忌み名
「そうでしょう? 殺そうとするなら、もっと確実な方法がありそうなのに、敢えて睡眠薬にして、実際に死んでいない。それなのに、変装したりして逃げているのは、何かあるのではないかと思うんですよ。しかも、そこに、以前の本当の殺人事件の現場に残された指紋が残っているというのは、何かできすぎているとは思わないか?」
「ええ、確かにそうですね。少なくとも、前の殺人現場に指紋が残っているということも、殺人事件としては、あまりにも雑であるし、今回だって、べたべたと指紋が残っている。まるで、今回の事件で、前の事件を思い出させるようなそんな感じ、これをどう解釈すればいいんでしょうね?」
というと、
「確かにそうです。そういえば、私は、前の令嬢殺人事件の話も、少しだけ聴いてみたんですが、あちらも少しおかしい感じがするんですよ。特に、誘拐したにも関わらず、身代金要求などはなく、誘拐宣言をしただけで、ずっと音沙汰がなかったのに、急に殺害されているということだったといいますからね」
という。
「そうなんだよな。この二つの事件で、これは考えすぎかもしれないが、片方は、つぐみ、もう一人はつむぎ、名前が片方は源氏名だということなので、偶然なのかも知れないが、逆にいえば、源氏名などはいくらでも任意につけることができる中で、共通点のある、殺人、あるいは殺人未遂事件と、被害者と似た名前を付けるというのは、偶然としてはできすぎているように思うのはおれだけなんだろうか?」
と言った。
「そうですね、本当に紛らわしいですよね。しかも、今回の事件でも、まるで犯人、あるいは犯人と思える人が、まるで変装をして、すぐにわかるようなことをわざとしているように思うと、どちらの事件も、事件ということ自体。どこかつかみどころのない感じがして、不可思議なんですよね。何か犯人、あるいは、犯人と目される人間の何か強い意志がそこにあるような気がするんです」
という。
「もう一つ気になったのは、どっちも、ナイフを使った一思いではないということなんだよな。もちろん、ナイフを使うと、返り血を浴びたりするというのもあるんだが、絞殺などは、よほど、相手が動きを封じておかないとできないことだろうし、暴れられると絞殺は難しいのではないだろうか? 誘拐しているわけだから、最初から、身体の自由を奪っていたということはいえるかも知れないが、それでも、必死になって抵抗すれば、身体に縄の後が抵抗した様子を生々しく残すものではないんだろうか? 実際にあったのかどうかまでは分からないが、今回の事件にいかに関わっているかということが気になるところではあるよな」
と言った、
とりあえず、令嬢殺人事件に、今回の殺人無水事件が関わっていることから、事件が意外な展開へと向かっていることは分かったというものだ。
捜査本部が置かれていたところに、今回の事件も関わっているということで、こちらの捜査も追加された。
それにしても、かたや、
「財閥令嬢殺人事件」
という世間を騒がせるには十分ば事件のわりに、
「風俗嬢、殺人未遂事件」
という、単独では、話題にもならないような話が結びついてくるなど、誰が想像したことだろうか?
そもそも、
「二つ目の事件が、本当に殺人未遂なのか、疑わしい」
と思っている人も多い、ただ、令嬢事件と同じ指紋が検出されなければ、きっと誰もが、殺人未遂自体を疑ったとしても無理はなかった。
「この二つの事件を、犯人は、どうしても結びつけたかったということなんだろうか?」
と、事件がどうしても、極端に思えて、結びつけることが、頭の固い人では難しいだろう。
「指紋さえ一致しなければ、まったく別の事件だったはずなのだよな」
ということになると、ラブホに残っていた指紋のあからさまさ。
さらには、最初の殺人現場に、まるで、
「犯人はこの指紋の人間なんだ」
といわんばかりのわざとらしさであった。
つまり、一番重要な証拠である指紋を、一つだけではなく、二つまでも、これ見よがしに残している。このわざとらしさが、どのような意味を持つというのか、それがこの事件の一番の問題点なのではないだろうか?
それを思うと、
「この事件には、不思議なこと、疑問に感じること。それも、根本的なところで多いということが、わざとらしさに繋がっていき、いずれ、事件をややこしくするか、その理由が分かることで、急転直下の解決を見るかも知れない」
と思い、
「それだけ、この事件には、両極端さというものを秘めているということになるのかも知れない」
とも考えられるのではないかと思うのだった。
そんなことを考えていると、
「一体何から捜査すればいいのか、最初から分からないではないか」
ということになってくる。
つまりは、ここで、殺人未遂事件が絡んできたことで、却って、事件が複雑になってきた。
「まさか、それが犯人の狙いではないか?」
とも考えられた。
しかし、下手に混乱させるためとはいえ、策を弄しすぎると、どこから事件の真相が漏れるか分からない。これも経済学と一緒に、
「いかに最小の労力で、事件を形成するか」
ということが大切になってくるのであろう。
事件はそれから、
「つぐみと、つむぎ」
という二人の紛らわしい女性の共通点から少しずつ分かってきた。
「二人は、大学も同じだったようだね」
ということだったが、彼女たちは、別に知り合いだったというわけではなかったようだ。
ただ、一度、偶然別荘地で仲良くなり、そこで数日過ごしたようだが、不慮の事故が起こり、それから、二人は、まったく連絡を取っていなかったという。そして、その不慮事故というのは、柏田誠一の妹である、つばさが水死するという、例の、
「池でのボート転覆事件」
だったという。
その時助かったのは、つぐみとつむぎの二人だった。不幸にもつばさだけが死ぬことになったのだが、つぐみとつばさは、もちろん、顔見知りところか、親の関係から考えると、その関係性は明らかである。
その時のことを振り返ってみると、あくまでも想像でしかないが、兄の誠一は考えていた。
ボートが転覆したのは、もちろん、誰かの意志だったというわけではないと思う。もし本当に殺そうとするのであれば、もっと確実で安全な方法を考えるだろう。自分の命を危険に晒してまで、相手を殺そうとする明確な理由が、まったく分からないからである。
当の本人のつばさが分かっていない。わかっていれば、もう少し警戒するはずだ。
「なぜ、殺されなければいけないのか?」
殺される理由があったとしても、ボート転覆などという事件では、怪しまれるのは当たり前、しかも、自分がそばにいて、自分も危険に晒されるというのは、あまりにもリスクが高い。
それを分かっているのだとすれば。あと考えられるのは、これが本当に事故であり、三人がすべて助かることは困難だが、二人までは助かる可能性があると考えた時、
「つかさが、まさか、自分を犠牲にしてでも、つぐみを助けることで、すべてがうまくいくと考えたのかも知れない」
ということだ。
これは、刑事訴訟法における
「違法性阻却の事由」
と呼ばれるもので、
「正当防衛」