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合わせ鏡のような事件

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 まったくそれまでと考えを逆にしなければいけなかった。今考えれば、
「よく、あんな考えで、潰れずに来れたものだ」
 という、バブル時代の、
「銀行不敗神話」
 などと言った、今では信じられない神話が残っていたのも、あの時代のことである。
それまで言われたこともなかった、
「経費節減」
 あるいは、聞いたこともなかった、
「リストラ」
 などという言葉、それらは、まったくなかったわけではないのだろうが、誰も思いもつかなったものなのであろう。
 それまでと、まったく逆の発想をしなければいけないのだから、
「それまでを正義だと思っていたことを捨てて、それまでの悪に徹底しなければいけない」
 ということなので、一企業という大きな存在を、一人の人間が向かせるというのは難しいだろう。
 そういう意味では、昔からの、
「同族会社」
 などという経営方針はうまくいくはずもない。
 封建的な考えが、鎖国に代表されるように、その会社オリジナルな文化が発展するかのように、他と順応できていないと、実際に、
「吸収合併などを行わないと、潰れてしまう」
 という状況になった時、果たして、相手の会社とうまく合併できるかどうか、ということである。
「下手に話が噛み合わないといって、ズルズル先延ばししていくと、手遅れになってしまう」
 ということになりかねないのだ。
 嵐が近づいていて、
「とにかく逃げることを最優先に考えなければいけない」
 ということを分かって会議をしているのに、
「どちらから、船に乗るかなどという、最初の段階で、お互いに譲らないのであれば、逃げ遅れて、すべてが終わってしまうということになる。ここはひとつ、とりあえず。船に皆が乗って、安全な場所まで行き着いてから、ゆっくり話し合えばいいだけのことだ」
 という理屈を分かっていないのだろう。
 バブルの崩壊は、想像以上にその影響が広まるのは早かった。
 まったく正反対の発想をしなければいけないことに抵抗があり、結局できずに飲み込まれてしまった会社がどれだけあるだろう。
 経済も、そうだが、
「世界的なパンデミック」
 が起こった時も、仕方がなかった。
「まったく目に見えないウイルスが、今どこまで迫ってきていて、まったく正体不明の相手に、どう対処しなければいけないか?」
 ということが話し合われた。
 考えられることは、ハッキリしている。
「今入ってきているだけのウイルスをいかに蔓延しないようにするか?」
 ということ、さらに、
「これ以上入ってこないように、水際対策をしっかりする」
 ということ、
 そして、正体を有識者で突き止めている間、
「政府は、国民の不安がパニックにより最高潮になって、デマが飛び交わないように、情報統制を行うこと」
 というのが、大切であろう。
 しかし、日本は、そのすべてで失敗した。
 せっかく、一度、
「緊急事態宣言」
 を発出し、一時的に蔓延を防いだのだが、少し収まったというだけで、経済を回そうと、人流を元に戻せば、また流行した。
 しかも、今度は変異していて、さらに強いウイルスになっていた。
 そのうち、数年間で、
「第〇波」
 というほどの流行を繰り返してきたにも関わらず、まったく政府は学習能力がなく、しかも、有識者の委員会の人たちの意見を無視し、政府発表では、そのくせ、
「専門家の意見を聞いたうえで、十分協議し……」
 などと、まったくの嘘っぱちで、国民を騙そうとしていたのだ。
 そんな政府を許せるわけもない。
 そんな時代を思うと、バブル時代の政府の対応とが、かぶって思える人がどれだけいるだろうか?
 バブルが崩壊し、経済的ショックが全世界を襲ってから、約三十年。他の国では、経済が上向きになってきたにも関わらず、日本ではまったくうまく行っていない。
「失われた30年」
 とはよく言ったものだ。
「日本政府は、学習しないのだろうか?」
 という声が聞こえてきそうである。
 この男は、まだ30歳にもなってはいなかったが、変なところがあり、
「頭の中で、40歳を過ぎた自分を想像することができるんだ」
 ということがあった。
 というのは、大学を卒業した時の妄想したことが、今の自分とほぼ変わっていないということだったからである。
 決して彼は背伸びをしない。謙虚に考える方なので、目標も下方修正気味だ。それがちょうどいい具合の未来予想図になっていて、妄想がそのまま今の自分になっていると思い込んでいた。
 それはあくまでも、本当に妄想であり、
「今の時点から、過去を振り返るから、未来予想図と、同じに見えるのではないだろうか?」
 と感じるのだった。
 つまりは、
「未来に起こってしまったことを、最初から正しいと思うことで、過去が変わってしまっても、それでいい」
 と思っているのだ。
 だから、今の自分を、常に、
「正しい」
 と思うことにしている。
 それは悪いことではない。ポジティブに考えるということであり、決して今を悪く思わないことは、将来において、見失うことではない。未来を見失うのは、増長しているからであって、正しいかどうか分からないものを、ただその時が楽しいというだけで、
「楽しいということが正義だ」
 と自分に言い聞かせているのかも知れない。
 この思いが、
「楽という言葉を、楽すると考えるか、楽しいと考えるか、どちらが正義なのかということではないか?」
 という考えに至る。
 正義というものの定義は難しいので、簡単に分かることではないが、正義というものが、世の中でいうところの、
「勧善懲悪なのだ」
 ということであれば、すべては簡単なのだ。
 勧善懲悪のみを正義としてしまうと、それ以外は、すべてが悪だということになる。
 考え方としては極端であるが、悪の中にも種類があるとすれば、
「必要悪」
 と呼ばれるものではないだろうか?
「必要悪というと、正義ではないが、この世になくてはならないもの。人間が生きていく上に必要なもの」
 ということで考えると、
「必要悪というものは、見方によっては、正義の一種なのではないか?」
 ということになり、
「正義の裏返しが、皆悪だということではない」
 と言えるのかも知れない。
 たくさんある正義も、その裏側を見れば、
「ひょっとすると、正義なのかも知れない」
 ということもあるだろう。
 それを思うと、
「何が正義で何が悪なのか?」
 それこそ、
「タマゴが先かニワトリが先か」
 というような、果てしなく決めることのできない、禅問答のようなものなのかも知れない。
 そんなことを考えていると、自分の将来が見えてくることで、目の前に転がっている死体が、男であることが分かると、
「浮浪者なのかな?」
 とボソッと、口を開いた。
 それを聞いて女は、
「えっ?」
 と言ったが、その時はそれ以上、考えることはしなかったのだ。
 警察が来てから、その物体を起こすと、紛れもなく、そこには死体があった。
 警察への通報では、ハッキリと顔などが分かるわけではないので、本当に人間なのかということすら分からなかった。ライトで照らしてみたが、ハッキリとは分からない。
「警察に通報した方がいいな」
作品名:合わせ鏡のような事件 作家名:森本晃次