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忌み名

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 そのうちに、軍部での勢力を強くしていくことで、政治家としてではないので、今は中江が残っていないが、あのまま軍が続いていれば、いずれは、
「元帥」
 にまで上り詰めるであろう人間も出たことだろう。
 しかし、時代はそうはいかなかった。
「軍部がこれからも力を発揮するには、金が必要だ。実業家と肩を並べるくらいでないと、これからの軍隊はやっていけない」
 というのが、弘前家の考え方で、ただ、本当にそのことを考えていたのは、執権の方であった。
 扇動するように、弘前家をスポークスマンとしても使ったところが、彼らの画期的なところだったのだろう、
 つまり、彼らは、
「君主である弘前家であっても、自分たちのやり方に逆らうことは許されないということを自覚させなければいけない」
 ということ、そして、もう一つは、
「決して我々が表に出てはいけない」
 ということを徹底させなければいけない。
 つまり、
「この両極端なやり方を、うまく調整していかないと、我々の目指す日本はできあがってはこない」
 ということであった。
 そして、日本が輝き続けるためには、弘前家がどんな形であっても、
「国家の最先端にいなければいけない」
 ということであり、戦争前の金が必要な時期には、
「財閥」
 としての力を発揮していたのである。
 歴史上は、タブーになっていることなので、学校で教えたりはしないが、軍部出身の財閥となった変わり種としての、弘前家が運営する、
「弘前財閥」
 というのが、国家に君臨していたのだ。
 そんな弘前財閥が、バブル崩壊前に、建てたこの屋敷の中華風の建物だが、さすがにピークはその頃だったと言えるだろう。
 さすがの弘前家でも、バブルの崩壊までは、予測できたわけではなく、他の会社と同じように、バブルが崩壊したことで、慌てふためいていたのだ。
 ただ、バブル崩壊後の混乱時期を何とか乗り切ったことで、次期当主に対してもそうだが、今回は、真剣に経済学や、経営に対してのプロフェッショナルと育てることを真剣に考えるようになった。
 特に、執権の方からすれば、必死であった。
「本来なら、自分たちがバブルにいち早く気づいていれば、こんな混乱くらい、さほどのことなくやり過ごせたかも知れないのに」
 と、一歩間違えれば、手遅れになっていたかも知れないということを、恐れていたのだ。
 実際に、最初から衛材や経営に関しての知識があれば、もう少しうまく立ち回れたかも知れない。
 いくら混乱を何とか逃れたとしても、結局、出血はしたのだった。その証拠に、致命傷には程遠かったが、資産のいくらかは食いつぶすことになった。
 しかも、関連会社の倒産を防ぐために、救済としての金銭も惜しまなかったことが英断ではあったが、それも、執権一族の判断だからできたことで、少しでも躊躇っていれば、関連会社もろとも、弘前財閥は瓦解していたかも知れないのだ。
 実際に、財閥と言われるところも、破綻したところもあった。
「他の企業と合併しなければ生き残れない」
 という時代であるにも関わらず、プライドが許さないのか、結局その決断に踏み切れずに、倒産した財閥もあった。
 子会社、関連会社、もろともにである。
 当然のことながら、弘前財閥も他の会社を吸収合併することで、何とか難を逃れたのだ。特に、元々の大手銀行と提携できたのは、後々においてよかったことだろう。
「銀行不敗神話」
 というものが崩れたことで、銀行側も必死である。
「銀行はつぶれない」
 という神話を一番信じていたのは、他ならぬ銀行だっただろうからである。
 それだけ銀行というものは、信頼されるべきものであり、逆にいえば、
「今後の企業にも、銀行が培ってきた金融に関してのノウハウが必要な時代になってきたのだ」
 ということであろう。
 金融機関のノウハウは、今まで想像もしなかった、
「バブルの崩壊」
 というものを迎えて、一段階銀行もレベルアップした、
「想定外のことが起こった時の対応」
 というものと、
「銀行だって、いつどうなるか分からない」
 という、一種の覚悟を身につけたことで、一層強固なものになり、そして、それが、危機管理を必要とする、今の時代にそぐう企業になるのだった。
 何といっても、今までの社会は、
「頑張れば報われる」
 という、単純なものだった。
 もちろん、細かいやり方はあるのだろうが、少なくとも、危機管理を考えないでいいというところだけでも、単純だったと言えるだろう。
 もちろん、倒産したことで、他の企業がビビッてしまったのも間違いないが、そのおかげというか、銀行も真剣に考えるようになり、
「吸収合併」
 や、
「大規模リストラ」
 などと言った、
「血を流す」
 というような方法で、生き残りをかけてきた。
 弘前財閥も、吸収合併に絡んできたが、自分たちよりも大きい会社が存在するはずもなく、そのすべてが、吸収する側になるのだった。
 銀行の方も、
「相手が弘前財閥なら」
 ということで、弘前財閥との話を望んでいた。銀行くらいであれば、執権の存在には気づいていたはずだ。
 実際には、世間に対して、弘前財閥側では、執権の存在を、敢えて公表するようなことはなかった。
 とにかく執権職を担ってきた家系はいなければ、まず、どこか、早い段階で、弘前家というのは、潰れていただろう。
 少なくとも、軍部を牛耳っている間は大丈夫だったかも知れないが、それは、
「時代が求めた」
 というだけで、確かに、
「見る目があった」
 といえば、それまでだろう。
 政治からいち早く軍部に乗り換えたのは、
「自分たちは、幕府を倒したのは、政治家になるためではない」
 という意識があったからだろう。
 さらに、士族の人たちが、どんどん迫害されていき、最期には昔の武士が亡んでしまったのを見ると、
「武士の心意気を持った、軍というものを作っていきたい」
 と考えるようになったからだ、
 ただ、その意識が強すぎたからだろうか、戦陣訓にあるような、
「プライドを守るためには、死をもいとわない」
 という考えが、次第に日本を廃墟への道へを歩ませることに一役買うようになっていったのだ。
 武士道から、軍隊精神のようなものが、弘前家には、備わっていた。当然、執権の家系にも同じような精神が備わっているのは、いうまでもないだろう。
 お互いの家もそれぞれに、
「自分たちは一蓮托生。いいことも悪いことも、そう、地獄の底まで一緒だと言える仲間だ」
 ということを、ずっと意識しているのだった。
 そんな弘前家は、バブルが弾けてからこっち、それまでは、財閥系ではありながら、あまり目立つ方ではなかった。
 三井、住友、三菱などのような旧財閥系は、派手にいろいろな業種に手を染め、多角経営をしていた。
 もちろん、弘前財閥も、手を広げてはいたが、それほど、メディアへの進出が大きかったわけではない。
 例えば電化製品でも、客が、
「この製品、いいわね」
 といっているのを聞いて、店員が、
「ああ、これは弘前電機の製品ですわ」
 というと、
「へぇ、そうなんだ」
 というくらい、それほど有名ではなかった。
作品名:忌み名 作家名:森本晃次