合わせ鏡のような事件
そんな男がいるとすれば、分かるのは、奇声を上げた刑事だけで、梶原も片倉刑事も、後ろになっているので、姿を確認することはできない。それだけに、視線が少しでも熱ければ、その意識の集中力はハンパではないだろう。
そう思うと、梶原と片倉刑事が意識した視線をほぼ同時に感じたというのも、果たして偶然と言えるかどうか、怪しいものだった。
「この男、本当に誰かに殺されたんだろうか?」
と、鑑識が言った。
潜んでいた男を追いかけようとした片倉刑事は、何とか踏みとどまって、鑑識のところに行った。代わりに男を追いかけるのは、もう一人に刑事が行ったのだが、逃げ足が速いのか、刑事は早々に、
「さすがに追いかけるのは無理ですね」
といって、引き下がってきた。
大団円
鑑識のところに来た刑事は、何かうーんと唸るかのように声を挙げた。
「どういうことなんですか?」
と興味深げに聞いてみた。
「いえね、確かに外傷はあるんですがね。その外傷は、死んだ後についたもののような気がするんですよ。もっとも、わしがここで見て分かるくらいだから、司法解剖などに回せば、一目瞭然ということなんだろうけど、それを思うと、どうしてそんあ面倒なことをしたのか、別に後から何かをして、死亡推定時刻が分かるわけでもないのに」
と、鑑識の白衣を身にまとった、初老の先生はそう言った。
それを聞いて、片倉刑事は、さらにこちらを覗き込んだ。
「お前たちは、ここで死体を発見しただけなんだな?」
と言われるので、
「ええ、まさか死体だとも思いませんでしたけどね」
というと、
「まあ、そうだろうな」
とアッサリと、片倉刑事は引き下がった。
「死亡推定時刻は?」
「昨夜も12時前後ではないかと思う」
というと、さらに、片倉刑事は、顔を歪ませて、何かを考えていた。
そして、何を思ったのか、
「先生、死体を動かした跡とかないんですかね?」
と、おかしなことを聞いた。
「ああ、それに関しては、その形跡はあるな、それに、ここは雑木林のようになっているので、ここで殺人が行われたのであれば、もっと、分かりやすくなっていることだろうね」
というのだった。
それを聞いた片倉刑事はさらに頭を抱えていた。
確かに言われる通り、ここが殺害現場ではないことはよく分かった。
だとすれば、どこから運ばれてきたというのか、そしてさらには、そのことをなぜK企刑事は知っているというのだろう?
これは片倉刑事に纏わる何かの事件であることは明々白々のようである。
だが、今の時点では、何がどうなっているのかハッキリと分からない。この場所に対してなのか、この殺されている男に対してなのか、とにかく、何かに怯えているのは確かなようだ。
そういう意味で、さっきまでの横柄で、自分勝手な捜査を行っているかのように見えた片倉刑事ではない雰囲気だった。
少なくとも、事件の何かを知っているか、あるいは、関係しているかということは明白であった。
その片倉刑事に、
「まるで、親の仇のように、最初から睨まれていたというのはどういうことであろうか?」
と考えてしまう。
「これは何だろう?」
といって、もう一人の刑事が拾い上げたものを見ると、そこにあるのは、見覚えのあるハンカチだった。使用した後があるようで、若干濡れていた。前の日からあったとして、夜露に濡れたとしても、すでに乾いているべきものなのに、いまだに湿気ているということはどういうことだろう?
この場所が、想像以上に湿度が高いということを教えてくれているようだ。
確かに、このあたりは、同じ土手であっても、乾きが早いところと遅いところ、まちまちのようだった。
一つ気になったのが、
「昨夜、そういえば、親父は、ドロドロになって帰ってきたな」
ということであった。
ドロドロであったが、雨に降られたというような感じではなく、まるで沼に嵌りかけたかのような姿だったのである。
父親が怪しい状態で帰ってこようと、母親は気にしない。
しかし、父親はそんな母親にやけに気を遣っている。すれ違っているのは分かっているが、何がそんなに二人をぎこちない関係にさせるのだろう。
そういえば、子供の頃に一度、母親が父親を罵倒していたことがあった。
いや、一度だけではなかったかも知れないが、実際にひどかったのは一度だけだった。
その様子は、今から思えば、モノが飛び交っていたかも知れないほどだった。それだけ罵声もひどいものだったし、そこまで言われればヒステリックにもなるというもので、
「よく我慢したものだ」
と、その時は誰もケガをしなかったのが、本当に幸運だったと思うくらいであった。
その時のことをさすがに今から蒸し返すことはしないが、内容とすれば、どうやら、親父が、
「浮気をした」
ということから始まっているようだった。
今では、まったくそんな素振りもない父親だったが、自分が子供の頃、
「そんなに父親が恰好よかったのか?」
と言われると、
「決してそんなことはなかった」
というだろう。
むしろ、どこにでもいるという普通のおじさんで、女にもてるというほどの愛想がいいわけでもなければ、一本筋が通っているわけでもない。
そんな父親に、
「惚れる女がいるなんて」
と正直思ったものだったが、後でどこから聞けたのかすら覚えていないが、
「あれは、母親の勘違いだった」
ということであった。
覚えていないというのは、教えてくれた人が、
「なんで、この人がそんなうちの内情まで知っているんだ?」
と思っていたからこそ、
「まったく信憑性のない話だ」
ということで、梶原自身が意識していなかったからだ。
というのも、梶原は、
「人のいうことを基本的に信用しない」
というタイプで、よほどの信憑性がないと信じない。
それが、
「父親からの遺伝ではないか?」
と感じていることであり、
父親のことを思い出していると、鑑識から、
「これは、殺人ではないかも知れないな」
ということであった。
「どういうことですか?」
「見てみれば分かるが、この男、かなり衰弱している。息切れしながら歩いてきて、無意識にこのあたりに転がってきたんだろうな」
ということであった。
「じゃあ、この首を絞められたような跡は?」
と刑事に言われて、
「誰かほかの人がやったんだろうな? 死後だろうと思うけど、だが、死後硬直が始まる前だから、そんなに時間が経っているわけではない。後から、誰かが絞殺したんだろう」
ということであった。
「誰が何のために? 鑑識に回せば、死後に行なったことかどうか分かるはずなのに、何かこの男が殺されなければいけない理由であるというのか? 考えられるとすれば、遺産相続か何かの問題か、それとも、保険金の問題か?」
ということであった。
「保険金ということは、まさかこの人、元々自殺でもしようと思っていたということだろうか?」
と片倉刑事が言った。
日本では、基本的に、死因が自殺である場合には、生命保険の死亡保険金を受け取ることはできない。
そのことは、普通の人は知っているだろう。
作品名:合わせ鏡のような事件 作家名:森本晃次