合わせ鏡のような事件
という発想であったり、
「無限」
という発想を、一般教養の数学で聞いたからだった。
数学は、一般教養としては必須で、他にも理工学の中からどれかでよかったのだが、基本的に数学が分かっていないとそれ以外は、論外だっただけに、数学の選択は必須だったといってもいいだろう。
そんな中において、特に、
「無限」
というものに興味を持った。
そもそも、算数が好きだったのは、
「答えが一つだ」
ということだったが、無限というのは、総称であるという発想から、いくらでも存在するものの総称になると、それまでの数学に対してのイメージが、ゴロっと変わってしまうのだった。
梶原は、大学において、再度数学が好きになると、今まで見る気もなかった他の学問、
「天体学」
「生物学」
「歴史」
というものに一気に興味を持った。
もちろん、物理学は当然のことで、相対性理論など、分からないまでも、本を見てみようという発想ではあったのだ。
もちろん、分かるはずもなく、挫折はするのだが、その分、歴史や生物学、特に生態系などは好きになっていた。
そんなこともあって、薬学にも興味を持ち、専門ではないが、薬や薬物関係には、結構詳しかったりした。
大学では、ミステリーサークルに入っていた。
ミステリーの本を読むのは当たり前のことだが、自分たちでオリジナルのトリックを考えてみたり、実際にミステリーを書いて、それを同人誌として発行し、大学祭などで、販売したりしていた。
そういう意味で、梶原はミステリーには造詣が深く、小説を書いたりも今もしているのだった。
ミステリーを今でも趣味としているのには、もう一つ理由があった。
梶原の父親というのが、私立探偵をやっていて、実際に儲かっているのかどうかは疑問であったが、今でも看板を掲げているのだから、それなりなのだろう。
「他に誰もいないからやっていけるんじゃないの?」
と皮肉を言ったことがあったが、父親は、一瞬だけムッとしたが、すぐに気を取り直して笑っていた。
その表情は、別に引きつっているわけではなく、本心からに見えたのは、実に不可思議であった。
というのも、それが、
「父親の昔からの性格」
だったからである。
ポーカーフェイスではないのだが、何を考えているか分からないところがあるくせに、とっつきにくいわけではない。それこそ、
「二重人格ではないか?」
と思うほどなのだが、人を食ったところは、天真爛漫にも見え、それが、さらに、
「何を考えているのか分からない」
という一種の、
「神出鬼没」
というイメージを伝えているのだった。
そんな父親を持っていることを、この時刑事には話していない。
というか、父親のことを知っている人は、会社でも誰もおらず、近しい友達の数人くらいであろうか? それも、学生時代からの、そう、ミステリーサークルで仲の良かった連中だけであった。
会社では、採用の時に、家族構成など今では履歴書には書かせないので、聴いてもダメだということで、基本、自分から話題として話さなければ、別にそこに問題はない。
就職の際に、家族構成を詳しく知る必要があるのは、警察官くらいであろうか?
もちろん、詳しくというよりも、
「近親者に、犯罪者がいないか?」
ということが問題である。
警察官というのは、近親者に犯罪者がいると、なれないし、近親者が犯罪を犯せば、必然的に、警察を辞めなければいけない。
そういう厳しい職業でもあったのだ。
普通の民間人である梶原には、警察も家族について言及することはできなかった。何しろ、
「ただの目撃者」
だからである。
梶原が、父親のことを口にしなかったのは、もう一つあった。
「俺は警察が嫌いだからな」
といっていたのだ。
父親は本当は、最初、
「刑事になりたかった」
と思っていたらしい。
しかし、刑事にならなかったのは、一度警察沙汰になることが自分の身近で起こり、それを警察がほとんど、ちゃんと捜査もせずに、放置のような形になったことで、結局大問題となり、その時、放置した人が、一人、首を斬られる形で矛を収めたというのだ。
父親からすれば、一人でバチをかぶったこの人は、
「自業自得だ」
ということであった。
そして、警察の体制も、一人を切ったことで、すべてなかったことのようにしている。何が嫌といって、
「その体質すべてが嫌なんだ」
ということであった。
「最初から、キチンとしていれば、身内の誰かを犠牲にすることもないのに、最初がひどい対応をするから、世間に親しまれる警察にはならないのさ」
といっていた。
いくら、どこかで必死に警察のいいアピールをしている人がいても、一人でも、このような塩対応の警察官がいて、結局何かあってその人が、
「トカゲの尻尾切り」
ということになるという体質がどんなに同じことを繰り返しても、治ることはない。
慣れてくるのか、余計にひどくなるだけだ。
警察組織だけではなく、いわゆる、官僚制度と呼ばれるところは、どうしても、
「お役所仕事」
の象徴のような感じで、特に警察などというと、よく刑事ドラマなどでは、
「本店、支店」
と呼んだりして、縄張りという横の争いがあったり、
「縦割り社会」
というような、階級制度があることから、どうしても、民間とは、結界のようなものがあるのだろう。
そのことが、どうしても父親は許せなかった。
「自分が入っても、個性を発揮することができない」
と思うと、自分の席は警察にはないと思うようになったようだ。
そのため、民間の会社に勤めながら、どうしても諦めきれず、探偵事務所の助手を転々としながら、細々と、自分が探偵をできるようになったのだという。
自分が設立したところではなく、先代から受け就いた事務所という形であった。
そういう意味で、先代が引退しても、少しの間は、先代が協力してくれた。しかも、元々先代を贔屓している人たちもいて、
「あの人の後継者なら、大丈夫だろう」
ということで、地盤も引き継いだのだった。
先代は、警察ともうまくやっていたが、父親は、どうしても、警察組織を許すことができなかった。警察に対する恨みから、自分が探偵になろうと思ったのだから、警察といまさらうまくやるということをしなくてもいいだろう。
しかし、これは、一種のジレンマであり、お互いに捜査協力が必要なこともある。
そういう意味で、いつまでも警察に対してのトラウマや、怨恨を持ち続けるというのも、本当は、
「大人げない」
と言えるのではないだろうか?
それを思うと、
「自分のやっていることが本当に正しいのかって思うんだ。警察に対しての対抗意識というものが、今の自分の原動力であるということもウソではないからな」
といっていた言葉も分からなくもない。
ただ、
「警察のいいとことは、素直に認めないといけないんだろうとも思う」
ということも言っていた。
これが、一種の、
「大人な対応ができるかどうか」
ということにもつながるのだろう。
作品名:合わせ鏡のような事件 作家名:森本晃次