忌み名
「お役所仕事」
でしかないのだ。
そんな捜査だったが、警察の方としても、さすがに、
「手を引きたい」
と思っているところでもあったのだ。
つむぎ
誘拐事件が、完全に膠着してしまい、どちらかというと、警察内部はおろか、肝心の当主の方も、
「本当に誘拐だったのか?」
と考えていた頃のことだった。
誘拐であなかったのではないかという疑いを警察は感じると、どうしても捜査に穴が出てくる。
それよりも、必死さが見えてこないのがまわりにも見えてきて、執権との間に溝が生まれてくる。
もちろん、
「被害者を救い出すという意味で。溝があるわけではない。温度差が感じられるというのは仕方がない」
ということであった。
それだけ時間が経つと、次第に疑心暗鬼になる警察と、疑いがあっても、当時者である以上、無視できない執権との間で、執権の方では、その距離を感じていたが、警察の方では、距離よりも、温度差であった。
距離の方が温度差よりも遠いと思っている執権とすれば、
「これは、警察は、真剣に考えているわけではないな? 国家権力で動いているだけで、しょせん、お役所仕事で動いているだけなんだ」
と考えるようになった。
もっとも、それも仕方のないこと。逆にこれが上からの命令でなければ、まったく対応していなかったに違いない。
ただ、変に対応したことで、却って警察への不信感につながったのは、後味が悪い感じもした。
執権とすれば、警察を最初から信用していたわけではないが、思ったよりも、その力が頼りないものであると思うと、失望もあった。
しかし、民主主義の警察というのも、結局はそれくらいの力しかないということも分かっていたので、
「まあ、しょうがないか」
という思いに至ったとしても、無理もないことだろう。
何しろ、相手の自由を奪ってはいけないというのが、民主主義。拘束力も、強制力もない。
さらには、プライバシーを尊重しなければいけないということもあると、それこそ、警察の力もかなり制限されるというものだ。
しかし、それでも、民間の探偵などに比べれば、捜査という意味での力はある。ただ、その力が、本当に資質と相まっているかということになると難しいのだろうと、執権は感じるのだった。
しかも、膠着状態の中では、どうすることもできない。相手に動きがないと、こちらも動けないというところがあるのか、捜査能力の限界が、膠着状態ではあらわになっているのだろう。
それを考えると、次第に焦りに繋がってきて、警察は、その焦りのピークが切れると、急に我に返り、緊張の糸が切れてしまうのではないだろうか?
ただ、そのために、警察側も、ジレンマのようなものができてしまったり、後味が悪いという思いがあったりするだろう。
しかし、今回は、誘拐されたと目される人が、行方不明のままというのは、いかにも後味の悪いことだった。
だが、執権から見て、
「これは警察もやる気がなくなっているな」
と感じてしまったことで、一度切れてしまった緊張の糸を、再度結びなおすというのは結構難しいことだと思っている。
警察の方も、何とか切らずにいられればいいと思っていたのだろうが、なかなかそうもいかないようだった。
そんなことを考えているうちに、事件はいきなり動き出した。
というのも、事件が動いたのは、犯人側からのアクションではなく、普通の民間人が、つぐみを見つけたことでの進展だった。
それを知らせてきたのが、警察でも特殊班からではなく、普通の所轄からであった。
「昨日、お嬢さんの死体が発見されました」
というショッキングな内容のものだったのだ。
それを聞かされた時の、社長の悔やみようというとなかった。
何しろ、頬を伝って流れる涙を止めることができなかったのだ。見ているだけで、警察官も、貰い泣きしそうだった。
そもそも、さっきまで、
「膠着状態で、どうしようもない」
と思っていた自分たちが恥ずかしいと思ったからだ。
「こんなことになるくらいだったら、もっと、真剣に捜査を考えればよかった」
と思ったが、後の祭りだった。
死体が発見されたのは、今は廃墟となった、昔の学校で、いわゆる放置状態だったという。
発見したのは、近所の子供だった。
その廃墟では、中学生がたまり場にしているようで、放課後には結構遊びにきているようだった。
つまりは、発見される、少なくとも2日前には、そこには何もなかったということであり、逆にいえば、死体を遺棄した人からすれば、
「最初から、発見されてもいいと思っていたし、前からそこにあったということが分かる必要もなかったということで、発見させたといってもいいだろう」
というのが、所轄の見解だった。
発見された時、まわりは争ったあともなければ、他に痕跡もほとんどないことから、
「他で殺されて、運ばれてきたようですね」
ということだった。
「死因は?」
と聞くと、
「絞殺されているようです。紐のようなもので首を絞められた跡がありますね」
ということだった。
「じゃあ、死亡推定時刻は?」
と聞かれると、
「死亡から一日は経っているようでした。だけど、犯人が被害者を隠さずに放置したということは、何か意味があるのかも知れませんね」
ということだった。
「確かにそうですね」
と、聞いた方は、警察内部で、誘拐事件というのが極秘だったことから、誘拐の上殺されたということを、今の時点で話すことはできなかった。
だが、誘拐捜査を請け負っていた方とすれば、
「誘拐をほのめかしておいて、最終的にどういう形であれ、最期を警察に見せないといけないと思ったということになるのだろう。結果としては、最悪の形ではあるのだが」
という考えであった。
「誘拐というのは、実にわりに合わない犯罪なのですが、だからこそ、犯人たちも、誘拐はしたが、どうしていいか分からずに、渋っていると、被害者に抵抗されたか何かということでしょうかね?」
と、捜査員の一人がいうと、
「それはないだろう。ここまでの大物の令嬢を誘拐しようというのだ。それなりの大きさの組織が動いているのだから、初めてしまった以上、そんな後戻りするようなことを考えるなど、ありえない気がするんだよな」
と彼の上司はそういった。
「確かにそうですよね。当然、事前調査、事前準備をキチンとしての犯行でしょうから、進んでしまうと、少々の行き違いがあっても、そのまま突き進むしかないわけで、最初からそのあたりの誤差も想定はしているんでしょうね」
と部下がいうと、
「それはそうだろう。向こうだって、警察が動くことは考えているだろうし、何しろ金があるわけだから、金に物を言わせて、いくらでも、捜査してくると思っていたのであれば、当然、それなりに入念な計画を立てるだろうからな。そうでないと、誘拐のようなわりに合わないことをするとは思えないからな」
と上司が言った。
つまり二人の間では、
「わりに合う合わない」
という発想が基準になっていて、それだけに、計画が入念であることが当然のごとく考えられていることだろう。
ただ、まさか結末が、