蔦が絡まる
という。
つまり、何かの影響で身体に変調をきたす場合の総称が、
「副作用」
であり、
「予防接種やワクチンの場合に限る時は、副反応だ」
というのだ。
そんなことを考えていると、
「飽きが来る」
というのも、何かの副作用なのではないかと感じるのだった。
それか、
「このまま、ずっと関係を続けていては、ロクなことがない」
という警鐘のようなものなのか。
あるいは、警鐘という意味で、
「飽きがこないということは、それ以上に、自分が他にいけない。つまりは、ステップアップができないということになり、成長というものをそこで否定することになるのではないだろうか?」
と感じられるのだった。
だが、肝心な相手、つまり結婚した相手、本来なら、ずっと寄り添っていかなければいけないはずの相手に、
「飽きが来る」
というのは、果たしてどういうことなのだろうか?
警鐘というだけでは片付けられないものである。
飽きが来るという思いに蓋をしたまま、結婚生活を続けていこうとすると、精神的なものはどうにかなるかも知れないが、何が起こるか分からないのが、夫婦というもの、
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
と言われるが、まさにそうである。
飽きが来てしまったことが、身体にあるのだとすれば、
「身体を癒すためには、不倫も致し方ない。家庭を守るためだ」
という、一種の捻じれた感覚が、免罪符となり、不倫を自分の中で肯定してしまっているのだった。
そういう意味で、不倫も横行するのだろうが、正直、不倫相手にだって、すぐに飽きてしまうだろう。
ということは相手も同じことであり、要するに、
「不倫をする者同士、お互いに配偶者に飽きが来たから浮気をしたわけで、さらに、別の異性をもとめてしまうというのは、本能からくるものなので、致し方がない」
と考えてしまう。
またしても、免罪符という手を使うのだ。
そういう意味で、
「免罪符というのは、一体いくつあるのだろう?」
と思えてきて、
「免罪符というものの価値が、次第に薄っぺらい紙でしかない」
と言えるようになったのだ。
「免罪符」
これはただの言い訳を書いた始末書でしかないのではないだろうか?
そんななごみから紹介されたつかさは、実際に行ってみると、りなという名前になっていたし、雰囲気も変わって見えたので。最初は分からなかった。
前述のとおり、気づいてくれたのは、つかさの方で、こっちが飽きて逃げ出したのに、彼女は、そのことについて、起こったりはしなかった。
「待ってたのに」
といって、笑顔でそういうと、皮肉に聞こえないから不思議だった。
皮肉というのは、笑顔であっても、その笑顔は引きつっているものだが、つかさには、その引きつりはなかった。それどころか、嬉しさがはちきれそうになっているのを見ると、自分が過去に彼女に飽きたなどということを忘れさせてくれる思いがあったのだ。
ただ、その反面、最初に、
「飽きが来た女」
というレッテルは、自分の中に確実に残っていて、しかも、
「自分が免罪符を使った最初の女」
ということでもあった。
「飽きが来た」
ということと、
「免罪符を使う」
ということは、それぞれ、表裏一体となっていることのように思う。
だからこそ、
「すぐそばにあるのに、見ることができない」
ということと同じで、
「自分の顔を鏡のような媒体がなければ見ることができないということ」
さらに、
「自分の本当の声の、録音しないと聞けない」
ということと同じなのだ。
つかさに、
「悪いことをした」
という思いと、なごみに対して、
「申し訳ないな」
という思いは、ほぼほぼ同じものに感じた。
しかし、相手が違えば似たようなものであっても、感じ方が違う。しかも、それが、相関関係にあるものだからこそ、まるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
というような、先が見えない堂々巡りのように感じられるのであった。
だが、ここで、やはり残る疑問としては、
「なごみは、何かを分かっていて、つかさにこの自分を任せたのではないだろうか?」
という思いである。
もちろん、
「なごみとつかさは知り合いである」
という大前提だということが、絶対条件ではあるが。
「そういえば、なごみは、時々愚痴っぽいことを言っていたな」
というのを思い出した。
いつも優しい女性で、高貴な雰囲気さえ醸し出しているなごみだったが、急に、何かおかしくなったのではないかと思うほど、ヒステリックになり、いわゆる、
「前後不覚」
という状態になっているかのように感じることがあった。
そんな状態であるから、落ち着いてから、なごみは憶えていないようだ。ただ、なごみがあんな状態になるのは、
「あなたと一緒にいる時だけなの、そしてね、気が付いてから、あなたのことなら、何でも分かるというような錯覚に陥るのよ。どういう心境なのかしらね?」
と、まるで他人事のようにいうではないか。
それもやはり、
「意識が朦朧としているから、普段分からないことも分かるのではないか?」
と、考えれば納得がいく気がする。
ただ、これも、まさかとは思うが、
「なごみの中にある、一種の免罪符だ」
と思えなくもない。
すると、彼女にも、
「免罪符と表裏一体の何かがあるというのだろうか?」
と思わざるを得ないと言えるのだった。
それぞれ交錯するもの
「さて、次は、矢田さんね」
と、独り言を言ったりなは、さっきまで一緒だった、草薙に対してとはまったく違う顔を、次の客で作らなければいけなかった。
そう、
「りな」
としての、この店での本当の顔である。
ただ、
「この店の」
というだけで、本当の顔というわけではない。
「つかさ」
としての顔は、とっくの昔に捨ててきたのだ。
実は、矢田は前の店からの知り合いだった。つかさとして勤めてから、店を辞めた時、つかさは、風俗嬢を引退するつもりだった。
昼職もあったので、そっちに専念するつもりでいた。どうしてかというと、
「今ここでこの業界から引退しなければ、このままズルズルと、年を取ってまで、この仕事しかできないということになってしまう」
と思ったことだった。
別に風俗嬢が嫌だというわけではなく、いわゆる、
「プライドが許さない」
という感覚だったのだ。
ボロボロになってまでしがみついていくというのは、アイドルとしての自分には、許せないものがあった。
つかさの頃は、店で輝いている自分を、まわりから感じさせられることが嬉しく、まるで、地下アイドルのステージに上がっているようだった。
別にメジャーデビューしなくてもいい。自分だけを見てくれる熱狂的なファンがいてくれれば、それだけで満足だったのだ。
そんなつかさには、昔からの、
「童貞キラー」
という武器があった。
草薙も、その恩恵にあずかったわけで、さらに、今度の客の、矢田宗次郎というのも、同じように、最初の相手は、つかさだったのだ。
矢田の場合は、風俗嬢一人に嵌るということはなかった。
「飽きが来る」