合わせ鏡のような事件
という言葉のごとくに存在している。
特に、
「悪魔の○○」
「○○の一族」
などという小説で有名な探偵さんであるが、飄々とした男であるが、頭脳明晰であり、実に個性があった。
事件が解決すれば、事件に携わっている時、あれだけ前のめりで、中心になっていたのに、事件がある程度自分の手によって解決に近づき、
「後は警察に任せておけばいい」
ということになると、完全に鬱状態に陥り、フラッと、旅に出たりすることが多いという、これ以上ないほどに、
「人間臭い」
と言われる探偵であった。
ただ、犯罪防御率はこの探偵は、
「桁が違う」
と言われるほど高かった。
探偵が、事件に参加してから解決するまでの平均、殺害数を、
「犯罪防御率」
という言い方で表すのだった。
作者が、大量殺人を行うことが時々あり、さらには、人情に厚い探偵ということもあってか、探偵小説にありがちな、
「犯人を指摘すると、最期に自殺をする」
という時、止めることができるかというのも、大きな問題なのだが、この探偵の場合は、意外と犯人が死ぬことが多い。不可抗力の場合が多いが、犯人に同情し、
「ここは、犯人の好きにさせるのがいい」
ということで、分かっていたが、見逃すことも多々あった。
警察としては、許されないのかも知れないが、旧知の中の警部であれば、
「あれが、あの探偵さんの性格」
ということで、見て見ぬふりのようなこともあるのだった。
また、今度は主に、大正末期から、昭和初期の戦前くらいまでの間に活躍した探偵で、のちに、子供を主人公にしたジャブナイル作品などで、子供たちの中心となるような探偵の物語もある。
「地獄の○○」
や、
「○○鬼」
などという作品が代表作と言ってもいいだろう。
彼も頭脳明晰で、素人探偵として、世間に名が通った、いわゆる、
「探偵らしい探偵」
だった。
探偵を志す人が、こんな探偵になりたいと思うようなそんな人だった。
実に論理的に犯人を追い詰めていき、解決する。作家の性格にもよるのだろうが、この探偵の解決する事件には、特徴があった。
「俺はこの犯罪に、40年をかけている」
というような、強烈な思いを持った復讐であったり、変格探偵小説と言われるような、
「猟奇犯罪」
あるいは、
「耽美主義的な犯罪」
というものが特徴だったりするのだ。
ただ、これらの時代のミステリーを好んで読む人は、
「今の自分たちからは、想像というよりも、妄想に近いくらいの歴史を感じさせる時代背景の中で起こっている犯罪なので、その妄想力を楽しむ」
というものである。
今の探偵には、その頃のような犯罪に携わるということは、ほぼ不可能であろう。
つまりは、時代も変わったし、犯罪の傾向も違う。いわゆる、
「トリック」
というのも、今の時代では、不可能なものも多いだろう。
顔を潰したり、指紋のある手首や、首を切り取って、被害者を分からなくしたとしても、今では、DNA鑑定があり、ある程度まで被害者を特定することもできる。
さらには、アリバイトリックを使おうとしても、今の時代には、いたるところに防犯カメラなどが設置してあり、
「誰かに見られる」
ということ以前に、カメラが証拠として残しているので、なかなかうまくはいかないだろう。
したがって、昔のような。
「トリックと、犯罪パターンによる事件の公式」
というのは、今では通用せず、それだけに、昔の小説における事件が、今では新鮮に感じられるのであろう。
「古き良き時代」
といっていいのかどうか分からないが、
「文学性」
という意味では、大いに言えることではないだろうか?
それを思うと、探偵小説というものが、クローズアップされるのも分からなくはない。
さらに、ブームというのは、
「繰り返すもの」
と言われている。
まさにその通りなのであろう。
刑事の真意
そんな昔の探偵小説のように、
「探偵が、警察の信任を受けて、一緒に捜査をする」
などということが、今の時代でありえるのだろうか?
逆に昔の警察というと、特に戦前などでは、時代的に、
「治安維持法」
や、
「国家総動員令」
などというものが存在し、それによって、警察の力は絶大であり、今なんかよりも、もっともっと威張っているものであろう。
さらには、戦争中には、
「特高警察」
などというものがあり、
「非国民」
と呼ばれた、いわゆる、戦争反対論者や、天皇制への批判、さらには、社会主義を信じる者による、革命思想の弾圧と、
「国家転覆」
ともなりかねない事態に備えた、まるで、
「すべての国家権力を備えた」
かのようなそんな警察組織であった。
そんなやつらがいるのだから、当然、探偵というのは、力がなかったに違いない。
そもそも、時代は戦時体制、言論統制などもあり、探偵小説などは、一発で、廃刊に追い込まれることになった。
前述の探偵小説作家も、廃刊に追い込まれ、食べていくには、別のジャンルの作品を書かなければいけない。
ということで、書いた作品が、
「時代小説」
であった。
江戸時代を背景に、一種の探偵小説を書いたというわけだ。
それもありなのではないだろうか?
だから、この小説家には、異色ともいえる、
「時代小説のシリーズ」
が存在するのだった。
さすが、有名作家、当時の苦し紛れのような作品であっても、一定の評価があり、昨今の探偵ブームに則ったその時代に、映像化もされたことがあったくらいだった。
それだけ、この作家が、名前も全国区であり、作品のほとんどを文庫化したということで、まるで、レジェンドのような作家となったのだ。
何といっても、マンガで数十年前に、その探偵の孫を名乗る少年が活躍するお話ができたくらいだった。
しかし、実際には、
「ありえない話」
だったのだ。
というのも、その探偵は、
「朴念仁」
であり、ガールシャイなところもあることから、
「生涯、結婚しなかった」
というのが、そのシリーズのオチだったのだ。
それなのに、
「孫がいるって、どういうことなんだ?」
ということであるが、一応、作者の著作権を継承している人に許しは得ているということだが、正直、その探偵を好きな人たちから言えば、
「これは反則ではないか?」
と思えてならないのだ。
探偵小説において、どこまでやっていいものかどうか、確かに著作権という問題だけであれば問題ないのだろうが、ファン心理からすれば、
「許せない」
という思いがあってもしかるべきであろう。
正直。このお話の作者である私も、孫の存在には反対論者である。
「じっちゃんの名に懸けて」
と言われると、
「じゃあ、お前は、結婚もしていないじっちゃんから生まれた子供なのか?」
と突っ込んでしまいたくなる。
自分の好きな探偵が、結婚もしていないのに、どこかに子供がいたなどとは思いたくはない。
少年が思い込んでいるだけなのか、家族が、そういって信じ込ませたのか分からないが、正直、納得がいかない。
作品名:合わせ鏡のような事件 作家名:森本晃次