悪魔のオフィスビル
とにかく、建武の新政の失敗は、
「弱いところを潰したはいいが、昔の自分たち中心の政治に持っていこうとして、時代を逆行しようとした」
ということが間違いだったのだ。
それは、
「歴史上のタブーだ」
といえるのではないだろか-うか?
今までの歴史で、過去の時代に戻そうとして、失敗した例がどれほどあったことか、やはり、
「時代の流れには逆らえない」
ということになるであろう。
実は、F市が行おうとしている、
「ダイナマイト計画」
というのは、それこそ、
「歴史のタブー」
といってもいい、禁じ手である、
「歴史の逆行」
を行っているといってもいいだろう。
何しろ、
「経費節減の波」
と、物流センターとの一体化で、高速道路のインターに近かったりと、交通の便のいいところに、集中型で作るメリットを見出したのに、何をいまさら、都心部に戻って、
「現場との一体化をなくし、不便にする」
という企業がどこにあるというのか。
特に、経済が回復したわけでもない。他の国は、経済がまともに回復し、景気がいいところもあるというのに、日本は一度も回復傾向にならず、いわゆる、
「失われた30年」
と言われる不況のトンネルを、まったく抜けることができないまま、今、さらなる経済不安が、一つならず、複数押し寄せていた。
これは、他の国にも言えることだが、他の国は、ノウハウもあれば、備蓄もあるだろう。しかし、日本には、
「不況を乗り越えた自信もノウハウ」
などというものは何もなく、当然、貯蓄などあるわけもないので、この不況をまともに受けることになる。
特に、この
「ダイナマイト計画」
は、都心部に企業を誘致することが前提のはずで、不況の第一に上がっている、数年前からの、
「世界的なパンデミック」
というものに対応できていないのだ。
パンデミックが起こったことにより、
「テレワークが普及してきた」
ということになる。
行動制限を行うため、通勤を最小限にして、人流を抑制する。
それが、パンデミックに対しての最大の対策だからである。
最近では、そこまでひどい人流抑制を行っていないが、
「本当にこれでいいのか?」
という問題になっている。
何と言っても、医療崩壊という問題が起こってきて、
「家で容体が急変し、救急車を呼んでも、来てくれない」
であったり、
「来てくれたとしても、受け入れ病院がない」
などという状態で、患者はそのまま、
「自宅で息を引き取る」
ということが頻繁に起こっている。
「風邪と変わりない」
などと言って、マスクもしない連中が多いことで、このような悲惨なことが起こるのだ。
確かに経済を回す必要があるのは分かるが、目の前で死にそうになっている人を受け入れ病院がないということで、見殺しにする家族や救急隊員の身になって考えれば、少々の不自由さくらいは、仕方のないことではないだろうか?
「風邪と変わりない」
と言っている自分たちが、同じような目に遭ったとして、目の前で死んでいく人に対して、
「風邪と一緒だから」
などと言い続けられるであろうか?
それができるくらいなら、もうその人は人間ではない。
「畜生道に落ちた鬼と一緒だ」
といってもいいだろう。
そんな時代に、まだまだ感染者が収まるどころか、
「世界一」
などと言われている状態で、さらに医療崩壊を起こしているのに、政府は何もしようとしない。
要するに、政府は、
「俺たちは何もしないから、自分の命は自分で守れ」
と言っているようなものだ。
竹やりで、B29を叩き落すかのような精神論に、誰が従うというのか。
政府や、家に立つ人間が、
「精神論」
を持ち出した時点で、すでに終わりだということを誰も分かっていないというのは、実に嘆かわしいことであろうか。
ただ、政府も最初は、かなりの行動制限を行った。
有事のない日本で出せる最大の体制として、
「緊急事態制限」
を発出した。
戒厳令のように、私的自由を奪うところまでは、
「違憲になる」
ということでできないが、
「要請」
という形で、店舗休業、学校閉鎖、さらには、会社通勤の最低限の人員を、国民に強いたことがあった、
それを、国民は何とか守ったが、さすがに零細企業は悲鳴を上げて、倒産が相次ぎ、失業者も増えた。
だからと言って、一度は感染者が減ったが、ウイルスなので、変異を行う。そのため、そこからは、
「いたちごっこ」
になるのだった。
そんなこともあってか、経済はすっかり、ひどい状態になった。行動制限をそこまで掛けなくても、さすがに、感染者が増えてくると、人は自分から、
「自粛」
するものである。
結局、
「いたちごっこ」
を繰り返しながら、政府も次第に何もしなくなる。
そもそも、医者や専門家で作る、
「専門家委員会」
の意見を、政府の体制と違えば、もみ消して、同じであっても、違っても、必ず、政府が発表する対策の頭には、
「専門家の方々の意見を参考に」
という言葉をつけるのだ。
「参考にする」
ということは、
「鵜呑みにしない」
ということで聞こえはいいが、結果として、
「自分たちの方針を貫くが、専門家の意見は、聴くだけ聴いた」
というだけのことである。
自治体も、政府に振り回されているところもあったが、F市のような、
「ダイナマイト計画」
などという馬鹿げた計画を、パンデミックが襲ってきているにも関わらず、中心にすることなく推し進めようというのだから、
「一体何を考えているんだ」
と言われても仕方がないだろう。
何しろ、
「ダイナマイト計画」
の骨子は、
「郊外に行ってしまった企業を呼び戻す」
ということであり、パンデミックで、事務所に出社するところが減ってきたり、そもそもパンデミックになる前から言われていた。
「経費節減のために、事務所を構えることをやめる」
という会社も増えてきていたのだ。
大企業などは特にそうだろう。
「せっかく、ネットが普及していて、テレワークもできれば、会議もテレビ電話を使えばできるだろう」
というものだった。
電気屋では、パンデミック前から、テレワークの一式を売り出していたり、別会社間でも、テレビ会議ができるような体制ができていて、
「出張が減ってきた」
という会社も増えてきていたのだ。
そんな時代が先進している状態で、何をいまさら、都心部に事務所などというところがあるというのか、実際に、
「3年をめどに、支社や本社機能を、貸事務所に持っていき、そこを機械だけを置く用にして、後は、ネットで繋がることで、事務所レスを行う」
というところが、大企業を中心に巻き起こっているのだ。
これは、パンデミックで、早まっただけのことで、近い将来、
「事務所を構える」
ということは減ってきて、
「必要に乗じた時、貸事務所を借りればいい」
という程度になることだろう。
そうなれば、
「ダイナマイト計画」
の根幹は意味をなさなくなり、新しいビルにしても、閑古鳥が鳴くことになるだろう。
というのが、普通考えての予想ということであろう。