蔦が絡まる
といって、皆から認識されるようになると、
「そうかしら?」
と、ツンとしてそういうのだが、内心では喜んでいるようだった。
何と言っても、
「風俗嬢というのは、イメージが大切」
これはアイドルにも言えることであり、何か人に誇れるものや、人にはないいいところが見えてくると、それが宣伝になるのである。
矢田が風俗に嵌ったのは、結婚してからだった。
そもそも、結婚というのも、
「したくてした」
というわけではない。
いわゆる、まったく面白くも何ともない、世間でいうところの、
「馬鹿の一つ覚え」
もような、
「できちゃった婚」
であった。
そもそも、赴任をしなかったのが悪いのだが、女の方も、
「今なら、大丈夫だから」
といって男を安心させたという意味での、確信犯だったのだ。
というのも、矢田という男は、親が金持ちで、会社社長の一人息子だということだ。
いずれは社長ということで、結婚相手は、最初から、
「社長か、大臣か、医者」
か、あるいは、そのタマゴのような人を探していたのだ。
親が社長であれば、リアルに考えて、将来社長への道が約束されている、
「坊っちゃん」
であれば、確実であろう。
知り合ったのも、年収が高いか、あるいは、高学歴の男性が集まるという、一種のお見合いパーティのようなところであった。
矢田は、高学歴ということで、会員資格があったのだが、それ以上に、
「父親の、顔パス」
だったといってもいい。
それだけ、有名会社の社長であり、しかも、同族会社、当然、後継は、矢田一人しかいないといってもいいだろう。
「親の七光り」
という言葉、中学時代くらいまでは嫌いだった。
実際に、そういわれている間、学校で苛められていたのも事実であるし、まだその頃には、自尊心のようなものの欠片があったのだろう。
そんなことは分かっていたくせに、そのうちに、
「どうすれば苛められないか?」
ということばかり、考えるようになった。
中学に入るまでは、苛めがあっても、見て見ぬふりをしていた。しかし、中学に入ると、今度は、家での、
「帝王学」
というものが邪魔をしてか、苛めをしているような姑息な連中が許せないという、正義感に目覚めたのだった。
それは本当の正義感ではなく、教育から生まれた正義感ということで、本人もよく分かっていない感情だった。
それなのに、
「君たちやめたまえ」
というような、正義感ではない正義感を振りかざすことで、苛めっ子の方には、それがすぐに、
「演技に近いものだ」
ということを悟ると、苛めの対象は完全に、矢田の方に移ってしまう。
矢田とすれば、助けてやったんだから、助けたやつが、
「自分の味方になってくれるだろう」
という気持ちになるはずだが、実際には、苛められていたやつからすれば、
「よかった、自分の身代わりに、矢田がなってくれた」
と思い、二度と関わり合いになりたくないと思うことだろう。
たぶん、彼が苛められるようになったのも、誰かを庇って、そのせいで矛先が自分に向いただけだったのかも知れない。
そういう意味で、前に自分がしたように、
「身代わりになってくれるやつの出現を待つか」
あるいは、
「苛めに疲れてくるのを待つか」
の二択しかないということだったのだ。
そんな苛めがあった時、矢田は、妖怪が出てきた怖い話を思い出していた。
あれは確か、一人の男が山の中で彷徨っていて、どこをどう歩いたのか分からないが、ある広っぱのようなところに出てきたのだ。
そこで、
「おーい」
という声が聞こえるではないか?
すると、その広場の少し奥まったところに、一人の男が立っていた。
頭から蓑をかぶっていて、まるで、雨除けの恰好のようだった。
最初は、
「少年かな?」
と思ったが、近づいてみると、立派な大人だったのだ。
子供に見えたのは、蓑をかぶっていたからであって、その分、小さく感じられたのだ。
しかし、さらに近づいて、その男の全貌が明らかになってくると、
「あっ」
と思わず声に出してしまった。
その男は、人懐っこい顔になって、
「こんなに嬉しいことはない」
といって、本当に喜んでいるようだ。
その男は、まるでかかしのようであった。足元は一本の竹馬の竹のようであり、その一本だけで立っている。しかし、腰から上は自由に動かすことができ、要するに、下半身だけが、かかしの状態だといってもいいだろう。
男はその喜んでいる様子があまりにも大げさで、しかも、目の前の男に対して、まったく警戒心を抱いていないことを見ると、自分も、警戒心がないことに気づいてはいたが、顔を見ると、
「本当に人恋しかったんだな」
と思い、
「自分がいいことをしている」
という、正義感に目が狂ってしまったのだろう。
男が、
「ああ、本当に人恋しい」
といって、やってきた男の前に両手を必死に伸ばしている。
男は、まったく警戒心が解けてしまい、手を伸ばした男性に対し、無意識に手を伸ばすと、相手は、その手が触れるか触れないかという瞬間に、それまでの表情が一転し、険しい表情になったかと思うと、この時とばかりに、迷い込んできた男に必死でしがみついたのだ。
すると、どうしたことか、二人は、入れ替わってしまった。
以前、マンガを見た時、どこかの忍者の術で、
「順逆自在」
という言葉を聞いたことがあったが、
お互いの立場が一瞬にして入れ替わるというもので、この場合もまさにそれであり、手をつないだ瞬間、身体に電流のようなものが走ったかと思うと、自分の足がまるでかかしになったようになり、目の前にかかしになっていた男には、脚がついていたのだ。
「俺たちは入れ替わったのか?」
と、彷徨いこんだ男は叫び、自分がどうなったのかということを、一瞬にして悟ったのだった。
「何もビックリすることはない。お前は妖怪となって、ここで次の人間を待てばいいだけだ。妖怪になったのだから、死ぬことはない。ただ、ひたすらに誰かがくるのを待っているだけだ。このわしだって、300年待ったんだ。お前がどれだけ待つことになるかは分からないが、今の順逆自在を思えは身をもって感じたのだから、決して忘れることはない。だから元に戻る時の心配はいらないぞ」
と、たった今まで妖怪だった男は、人間に戻った。まるで玉手箱を開けたかのように、よぼよぼの老人になっている。
「お前はこのまま死んでしまうことになるんだぞ」
というと、
「いいのさ。俺は人間として死にたかったのさ。妖怪になって、死ぬこともなく人が来るのをただ待っているだけなんて、考えただけで恐ろしい。お前のおかげで、俺は人間として死ぬことができる。例をいうぞ」
といって、元妖怪は去っていく。
というのが、その昔話の概要だったのだ。
矢田宗次郎という男。彼が、誰かの身代わりを務める方なのか、それとも、誰か身代わりを探そうとしているのか、そのあたりを知っているのは、誰なのだろうか?
免罪符