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忌み名

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 そのための、安全保障の問題から、朝鮮を開国させ、清国と一触即発になりながらも、何とか戦争ができるくらいになるまで、二つの政策を推し進めていき、
「実際に戦争すると、圧勝だった」
 というものである。
 そこから、日本は軍部が台頭してくることになるのだが、当然その間に、弘前家はどんどん裕福になってくる。
「まるで財閥並みだ」
 というほどになっていた。
 ただ、明治に発展した富豪は、なかなか生き残れないものだったが、弘前家は生き残った。
 まるで、三井、三菱財閥並みだったのだが、そこまで強烈に印象に残っていないのは、どうしても、
「軍に属していて、そちらでの影の活躍が目覚ましかったからだ」
 ということである。
 軍の作戦のほとんどに関わるという要職に代々就いてきた。ただ、陸軍でいうところの。
「陸軍三長官」
 という形で名が残っていないので、分からないだけだった。
 陸軍三長官というのは、
「陸軍大臣」
「参謀総長」
「教育総監」
 の三つの役職で、実際にも、その三つすべてを歴任した人は、数人しかいないのだ。
 それほどの役職なのに、
「弘前家から、誰も出ていないのは、不思議な限りだ」
 ということであった。
 ただ、時代が大正から昭和に移ってくる間に、それぞれの職に就いた弘前家の人間もいた。
 当時は、
「陸軍大臣と参謀総長の兼任は憲法違反ではないが、許されない」
 としていた。
 理由は、
「権力の一極集中」
 ということであったが、巷では、
「弘前家の人くらい人徳があったり、優秀であれば、許されるのではないか?」
 と言われるほど、弘前家というのは、世論も味方につけている家系だったのだ。
 それも、
「決して力があっても、表に出ようとはしない」
 という姿勢が謙虚に見えるのか、政府にも信頼され、もちろん、軍部では、最上級の力を持っていた。
 ただ、どうしても、破れない壁があった。
 というのは、
「これだけ国民から慕われているわりには、天皇からの信任が、それほど厚くない」
 ということであった。
 天皇とすれば、
「ここで私が認めてしまうと、やつらが、増長しかねない」
 という思いがあったからだろう。
 それは実は正解だった。昭和に入って激動の時代になってくると、弘前家でも、表舞台に出たいと思う人が出てきて、世の混乱にさらに相まって、時代を間違った方向に導いているようだった。
 それが、
「大東亜戦争」
 という形で現実化してしまったといっていいだろう。
 時代が進むにつれて、財閥が危機に見舞われることもあった。
 大正時代においての、
「第一次大戦中の特需の反動」
 であったり、その後においての、関東大震災における、首都機能の大打撃。さらには、昭和に入ると、世界恐慌、昭和恐慌などという恐慌に、輪をかけたような、東北地方における大凶作。
 それによって、
「農家の人は、娘を女郎に売らないと、その日の暮らしも立ち行かない」
 とまで言われた時代だったのだ。
 世界恐慌などでは、お金を。
「持てる国」
 同志で、
「ブロック経済」
 などという、裕福な国だけで形成したブロックがあった。日本などのように、資源のない国では、さらに貧乏になり、世界においての貧富の格差がさらに激しくなる。
 それが、遠因となって、さらなる世界大戦を引き起こすことになるのだが、さすがに今度は日本も相手が悪い。
「英米蘭中」
 という、世界最高峰の国を相手に戦争を仕掛けるのだから、まるで、清国の西太后が、
「義和団の乱」
 の際に、九か国と言われる多国籍軍に、宣戦布告をした暴挙と似ているのではないだろうか?
 もっとも、その時の九か国の中に、日本も入っているのだが、無謀さという意味でいけば、同じだったであろう。
 ただ、日本の場合は、戦争をせざるを得なかったのだが、清国が義和団の時に、
「なぜ宣戦布告をしなければいけなかったのか?」
 というのが不思議で仕方がない。
 そんなことをしたものだから、北京は、あっという間に多国籍軍に占領されるという馬鹿げたことになったのだった。
 日本も大東亜戦争で、仕方がなかったとはいえ、戦争に突入し、前述のように、
「辞め時を間違えた」
 ということで、
「日本本土の無差別爆撃」
「各占領地においての、軍、民間人関係なしの玉砕」
 さらには、
「原爆投下」
 という悲惨な状態での終戦となったのだ。
 それでも、ソ連による、
「シベリア抑留」
 などという悲惨な状況はまだ続くことになるのだが、戦争に負けた後での、抑留というのは、ある意味、死を意味していたのかも知れない。
 日本は無条件降伏を行い、占領軍から日本を、
「いかに民主化するか?」
 という問題の中、
「軍拡や軍部独走の最大の原因の中に、財閥の存在がある」
 と言われ、財閥の解体が行われた。
 さらに、貴族などの爵位の撤廃なども言われたことから、財閥や、かつての貴族や華族と呼ばれた人たちは、完全に没落した。
 さらには、農地改革も行われ、昔の地主なども衰退していき、戦後の混乱で、かつての権力者は、見る影もなくなっていった。
 それを弘前家は何とか逃れてきて、戦後は細々であったが、生き残ってきて、高度成長期において、完全復活を遂げたのだ。
 平成などからこっち、バブル崩壊や、リーマンショック。さらには、
「世界的なパンデミック」
 などがあり、日本では、
「失われた30年」
 などと言われたが、それらも、何とか乗り切ってきたのだった。
 そんな歴史を、時代とともに乗り越えてきた弘前家であったので、今でも、昔と変わらない生活だった。
 少々の贅沢は当たり前、無駄とも言えるくらいの広い屋敷の中には、洋館もあれば、異本家屋もあり、さらには、中華風の屋敷もあった。
 もっとも、中華風の屋敷は、先々代の当主がお好みだったようで、その時に贅を尽くして建てたのだった。
 先々代というと、時代としては、バブルの時代くらいだっただろうか。それくらいの贅沢は、それほど珍しくもない時代だった。だが、さすがに昔の大正時代にいたという成金。いわゆる、
「第一次大戦の時の、特需成金」
 と言われた人のように、当時の百円札の束を燃やして、玄関先で、芸者のために、足元を照らしてやるなどということはないだろう。
 あの風刺画は、実は本当のことだったという。今であれば、数百万という札束を、足元を照らす明かりの役目として、一瞬にして火をつけるようなこと、できるはずもないだろう。
 100円札1枚が、今の金銭感覚では、30万円くらいというから驚きである。今だったら、車が買えるお金である。
 それを思うと、大正時代とはいえ、産業界において、軍需産業というのは、特需の中でも相当なものだったのだろう。
 何と言っても、その時代に開発された兵器も多く、しかも、塹壕戦ともなれば、持久戦であり、消耗戦でもあるのだ。
 いくら兵器があっても足りないというものだ。
 開発間もない兵器だから。一個だって高いはずだ。それが、どうしようのないくらいに消費しても、まだ決着がつかない。どれだけの消費をすれば気が済むというのだろう。
作品名:忌み名 作家名:森本晃次