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忌み名

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 そもそも、まんまとアメリカの作戦に引きすり出されて、戦争の舞台に上がらされたということも分からずに、しかも、諸事情により、宣戦布告が遅れたということから、アメリカ国民の戦意をくじくどころか、
「日本、許すまじ」
 ということで、半日から、大統領の思惑通りに、戦意高揚の国民の支持を受けることができたのだ。
 さらに、占領地域の広さが問題だった。
 継続中のシナ事変でも、
「宣戦を拡大すればするほど、補給が難しく、収拾がつかなくなる」
 ということが分かっているはずなのに、占領地域を死守しようとする。日本の軍備や人数で、とてもできるはずのないことを、やろうとするから問題だったのだ。
 要するに戦争などのようなものは、
「いかにうまく戦争を終わらせることができるか?」
 ということが問題なのだ。
 これは戦争に限らず、離婚にも言えることだ。
「離婚というのは、結婚の数倍の労力と、体力がいる」
 と言われるが、まさにその通り。
 最初から、後ろ向きなのだから、結婚生活が危なくなった時点で問題なのである。
 とにかく、
「始めることよりも、いかに収拾させるかということが問題だ」
 というのは、ある意味どこの世界でも言えることであろう。
 だが、大東亜戦争の時の政府がそうだったように、詐欺行為の方も、
「うまくいっている今、最盛期の状態で手を引くというのは、なかなか難しい」
 と言えるだろう。
 最初から、彼らが、詐欺行為に走った時、
「ある程度まで儲けることができれば、危なくなる前に、すべての証拠を隠滅して、さっさと手を引こう」
 と考えていたのであれば、少しは違うだろうが、詐欺を行う連中で、少なくとも社会問題になってしまうと、そうもいかない。
 そういえば、戦後すぐくらいのミステリーブームと呼ばれる時代にあった、
「詐欺師集団を描いた社会派ミステリーであるが、戦後、学生数人で、詐欺集団をつくるのだが、そこでは、いろいろな取り決めのようなものがあった」
 というものがあった。
 まず、
「同じ手は、二度と使わない」
「どんなにうまくいっても、目的以上に深入りはしない」
「被害者に同情をしない」
 などというもので、共通して言えることは、
「相手に悟られたり、警察が証拠として握ることができないように、うまく逃げれるようにしておくこと」
 それが大切だというのだ。
「法律で裁かれてしまうと、もうどうしようもないが、逆に法律以外では裁くことができない民主主義の世の中」
 ということを考えると、
「詐欺師にとって大切なことは、いかにうまく相手をかわすこと」
 なのである。
 それが巧みにできるのが、
「詐欺師の詐欺師たるゆえん」
 であり、相手に対して非情になれなければ、詐欺師というのは、立ち回ることができないともいえるであろう。
 それを考えると、昭和の最期にあった詐欺事件は、
「詐欺師としての立ち回り方を間違えた」
 ということになるだろう。
 結果、マスゴミが押しかけて、ごった返している中、恨みを持った男が、社長を殺害するという悲惨な事件を引き起こすようなことになってしまった。
 最終的にどうなったのかは、途中があまりにもセンセーショナルだったこともあって、世間に対しては、結構曖昧に終わったのではないだろうか?
 それを思うと、事件だけがクローズアップされ、最期は尻すぼみだったような気がする。だが、こういう事件こそ、尻すぼみはありがちなのではないだろうか?
 さて、昭和の終わりの同時期にあった犯罪として、このような詐欺事件とは別も意味で、センセーショナルなものがあった。
 事件としては。こちらの方がはるかに大きかった。まずは、某菓子メーカーの社長が誘拐されたところから事件は始まった。
「誘拐しておいて、身代金を要求する」
 というどこにでもある事件であるが、誘拐されたのが、大手企業の社長というところに問題があった。
 その社長は、無事に(?)解放されたが、さらに、別の食品関係の会社の社長を誘拐してみたり、
「会社の商品に青酸カリを注入した」
 という脅迫を掛けてきたりした。
 実際に、スーパーから、青酸カリ入りの食品が見つかり、世間を驚愕させた。
 もっとも、被害が出ないように、
「いかにも怪しい」
 とうう状態にすることで、実際に被害が出ないようにしていたのだ。
 犯人の目的が、
「金欲しさ」
 ということであれば、それでいい。
 または、会社に対しての何らかの復讐である場合にも、不必要な殺生は犯人たちにも、意にそぐわないものだと言えるだろう。
 だが、それは結果的に分かったことであり、
「青酸カリ入りの食品が見つかった」
 ということで、世間はパニックになった。
 当然、その会社の食品を買う人は激減して、身代金どころではない。
「犯人による復讐」
 というのが動機であれば、その時点で、ある程度の復讐はかなっていると言えるのではないだろうか?
 だが、実際にはそれだけで収まらず、他の食品会社にも同じようなことを仕掛けていた。そうなると、
「これは本当に、復讐なのだろうか?」
 ということになる。
 そこでいろいろな説が生まれてくるわけだが、
「愉快犯ではないか?」
 というものだが、単独犯なら愉快犯もありえるが、これだけ大規模な犯罪に、愉快犯というのもおかしい。
「本当に復讐が目的なのだろうか?」
 つまりは、そんなにたくさんも会社に対して恨みがあるというのだろうか?
「木を隠すには森の中」
 と言われるが、本当の目的を隠すために、他の犯罪を重ねているとすれば、ありえなくもないが、発覚した時、それらすべての罪を追うわけなので、現実的でもないような気がする。
 もう一つ考えられるのは、
「最初の企業だけが、真犯人で、後の事件は、模倣犯ではないか?」
 というものである。
「犯人は、うまく相手を脅迫することに成功した。じゃあ、俺たちも似たようなことをしても、犯行をそいつらに押し付けることができるのではないか?」
 というものである。
 しかし、これも現実味に掛ける。
 なぜなら、最初の犯行。つまり誘拐にしても、青酸カリにしても、かなりの期間、そしてお金を使って、用意周到な準備が必要である。
 事件は立て続けに起こっているのだ。あまりにも時間がない。
 しかも、準備をする前に、人間を集める必要がある。どこにそんな時間があったというのか。もし、それができたのだとすれば、あまりにも、
「できすぎなのではないか?」
 と言えるだろう。
 それを考えると、考えられるいろいろなことは、
「帯に短したすきに長し」
 つまりは、
「一長一短あり、どれも信憑性に欠ける」
 ということであった。
 つまり、この昭和の最期の方で起こった、二つのセンセーショナルな事件。
 どちらも華々しく世間を恐怖のどん底い叩き落すだけの効果はあった。
 しかし、詐欺事件の場合には、
「引き際がうまくいかなかった」
 ということであったり、もう一つの事件は、
「広げすぎて、収拾がつかなくなった」
 ということであろう。
 ただ、もう一つの事件に関しては、
「すべての嫌疑において、時効が成立してしまった」
 ということである。
作品名:忌み名 作家名:森本晃次