忌み名
何よりも、次々にいろいろなアイデアが浮かんでくることが素晴らしい。
つむぎには、そこまで考えが回るわけもない。
「何とかその日をやり過ごせばいいんだ」
と思うからであり、そう思うことで、何とかその日一日を過ごしていた。
だから、仕事が終われば放心状態。先を見ている人はそこから、いろいろ考えるというのに、仕事が終わるとエネルギーが残っていない。
つまり、
「人気があったり、目標のある人は、仕事で目いっぱい労力を使い果たすわけではなく、余裕を持っているということであろう。それはきっと、自分の力量が分かっているからで、普段から自分を見つめることができるからなんだろうな」
と、この店に移ってから、指名がどんどん増えてくることで分かるようになった。
「私は、これまで、風俗で働いていることに後ろめたさのようなものがあって、仕事を離れると、なるべく考えないようにしようと思っていたからこそ、うまくいかなかったんだろうな」
と思うようになっていた。
そのことを考えると、つむぎは、
「今までの自分が間違っていたわけではなく、考え方を少し変えるだけでいいんだ」
と思うようになった。
間違いだとして自己否定してしまうと、これからも、すべて否定から入ってしまうことになるとおもうのであった。
それこそが、つむぎの人気が上がってきた証拠であり、人気が上がってきたからこそ、分かってきたことなのだった。
そんなつむぎだったが、自分にストーカーのような男が迫っているなどということは知る由もなかったのだ。
そもそもつむぎが風俗で働くようになったのは、短大時代のアルバイトがきっかけだった。
最初は、そんなことをするつもりもなかったが、悪い彼氏に引っかかってしまい、借金を背負ってしまった。
彼氏は、とんずらしてしまい、借金だけが残されたので、
「手っ取り早く稼ぐには」
ということで、ソープしかなかったのだ。
そもそも、そもそも風俗に対して、いい悪いの意識もなかったので、
「しょうがないか」
という意識で、言い方は悪いが、
「何となく飛び込んだ世界」
だった。
しばらくは、嫌という感覚も、好きだという感覚もなく、何とか働いていたが、就職活動がうまくいかず、就職に失敗したことで、
「就職できるまで」
という意識で、そのまま店に残ることにした。
店の方としても、女の子が皆卒業していなくなる時期だっただけに、続けてくれるのはありがたかった。
「ありがとう」
といわれるくらいで、少し色を付けてくれることで、何とかなると思っていたのだ。
最初の一年は何とか過ごせた。いくらランキングには入らないとはいえ、彼女にだって、
「お気に入り」
にしてくれる客もいた。
「彼女の魅力は俺にしか分からない」
とでも、思っている客が多かったのだろう。
そういう意味で、危険と隣り合わせでもあったのだ。
ソープだからよかったのかも知れない。
おかげで、危険なことはなかったのだが、来てもらえないのと来てもらうのとでは、金銭的に雲泥の差だったのだ。
そんなつむぎには、デリヘルに回ってからというもの、、
「今までの悪かった運が、一気に向いてきたような感じがする」
と言えるほど、結構な客入りだった。
しかも、うまい具合に常連客もついてくれたのだが、何がソープの時代と違うというのか?
客からすれば、どこかに違いがあると分かっているのだろうが、当の本人には分からない。それは、まるで、
「自分の顔は鏡を使わないと見ることができない」
という発想と同じであった。
つむぎにストーカー行為をしている客は、実は妻帯者であった。そのことは、最初からつむぎに伝えていて、
「俺、家に帰れば、嫁さんいるからな」
というと、つぐみも、
「ええ、そうなの? そうは見えないな。もっと若いと思っていた」
と言った。
見た目は35歳くらいにしか見えないのだが、実際の年齢は、30歳くらいらしい。
「若いと思っていた」
という言葉は、一見、失礼にも感じるが、客が、気にしなければ、ありがたい言葉に聞こえるというのも、つむぎ自身、気にしていなかった。
ただ、そんなつむぎの、
「罪もない言葉」
を、気にする男がいた。
「重箱の隅をつつく」
とでもいえばいいのか、ただ、それを本人の前では決して言わない。SNSで攻撃することもない。
必死になって、耐えていたが、それも、思ったよりも、耐えきれるものではなかったようで、最初は、
「彼女から遠ざかる」
というのが、一番だと思ったが、
「自分だけが遠ざかっているようで、何か癪だ」
と思うことで、客は、結局戻ってくるのだった。
戻ってきた時は、それまで、
「癪だ」
と思っていたことをすっかり忘れていて、客も頭の中がリセットされたような気分になるのだった。
というのも、
「彼女が俺を忘れてしまったのではないか?」
という思いと、
「自分に対して、リセットしようとしているのではないだろうか?」
という思いとが、交錯しているのだった。
要するに、客だけが一人踊っているのだが、それを、まるで、
「彼女に踊らされている」
という妄想に駆られてしまうと、その思いがどうしようもなくなるのだった。
だが、そんな客をつむぎが、変に意識することはなかった。他の客がその男を葬ってくれたのだ。
葬ったといっても、本当に殺したわけではなく、
「つむぎという女の視線から消えた」
ということであった。
どこでどのようにしたのかは分からない。
「ひょっとして友達だったのではないか?」
という考えも出てくるのだろうが、その男の存在は、つむぎと、その男を葬った男との間にしか存在しないものだった。
そう、葬られた男は、つむぎの前以外では、普通に、
「いい夫であり、いい親」
だったのだ。
つまりは、
「自分がいるべき世界に戻ったということで、つむぎに正対していた人格を、抹殺したということだったのだ。
その男は、まったく顔も違っている。街ですれ違っても、分からないレベルだ。それはその男に限ったことではなく、つむぎも、つむぎを助けたその男にも言えることなのであろう。
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つむぎを助けたその男は、つむぎの客というわけではなかった、
つむぎもその人を直接知っていたわけでもない。男が勝手につむぎを意識していたのだった。
だが、まったく関係のない人間がそんなことをするはずもない。どこかに関係があるはずだ。
一人の悪い客を撃退した時点では、二人に接点もなければ、顔見知りでもなかった。ただ、相手の男はつむぎの存在を知っていて、
「彼女を助けなければならない」
という思いはあったはずだった。
そういう意味で、いたはずなのに、この時点まで、つむぎの前に現れなかったのは、その男が、控えめな性格であったり、ガールシャイなところがあるからなのかと思ったが、その男を退けると、今までになかった積極さで、つむぎに近づいたのだ。
その頃つむぎは、すでに店でもナンバー3には入った人気者だった。店のホームページの表紙を飾ったりすることが多くなったのも、この頃だった。