パンドラの殺人
と聞かれたが、
「いえ、戦後の混乱期があったことで、結構戦争中の悪しき事例が見逃されていることは結構あるようで、優先順位のつけ方が難しいんです。だから、今回の青酸カリの問題も、そうは簡単には行く問題ではないんですよ」
と、報告した刑事は、
「やれやれ」
と言った表情でいうのだった。
確かに時代は変わって、今では、
「もはや、戦後ではない」
と言われるようになったが、実際には、まだまだ一部ではバラックが幅を利かせていたり、闇市が横行しているところも多かったりする。
それを考えれば、
「この時代が、一番貧富の差が激しかった」
といってもいいかも知れない。
しかも、いまだに昔の部落であったり、集落のようなものによって差別されていた時代。確かに、男爵や子爵のような、爵位による特権階級はなくなってきたが、闇市の横行によって、表に出てこない、
「影のドン」
というものが、蔓延る世界になってきた。
戦後、土建屋であったり、闇市などで財を成した連中が、組織を形成し、その土地の、
「親分」
となっていったのも、
「時代の象徴」
といってもいいのではないだろうか?
そんな時代において、民主警察としては、
「何を助け、何をくじかなければいけないのか?」
ということを考えると、
「なかなか、勧善懲悪というわけにはいかないだろう」
と言えるのではないだろうか?
「今回の事件において、一週間前に発見された社長の自殺というのが、次期社長の殺害事件に何か関係しているのではないか?」
と考えると、
「まったく関係のないことはないでしょうが、社長は放っておいても、死ぬ運命にあったというのに、急いで死んだということは、何か関係があると、思わせるに十分ではないでしょうか?」
と、一人の刑事が言った。
その刑事こそ、依田島刑事で、彼は、社長が自殺したことにすら、何か違和感を持っていたのだった。
ただ、事件性がないのは間違いなかった。
「自殺である」
として片付けられたことを、簡単には、蒸し返すことはできない。
結果論であるが、次期社長候補であった長男が、殺されたことで、再度自殺にメスを入れなければいけなくなったというのは、実に皮肉なことである。
しかも、この次期社長の死というものも、どこか胡散臭い。
「遺産相続の遺言書を開封もしていないのに、その長男が殺されるというのは、いかんせん、おかしなことだ」
というのが、大方の意見であった。
それは、当然と言えば当然、遺言に何が書いてあるか分からない状態で、その渦中の人間を殺すということであれば、
「この事件には、遺産相続が動機としては浮かんでこないということになるんでしょうかね?」
というと、
「それはそうだろう。遺産相続のための遺言書が公開される前に殺されたとなれば、中身を知っていないといけないだろうからな」
ということであった。
「ところで、遺言状の公開はどうなったんです?」
と一人の刑事がいうと、
「長男の四十九日が終わってから、公開するとのことです」
というと、
「それまたのんびりとした」
というと、
「これも故人の遺志だったようで、公開前に相続に関わる人の誰か一人が死んだら、その四十九日が済んでから公開するようにというようになっていた」
というのだった。
実際に、一人外国にいたということで、集まる日が少し遅れたのだ。
弁護士が至急連絡し、戻ってくる手筈を整えて、向こうでの仕事に一段落をつけての帰国ということだったので、少し時間が掛かった。
何とか帰国を果たすというその道中に、長男が殺されるという事件が勃発したのだった。
もちろん、最初に疑われたのは、遺言書であった。
「誰かが、遺言書を盗み見たのではないか?」
ということで、弁護士事務所の所長である、顧問弁護士を始めとして、助手や、事務員までが疑われた。
しかし、鑑識が確認したところ、金庫を開けた様子もなければ、もちろん、封もしっかりとしまったままだという。
したがって、遺言書を見た者はいないということになる。
あくまでも、遺言に関しての犯罪だということで的を絞って考えた場合であるが、
「では、誰か、遺言の内容を知っている人間がいて、その人間を家族の誰かが、買収、あるいは脅迫まがいのことをしたのではないか?」
ということも考えられた。
しかし、故人である、先代は、
「とにかく、人を信用しない人で、普段から、信用できるのは、金だけだというようなことを言っているような人だった」
ということであった。
しかも、遺言書の内容をいくら何でも、他の人に話すわけもなく、知っている人がいたとは思えない。
そうなると、今回の殺人は、
「遺言に関しての殺人とは関係がない」
ということかも知れない。
ただ、普通に考えれば、一番有利なのは長男であろう。何と言っても、まだ封建的な考え方が残っている時代。しかも、世襲で会社を大きくしてきた先代の次ということになると、よほど、間抜けであったり、後を継がせるにはどうしようもないと言える人間でもない限り、遺産の分与はかなりのものだったに違いない。
兄弟としては、弟がいたが、
「兄が死ねば、普通に考えれば、その相続の半分は自分に来ることになる」
ということだ。
今相続人として挙がっているのは、配偶者である奥さん、さらに、息子二人と、妹がいるが、妹はすでに結婚して家を出ている。遺産相続の立場にはあるが、かなり少ないのは、想像できるというものだ。
そもそも。どれくらいの遺産だったのだろうか?
戦後の新円切り替えや、財閥解体などというものを、乗り越えてきたのは、秘書をやっている人間がいたからだ。
彼らの家系が、この家の財産と基本的には取り仕切っていた。
だから、いくらかは彼らにも分け前はあるはずだ。どれだけのものなのかは分からないが、金銭というよりも、会社関係の権利であったり、経営権のようなものは、彼らに行くかも知れないと思っていた。
何といっても、先代の社長は、家族よりも、秘書の家系の方を信用していた。
昔からの執事のような家系と言ってもいいだろう。いわゆる、
「参謀のようなもの」
であったのだ。
ただし、あくまでも、
「家族に遺産を継がせたいという意思があった」
というのは、皆周知のことだった。
社長が自らそういうことをほのめかしていたというから、そうなのだろう。
参謀というのは、行政や経営に関してを一手に握り、それ以外の法律的なことや、司法のようなこと、細かいトラブルの問題解決などには、顧問弁護士の方が取り仕切っていた。
そもそも、顧問弁護士というのは、今に始まったことではなく、その存在は広く知られていた。ただ、秘書、執事と呼ばれる存在は、昔でいうところの、
「番頭」
というイメージが強いのだろう。
経営権、その他、会社に関しての権利や主導権は、昔から、彼らの手の内にあったのだ。そういう意味で、たぶん、会社関係の遺産は、会社の特殊法人が管理することになるのだろうが、その管理運営すべてを、秘書の家族がもらうということで、決着がついているというのが、ほぼ大まかな内容だった。