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悪魔のオフィスビル

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 特に、今回のパンデミックにおいて、その対応の早さが全国的にも表彰に値するくらいの成果があり、感染者数は、人口のわりに少なかった。
 しかも、隣が、県庁所在地であるF市なのにである。
 F市の場合は、大都市の中では全国でもワーストに近いくらい、十万人に一人の割合の患者が、相当多い。
 K市の市長は、早急に、K市との境に非常線を貼り、往来を禁止する措置を取った。
 もちろん、緊急事態宣言が出ている間だけのことだが、その狙いは、少々厳しく締め付けても、結果として、感染が少なければ、
「K市が正しかったんだ」
 という前例を作ったことになり、他の市と比較すればするほど、評価は高くなる。
 しかも、隣がF市だというのも、幸いだった。
 感染に苦しんでいるF市の人たちには申し訳ないが、K市のいいところばかりが、目立って、F市は世間から非難されることになった。
 もっとも、F市の市長が、自分の体裁ばかりつくろっているので、
「市民のことは置き去りだ」
 と言われても無理はない。
 何しろ、F市の市長が、
「K市を目の敵にしている」
 と思われているので、
「あの市長は、市民を犠牲にして、自分のプライドと体裁ばかりを見繕っているんだ」
 と言われるのだ。
 だからこそ、
「ダイナマイト計画」
 などという馬鹿げたことをして、時代を逆行するという、
「やってはいけないタブー」
 を犯そうとしているのだ。
 それを、K市の市長は分かっているが、余計なことは言わない。それよりも、もし、F市が失敗し、さらに財政がひっ迫してきた時、
「我がK市に、その災いをいかに最小限に食い止めるか?」
 ということが大切だった。
 これは、さすがにK市の職員は、皆がわかっていて、今は、そのための情報収集などに余念がなく、準備段階に入っているといってもいい。
「とにかく、隣のF市のとばっちりを食らって、共倒れだけはあってはならない」
 と皆が感じている。
 そのためには、F市が破綻しても、
「自業自得だ」
 というくらいに考え、最終的に最悪の事態も考え、対応できるように考えているのだった。
 ただ、今までと、今回とでは、少し事情が違っている。全国的に、いや、全世界規模でのパンデミックなので、
「どこか一つがよくなっても」
 という事態になっていた。
 逆に、この期に及んで、
「自分のところさえよければ」
 などということを考えているところは、
「悲惨な末路しか見えてこない」
 といえるのではないだろうか?
 それでも、一番は、
「自分のまわり」
 である。
「自分のまわりも守れなくて、その大きなまわりを考えたりなどできるはずがない」
 という考えであるが、それは、あくまでも、
「自分さえよければいい」
 という考えとは根本から違っている。
 世の中において、何かが起こった時、まず考えるのは、自分や自分のまわりのことであろう。
 しかし、すべてを自分の保守に回ってしまうと、殻に閉じこもった自分からしか、周りが見えず、それが、
「まずは自分が」
 という考えになると、まわりから自分を見ているような、一種の気持ちに余裕が出てくるのだろう。
 これが、保守であれば、
「ますは、自分だけが」
 という言い回しになり、本来なら何が違うのか、すぐにわかるはずなのに、分からない状況に陥ると、自分がその当事者になっている以上、本来なら分かるはずのものが、永遠に分からないという状況に陥ってしまうことだろう。
 それを思うと、
「自分がまわりを見る目」
 そして
「まわりから自分を見る目」
 の両方が見えてこないと、相手の被害に巻き込まれた時、救うことができなくなる。
 外から見えると、自分の外側に何があるかが見えてくる。いかに逃げるかということがわかるということは、
「いかに、大きさを錯覚しないか?」
 ということであり、キチンと収まるものが収まらないように見えて、慌てふためくことになる。
 そうなると、それこそ、サルが石を持ったまま、穴から手を出そうとしているところを見ることができず、いつまでも逃げられないと感じてしまうに違いない。
 このビルは、他のビルと同様に、ワンフロアが、それほど大きくなかった。だから、一つの階で一つの事務所となっている。社員の人数が、十数名で、一番奥が給湯室関係になっていて、反対側にパーティションをおいて仕切りを作り、その場所を会議室にしていた。
 だが、事務所は営業所になっているので、昼間は、ほとんど営業社員が出払っていることで、多くても昼間は、5,6人というところであろう。
 そういうこともあって、
「事務所をいちいち都会に持つ必要なんかないじゃないか?」
 と言われているのだろう。
 週に一度、どこかで1、2時間程度、ミーティングを行えれば、それでいいのだ。
 必要資料などは、どこかの倉庫に預けておいて、そこから必要な時に持ってくればいいだけである。それだけのことであれば、最近は、
「ノマドスペース」
 であったり、貸事務所、あるいは、貸し会議室なるものを使えばいいのだ。
 社員を毎日通勤させる必要はない。
 印鑑だって、今では、
「電子印鑑」
 というソフトがあり、データーに印鑑を押印できるシステムになっている。
 もちろん、登録されている印鑑は、パスワードつきになっているので、その人でなければ押印することはできない。これであれば、
「印鑑を押さなければいけないので、出社しないといけない」
 ということもなくなるのだ。
 そういう意味で、
「ダイナマイト計画」
 がどれだけ、時代錯誤で、時代をさかのぼろうとしている、愚策なのかということがわかるというものだ。
 ノマドスペースのノマドというのは、
「遊牧民」
 という意味だという。
 要するに、ホームグランドを持たずに、出社することもなく、仕事だけをこなしていればいいということになる。
 そのため、最近では、
「レンタル会議室」
「レンタルスペース」
 というものが、流行っているのだ。
「ひと月いくら、一日いくら」
 と言った単位で借りるので、まるで、ネットカフェのようなイメージに近いのだろうか?
「キチンと仕事の成果を出せば、出社しなくてもいい」
 という考えは、10年前くらいからあった。
 ネットカフェがあるのだから、レンタルスペースがあってもいいわけで、ただ、どうしても、印鑑の問題だったり、出社して確認しなければいけないことがあったりで、簡単に普及というわけにはいかなかった。
 それでも、事務所を使わない仕事方法を用いている人もくなくもなく、実際に、大きな会社でも、
「数年後には、全国の影響所の、何割かを減らす」
 と宣言しているところもあった。
 ただ、ネット環境であったり、印鑑の問題などが整備されていなかったこともあって、
「どこの会社でも」
 というわけにはいかなかった。
 もちろん、会社の中には、営業社員でも、
「会社に来るのは、週に一度」
 というところもあっただろう。
 完全に事務所によらずに、直行直帰。もちろん、その日の日報は必ずメールで提出するということは必須ではあるが。
 そんな会社が増えてきているところで、世の中は、
作品名:悪魔のオフィスビル 作家名:森本晃次