小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

蔦が絡まる

INDEX|18ページ/22ページ|

次のページ前のページ
 

 という草薙とは違って、ある意味まったく正反対であり、
「またぐるっと回ってくるかも知れないが、次の相手は、必ず変えるようにする」
 というのが、矢田のポリシーのようなものだった。
「飽きが来てしまうことを嫌う」
 というわけではない。
 ただ、
「毎回違う相手の方が、楽しいじゃないか?」
 と、矢田は完全に、風俗というものを、
「遊び」
 として、割り切っているという感じだったのだ。
 それは、どうしても、裕福な家庭に育ったことで、
「金銭感覚」
 というものが、マヒしているからではないだろうか?
 昔の貴族や成金などは、お金を粗末にすることがステータスとでもいうかのようではないだろうか?
 成金などの風刺画を見ると、
「どうだ、明るくなっただろう?」
 といって、芸者が玄関で足元が暗かったので、履物を履けないのを見た成金の紳士が、百円札(現在の貨幣価値として、30万円)を、燃やして照らしてあげたというものであった。
 しかも、実はそれは一枚ではなく、何と、札束だったという。
 この話は、実話だというからすごいではないか。10枚の束だったとしても、300マ円である。サラリーマンの年収だとしても、不思議のない金額ではないか。
 そんなことを考えると、さすがに、その風刺画ほどではないにしても、風俗遊びを楽しむくらいの余裕はある家に生まれついていたのである。
 金銭感覚がおかしくなったとしても、無理のないことである。
 だからなのかも知れないが、
「次に抱く女は違う女で楽しみたい」
 という思いが強いのだ。
 つまり、
「今の女もよかったけど、次の女はもっといいに違いない」
 という、
「絶対的なプラス思考の考え方を持っている」
 といっていいだろう。
「プラス思考」
 という考え方があるために、自分が金持ちに生まれたことを、
「選ばれた人間なんだ」
 と信じて疑わない気持ちにさせるのだった。
 独裁者や、支配者階級、さらに、領主などというものは、自分を、
「選ばれた人間」
 ということで、正当化しておかないと、どこかで鬱状態に陥ってしまうかも知れないということを危惧している。
 もし、一番しっかりしなければいけない自分がそこで崩れてしまうと、誰も助けてくれる人はいないわけなので、自分が頑張るしかない。
 その思いが、
「選ばれし人間」
 ということを自分に信じ込ませないと、感覚をマヒさせてでも、すべてを守るということなどできっこないと感じたのだ。
 その考えが、
「俺のように選ばれた人間が生き残るためには、誰かを犠牲にしたって、それで、その人の生きた証が証明されるのであれば、その人は浮かばれるというものだ」
 という考え方も出てくる。
 要するに、
「世の中を助ける自分が生き残らなければ、世の中に未来はない」
 と言えるのではないだろうか?
 それを考えると、
「世の中は、この俺の存在で動いているんだ」
 というところまで考えてしまう。
 ただ、まだそれは妄想でしかない。実際の独裁者ともなれば、ある意味、バカではやっていけない。かつての独裁者と言われた
「ヒトラー」
 も、決してバカだったわけではない。
 戦争の途中から、無謀な作戦を強硬したりするイメージが強いので、そう見られがちだが、実際には、かつての英雄と言われた、
「ナポレオン・ボナパルト」
 の研究などは結構していたようだ。
 だが、考えてみると、ヒトラーの失敗も、ある意味、ナポレオンの失敗を絵に描いたかのように再現したものではなかったか。
 つまり、無謀な独ソ戦に持ち込み、ナポレオンが超えられなかったロシア帝国の、
「冬将軍」
 を、今度はソ連の、冬将軍として、同じように、超えようとしたというのは、どこか矛盾しているようだ。
「ヒトラーは、気が狂っていた?」
 と言われても仕方がないだろうが、少なくともヒトラーが独裁者になったというのは事実であり、圧倒的な国民の指示を受けていたというのも事実である。
 ナチス党が第一党になり、独裁政権を築けるようになるまでのヒトラーは、れっきとした、
「天才だ」
 と言えるのではないだろうか?
 ヒトラーは、部下を信頼し、部下からも慕われる、そんな政治家だったのが、どこかで何かが狂ったことで、独裁者となり、研究してたはずのナポレオンの同じ道を進むことになったということであるわけなので、想像が許すのであれば、
「ヒトラーは、ナポレオンの霊に取りつかれてしまっていた」
 といってもいいかも知れない。
 天下を取ったり、独裁者になるには、
「悪魔に血を売る」
 というような伝説を聞いたことがある。
「ナポレオンの霊に、ヒトラーは血を売ったのであないか?」
 と言われても仕方がないだろう。
 そうなると、ヒトラー自身がナポレオンとなり、同じ轍を踏まないとも限らないということだ。
 ナポレオンの霊も、
「時代が変わった今度こそ、宿敵ロシアを服従させなければいけない」
 という、この世の未練を、ヒトラーに託したのかも知れない。
 もっとも、このようなオカルト的な話を、
「誰が信じるというのか?」
 と言われても仕方がないだろう。
 しかし、実際に事実を冷静に分析すれば、ヒトラーとナポレオンの類似点や共通点は多いのかも知れない。
 少なくとも、二人とも、
「英雄になりたかった」
 ということに違いはないだろう。
 だが、ナポレオンは、英雄と言われるが、ヒトラーを英雄視する人はまずいない。これは世の中の一番の悪いところである、
「勝てば官軍、負ければ賊軍」
 と呼ばれる所以であろう。
 戊辰戦争だってそうではないか。新政府が力で江戸幕府を倒すことで、圧倒的な力を持ったかのように示し、実際には、一部の藩だけで、新政府を動かしていこうというのが、あからさまだった。
 しかも、明治初期を題材にしたアニメなどにあるように、
「新政府は、それまで、新しい時代を作るためという理由で、どれだけの人間を暗殺してきたかということ」
 である。
 スターリンの大粛清、ヒトラーのホロコースト、毛沢東の文化大革命と、大量虐殺が行われてきた。
 だが、二つの世界大戦、それに付随する各地での紛争、朝鮮戦争からベトナム戦争に至るまで、無数の大量虐殺が、罪のない市民に浴びせられてきたが、言われているそのほとんどは、
「敗戦国」
 によるもので、それが連合国にとっての、
「プロパガンダ」
 であるということは、証明されているではないか。
 実際に、ベトナム戦争でも、共産軍やゲリラによる大量虐殺は報道されてきたが、アメリカや韓国軍などによる大量虐殺や強姦事件など、専門的な本にしか載っていなかったりする。
 これこそ、
「勝者の理屈」
 であり、プロパガンダに使えるものは使い、知られてはいけないものは、必死で隠そうとする。
 それが、今の民主主義という世の中である。
 民主主義は平等、自由が基本なので、
「多数決」
 であったり、
「金がある者が勝者」
 として、身分差別はないように見えるが、お金のあるなしで、差別が起こっているというのが、事実である。
 だから、帝王学でも、
「お金が正義だ」
 などと言われているのかも知れない。
作品名:蔦が絡まる 作家名:森本晃次