蔦が絡まる
「自分だったら、嫌だと思うだろうな」
と感じたのだった。
そんなことを感じていたままではいけないので、留飲を下げるつもりでテレビを見ていると、スーッと精神的に落ち着いてきた。
普段から、家にいる時もテレビがついていても、別に見ているわけではなく、画面から映像と音声が流れてくるだけで、他のことをしていると、音声だけの場合も少なくないのだった。
それを思うと、
「本当に嫌になる寸前には、意外といいタイミングで、治められることが、起こるものなんだな」
と考えたりしたものだった。
そして、留飲が急に下がってきたかと思うと、
「なるほど、待合室には俺一人ということか」
と感じると、そこでは、急に今度はドキドキと緊張が湧いてきた。
しかも、それは嫌な感じではなく、ドキドキ感が、心地よいのだ。
「そうか、先輩がさっき、あんな風に、楽しむように言ったのは、こういうことだったのか」
と感じたのだ。
一人になると、それまでの怒りも収まってくる。要するに、
「苛立っているということは、誰かに対してイライラしているということを、証明しているということになるんだな」
と感じたのだった。
確かに一人だと、待合室が広く感じる。気を遣いたくもない相手に、無意識に気を遣っていたということが、自分でも分かるくらいだった。
しかも、さっきまで、まるで真空だったのではないかと思う程の息苦しさであったり、音がかき消されたかのような、耳鳴りのような気持ち悪さが消えていて、
「この部屋全部、俺の貸し切りだ」
と感じるほどになっていた。
「貸し切りだと思っただけで、こんなにも、部屋が広く感じられるというのも、すごいものだと言えるのではないだろうか?」
そんなことを感じていると、今度は時間が経つのが早いものだということも分かってきたのだ。
するとどうだろう。待合室の扉がノックされたかと思うと、そこに待っていたのは、男性スタッフが呼びに来たのではなく、一人の女の子が立っていた。その人は、よく見ると、自分が指名した相手で、ニコっと笑って、部屋の中に入ってきたのだ。
「初めまして。お兄さん」
と言って、こちらが戸惑っているのを見て、おかしいという気持ちなのか、さらにニコニコして、無邪気な微笑みを浮かべていた。
小走りに近づいてくると、草薙の座っている席の隣に座り、おもむろに、腕を組んでくるではないか。またしても、狼狽してくる草薙を見て、
「つかさです。一緒にお部屋までまいりましょう」
と言って、腕を組んだまま、草薙を立たせるように立ち上がると、そのまま受付の前を通って、そそくさと奥まで入っていった。
あとから分かったことだったが、最初の受付の際に、禁止事項の確認などがあった。
本当は、女の子とのご対面前に行うことが普通なのだが、最初に説明をあらかじめしておく時は、こういうサプライズの可能性がある時であった。
女の子もさすがに、他に客がいる時は、待合室には入ってこない。
「恥ずかしい」
という理由もあるのだろうが、本当は、
「身バレ」
が怖いからだ。
身バレというのは、自分の正体がバレてしまい、風俗店での仕事が続けられなくなりそうになることである。たとえば、親だったり、会社の上司、学校の先生だったりである。
本来なら、相手も、自分が風俗に来ているということを公開しないといけないので、それを拒む人もいるだろうが、しかし、女の子にとっては致命的である。
学校であれば、退学、会社であれば、解雇まで行かなくても、ウワサになったりすれば、今まで通り昼職を続けることはできないので、他の会社を探すか、風俗一本でやっていくかしかないのだろうが、昼職メインの人にとっては、そうなると、致命的だと言ってもいいだろう。
そうなってくると、身バレは実に怖いもので、そのため、普通は待合室で待っている客を、女の子が、マジックミラーか、モニターで確認し、
「この客なら大丈夫」
ということを分かったうえでの、接客になるのであろう。
もっとも、これは店舗型であればできることであって、派遣されて相手のいるとこるに行く、デリヘル関係の無店舗型には通用しない方法であるので、身バレの可能性は大きいのではないだろうか?
だから、この日のように、他に誰も待合室に人がいなければ、
「女の子が待合室まで迎えに来る」
というサプライズができるのだ。
だが、これは、風俗の常連客に対してであれば、
「サプライズ」
なのだろうが、初めての客にとっては、
「何が普通なのか?」
というのが分かっていないだけに、
「女の子が、待合室に迎えにくるのが、当たり前のことだ」
と思うだけで、せっかくのサプライズも効果が半減してしまうということにもならないだろうか。
実際に、嬉しくはあるが、どこまでサプライズ感があったかというと、正直、サプライズとは思わなかった。
むしろ、二回目に行った時、
「受付前のカーテンの奥に、女の子が待っている」
という演出の方が、サプライズ感があったと言ってもいいかも知れない。
だが、とにもかくにも、初めての風俗。女の子に腕を引っ張られるように、完全に主導権を握られた。
「この演出だったら、ベテランでも、相手に完全に任せることの快感を得ることができるのかも知れないな」
と感じるに違いない。
そうやって、女の子と部屋に入って、ベッドの上に腰かけて、世間話になったのだ。
彼女は、
「あらためまして、つかさと言います。お兄さんは、先輩さんに連れてこられたとお聞きしたんですが、ひょっとして、童貞さんですか?」
と聞いてきた。
ここで、意地を張って、ウソをいうのは、得策ではない。何しろ、プロである相手に、
「筆おろしを頼もう」
というのではないか?
「黙ってしたがっていればいいんだ」
ということなので、却って、正直に言った方が、こちらの望むことをすべて了解済みで進行するものだと言えるのではないだろうか?
そう思い、
「はい、童貞です」
というと、相手は、さらにニコニコし、今度は顔が紅潮しているのが分かった。
その表情は、恥ずかしいというよりも、
「これからが自分の出番だ」
と言わんばかりの気持ちになっているのだろうと思えた。
そうなると、自分は完全に、
「まな板の上の鯉」
である。
しかし、最初からすべてを任せるつもりで来ているので、
「まな板の上の鯉」
というのは、何かこそばゆい感じがするのだ。
「つかささんは、先輩をご存じなんですか?」
と聞くと、
「ええ、そうね、私がこのお店に入ってから、少ししてからだったから、私もまだまだ新人の頃ね。あの人が童貞できたのよ。その時も、他の先輩に連れてこられたって言っていたわ。ちょうどその時、童貞相手の人がちょうどお客さんについていたので、私ともう一人しかいなくて、それで彼が写真を見て、私を選んでくれたというわけなの」
と、つかさは言った。