それも、社長の性格を知らない人間が、勝手なことを言っているだけだった。
「とかく世間は、勝手なことをいうものだ」
ということである。
そんな世情の中において、いよいよ、遺言状の公表が待たれるところになった。
先代の四十九日の法要も無事に終わった。
遺産相続関係者は、正直、四十九日の法要の間は、気が気ではなかっただろう。
法要が始まる前は、長男が殺されるということもあり、正直、楽天的な性格である次男が、
「まさか、次はこの俺じゃないだろうな?
といって、怯えていたのだった。
そうでなくとも、長男が殺されたことで、その容疑者の一番手に上がったのは、かくいう次男の、清正だったからだ。
それは遺産相続の優先順位からいくと、そういわれるのも無理もないことで、特に世間では、通説のようになっていた。
自分ではやっていないということが分かっているからなのか、それよりも、自分も狙われているという思いの方が強くなってきたのだった。
清正というのは、一見楽天的に見えるが、その実、思い込むと、頭から離れない性格だった。
神経質というわけではないが、どちらかというと、二重人格的なところがあり、それも、躁鬱が絡んだ、
「ジキルとハイド」
のような二重人格性だったのだ。
清正は、兄が存命であれば、社長が清秀となり、自分が専務に就任というところだろうと思っていた。
実際には、清正には、それほど強い野心のようなものはない。楽天的な性格だとまわりから見られるのは、そういうところにもあったからなのかも知れない。
実際、楽天的だというのは、
「世の中、何とかなる」
と思い込んでいるところにあった。
だから、あまり余計なことを考えないようにしていて、余計なことを考えると、ロクなことはないということを、子供の頃から分かっていた。そして、達した結論として、
「兄の影に隠れていれば、これほど気楽なものはない」
と思っていた。
「だから、自分は社長の器ではない。兄に社長をやってもらって、俺は、専務という立場から、気楽に会社を支えていけばいいんだ」
と考えていたのだった。
「 だから、兄を自分が殺すはずはない」
そのことを一番分かっているのは、清正自身で、そのせいもあってか、世間で、自分が殺したなどという誹謗中傷があるが、