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悪魔のオフィスビル

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「ああ、そういうことか。だから、深夜であっても、あそこのカギを閉められると、弁当屋の社員は、トイレに行くことができなくなるということですね?」
 と刑事がいうと、看護婦が、
「ええ、そうです。弁当屋の社員が、早朝に来るのであれば、他の会社が9時出勤が定時だとすると、あそこは開いていないでしょう? しかも、正面玄関も開いていない。そうなると、ロビーは密室で入れなくなるんですよ」
 と看護婦が言った。
「それで、弁当屋は、あそこを閉められると困るということを言ったわけですね?」
 と刑事がいうと、
「ええ、そういうことです。でも、そのシフト制の社員はかなり頭がキレる人なのか、いろいろ分析してましたよ。あれはあれでしょうがなかったんじゃないかってですね」
 と看護婦がいった。
「どういうことですか?」
 と刑事が聴く。
「だって、そもそも、あそこにトイレを作るということは、それが間違っているわけですよね? 何しろ、弁当屋は、ロビーとは関係ないわけだから、だったら、非常口を出たところに作ればいいわけで、でもあそこのスペースにトイレを作るだけの広さはない。そもそも、もっといえば、トイレを作っておかなかったことが、設計ミスですよね。後からトイレがほしいということになるから、こんな変則なことになってしまった。確かに、警備は完璧なので、大丈夫なんでしょうが、ロビーに関しては、本当にザルのようなものだといわれても仕方がないでしょうね。つまり、他の会社が皆帰っても、弁当屋が一番遅いわけだから、トイレは使いますよね。つまり、正面玄関を閉めて警備を掛けていても、非常口から入ってきてトイレを使うわけだから、警備の意味もあったもんじゃない。トイレをあそこに作った時点で、警備はないに等しいと言えるって、あの人は言ってました」
 という。
「なるほど、その通りですね」
 と刑事がいうと、
「でも、あの人は一言言ってましたよ。それなら、弁当屋が、非常口の扉の鍵を持っていればいいんじゃないかってね。そうすれば、自分が、非常口を閉めて帰れるからということですよね、いや、そもそも、非常口を利用するのは、弁当屋しかないわけだから、彼にも関係ないことになる。弁当屋が帰る時に、カギを閉めれば、それで済むことですからね」
 と看護婦はいう。
「はいはい、まさにその通りですね、でも、その人はそこまでしなかったんでしょう?」
 と刑事が聞くと、
「ええ、彼なりに納得したんでしょうね。理不尽だと思いながらも、呆れたという気持ちが強かったのかも知れない。タバコの火で逃げ遅れるのは困るが、あそこが開いていて、泥棒が入るくらい、どうでもいいと思ったのかも知れない。それにロビーだけの問題ですからね、きっと、すべてが分かった時点で、バカバカしいと思ったんじゃないですか? そして、すべての理屈を解釈できたのは、彼だけでしょうね。もっとも、私も彼に聞かされて、納得しましたけど、でも、さすがに彼としては、最期には、力が抜けたんでしょうね。どうでもいいような脱力感があったようですよ」
 ということであった。
「なるほど、これが、弁当屋の事情というわけだったんですね? 何となくですが、分かった気がしました」
 と刑事がいうと、
「今度の事件と、このことが何か関係あるんでしょうか?」
 と、看護婦が聞くと、
「何とも言えませんが、少なくとも、被害者が倒れていたのが、その問題の非常口の前の扉ということであるから、問題が発生したことと関係がないとは、一概には言い切れないでしょうね。もちろん、本当に関係ないかも知れないですが、何か、理不尽でモヤモヤしたものが残っているのは間違いないですから、そのあたりを頭に入れて、捜査してみたいと思います」
 と刑事は言った。
 この話を、果たして、ほか弁屋にぶつける方がいいのか考えたが、とりあえず、警察内部だけのこととして考えようと思った。
 歯医者の人には一応、
「警察がこのことを気にしているとは、ほか弁屋の人には言わないでくださいね」
 とくぎを刺しておいた。
「分かりました。私も実はそんなにこの事件を気にしているわけでもないし、弁当屋の人もそうだと思います。ただ、人が殺された場所が、すぐ近くにあるというのは気持ち悪いもので、早く事件が解決してほしいと思っています。なぜなら、犯人の動機も犯人が誰なのかもわからずに、この場所にずっといるのは、一般市民としては、怖い以外の何者でもありませんからね」
 と看護婦はいうのだった。
 刑事の方としても、
「なるべく早く解決できるように努力します」
 というくらいしかできなかったのだ。
 看護婦との話を終えてから、表に出た二人は、近くのカフェに寄った。駅前にある、大きなカフェで、小腹が空いていたので、プチバームクーヘンを頼んで食べていた。
「私は、ここのコーヒーは濃すぎて合わないので、オレンジジュースにしよう」
 と、辰巳刑事がいうと、
「ここのオレンジジュースの方が、私には濃すぎる気がするんですよ。もう少し薄かったら、私もオレンジジュースにするんですけどね」
 といって苦笑いをする日下刑事だった。
 お互い、それぞれ敬意を表し合っているのは分かっていて、お互いに、本店支店という感覚はなかったのだ。
 食べながら、二人は、看護婦の話のおさらいをしていた。
「さっきの看護婦の話をどう思う?」
 と、まず、日下刑事が切り出した。
「そうですねぇ、あのビルにある、不思議な建て方が、どこまでこの事件に関係があるのかということでしょうね。ただ、気になったのは、犯人が、非常階段の方に出ようとしたところ、向こう側から来た人に対して、出会いがしらに突き刺したということであれば、先ほどの話からすれば、あの扉には鍵がかかっていなかったということになるんでしょうね。被害者は、非常階段の方に何しに行ったんでしょう?」
 と辰巳刑事がいうと、
「もし、被害者が何か泥棒のようなことをしていたとすれば、表からは出られないわけなので、裏から出ようとしたんじゃないのかな? そこで、犯人にばったり出くわした。それで、犯人に殺された」
 と日下刑事がいうと、
「いくらいきなりとはいえ、殺すことになったんでしょう? 何か決定的な不利になることを見られたので、殺されたというのであれば分かるけど、まさか、ナイフを持っているところを見られたからといって、いきなり刺し殺したりなんかしないですよね?」
 と辰巳刑事がいうと、
「それはそうだろう。ただ、被害者とすれば、扉の向こうに、誰もいないと思っていたところに人がいたわけだから、急に悲鳴のような大声を出したのかも知れない。それに驚いて、犯人は、何とか声を抑えようとして、もみ合っているうちに刺し殺したんじゃないのかね?」
 と、日下刑事がいうと、
「それも考えられなくもないですが、ナイフを持って何かをしようとした人間は、それなりに覚悟という意味で、ある程度冷静さを持とうと思っているんじゃないですか? そんな人が、いくら衝動的とはいえ、相手が即死になるほどに正確に刺し殺せるとは思えない。そこに、精神的な矛盾があるんじゃないかと私は思うんですよ」
 と、辰巳刑事が言った。
作品名:悪魔のオフィスビル 作家名:森本晃次